第11話 Intermission.ー真月ー 3.

人生の要所要所。いや、私が本当に危険な目に遭う時にだけ、「真月」は力を貸してくれる。そう言えば「真月」の読みを決めていなかった。私にだけ「意味のある存在」なので、本来なら名は不要であるが、ここで何回か登場するキャラクターなので名づけをしてみた。


「真月」と書いて「しんげつ」と読む。そのままである。私はイマドキのDQNネームには懐疑的なので、「真月」の漢字に「ルナ」とかあてる気は無い。この読みが意味を成すのは、次作となるか、このお話で触れることが出来るかはまだ分からない。

 私が少年だった頃は頻繁に力になってくれた。中学時代も数回は助けてくれたと思う。年経るにしたがって、彼女は姿を現わすことも無くなっていったが、私が某パチンコ法人で働いていた時の寮では守護をしていたようだ。その寮では「幽霊が出る」と言う噂が絶えなかったのだが、私は特に気にしていなかった。確かに、歩く人もいない廊下を白い影がうろついていたり、シャワーを浴びてる音はするのだが誰もいなかったりと、怪異譚には事欠かなかったが。特段、迷惑でも無かったので気にしなかった。寮の他の住人は結構怯えてはいたが。その後、私はトラックに乗るようになった。長いドライバー生活で、私は無事故無違反であった。いや、1回だけ、長距離で出ていた先で違反で捕まったことがあるぐらいだ。コンビニで買い物をして、車を出してからシートベルトに手をかけた時に白バイ警官と目が合ったと言う笑い話。あとは駐車禁止で2回。コレは不運と言うしか無いだろう。その後は必ず有料駐車場に停めるようになったので怪我の功名と言うか、まあ良き事であろう。30歳を過ぎてからは無違反を貫いているわけだ。仕事で車の運転をしていれば、普通の人よりは事故のリスクが高いと思う。実際、仕事中に危なかったことは多い。大抵は自分の運転テクニックや反射神経で回避してきたはずだ。高速の戦場ヶ原付近、真冬のことであったが、緩い坂を登り切って下りに入ろうかと言う時に、そのくぼ地のような地形の路面に雪が積もっていたことがあった。間の悪いことに、そんなに大した距離では無かったので自腹で移動している時で、荷室は空っぽであった。空荷のトラックの最高速はかなりのモノだ。今は速度を制限する装置が義務付けられているが、当時は4トンは野放し状態で、しかも「高速仕様」であったので、かなり速度は乗る。その状態で積雪路に突っ込んだ。流石に肝が冷えたし、翌朝の新聞の3面記事が脳裏をよぎった。私はどうも「自分は死なない」と思っているらしく、その時もかなり冷静になれた。ブレーキは踏めない、シフトダウンも乱暴にやったら車が姿勢を崩すと言う状況で、しっかりと回転数を合わせながらシフトダウンを繰り返し、時速20kmまで減速して事なきを得た。そのすぐ先は右にゆるく曲がるカーブであったので、下手をすれば事故を起こしていたはずだ。


 そんな「運転手あるある」ではなく、本当に「真月」の加護を感じた事件があった。正確に言えば、当時は「危なかったなー」としか思わなかったが、今思えば奇跡のような出来事であった。私が市の不燃ごみ収集車に乗務していたことは書いた。3回ほど車両火災を起こしたが、アレは安全を見込んだ設計になってる車両のお陰で、そこまで危険なことではない。


 ある日のことだ。ゴミステーションに大きなガラス板が「剥き出し」で捨てられていた。本来なら小さく割って捨てるべきものだが、余程の無精者が捨てたのだろう。収集車としては「腹が立つから置いていく」等と言うことは出来ない。そのガラスを、収集車後部の投げ込み口に放り込もうと、鈴木さんがガラス板を後ろに振りかぶった。

そこに私の顔があるとは知らずに・・・


私の顔面にぶつかった衝撃でガラス板は割れ、鈴木さんは(やっちまった・・・)と思ったそうだ。ガラス板はモロに私の顔面、目の位置にヒットした。非常に危険な事故であったが、そのガラス板は奇跡的に「私の眼鏡」にぶつかったのだ。


僅かでもタイミングがずれていれば失明の危機であった。


 会社と言うのは「労災」を嫌う。色々と手続きがあり、事故原因が「人災」では無いのかと言う調査も入ったりするのだから当然と言えば当然だが。私はごみ収集、その時は産廃の引き取りであったが、労災事故になったことがある。2階にある「事務所」の引き払いで、残されたごみを引き取りに行った時のことだ。既にベテランの域に達していた私は、4トンのごみ収集車の上に乗って、指示を出していた。2階の窓から外に放り出した方が手っ取り早いので、事務所内にいる等々力さんと協力しながら効率良く積むために。私が作業員の方を向いていた時に、等々力さんが目測を誤って私の真後ろに20kgはあろうかと言う書類の大きな束を落としてしまった。まさか狙ってやるはずもない。しかし、私はその衝撃でトラックの屋根から落ちた。もう大騒ぎである。「安元が落ちたっ!」の声で鈴木さんが駆け寄って来る。この時、「偶然にも」トラックの屋根のふちが私の足を引っかけて、背中から落ちることが出来た。正面から落ちていたら、それこそ流血騒ぎであっただろう。背中から落ちても危険だが、不思議と受け身を撮ることが出来たらしく、左足の骨折だけで済んだ。落ちた私をごみと一緒に積んで、指定の病院に急送してくれたのも鈴木さんだ。私は怪我の痛みよりも「落ちたことにびっくりして声も出なかっただけ」なのだが。当然だが労災。数日は仕事を休んだが、すぐに出社するようになって「地上勤務」をしていた。トラックには乗れないが、整備くらいは出来た。褒められたことではないが、通勤に使っていた自家用車はATなので運転出来たのも幸いであった。


 私が「真月」の存在を疑わなくなったのは35~36歳あたりのことだが、このエピソードは本編で書く。その後、人生は転がるように進んで、40代になったある夜のことである。県の中心地とも言える繁華街には有名な占い師がいた。私は占いに興味は無いので、「そんな人もいるのか」と言う程度の認識であった。その占い師は神出鬼没で、大体の縄張りと言うか、この辺りで観ているとは言うが、毎日ではない。土日もいるかと思えば、曜日無関係で現れたり現れなかったりである。噂に聞いた「見料」は驚くほど安かった。十数分は観てくれて2千円である。売れない占い師は見料500円、お悩み追加で1件当たり500円と言うディスカウントみたいな商売をしていたが。そんな占い師を偶然見たことがあった。一晩に10人も客がいれば十分な稼ぎだと考えているのか、商売熱心とは思えない感じであったが、私は試しにその占い師の斜め前に立って視線を合わせてみた。こんな場合は100%、占い師は声をかけてくるだろう。そう思っていたが、視線が合って数秒後、その「よく当たる」と言うその占い師は目を伏せてしまった。私のことが見えなかったように・・・


この世界は私に背を向け続けている。


 私はこの世界に恋い焦がれているわけでも無い。何となくこの世界は「仮想現実」だと気づいているだけだ。長い人生の中で私は「モブ」であることを選択した。ゲームキャラで言う「その他大勢」と言う感じのキャラ。村の境界で「この村にようこそ」としか言わないようなキャラクターである。私は「この世界」に影響を及ぼすことを避けたのだ。何故かはわからないが、10年ほど前からはそのようにして生きている。仕事はしてます、風俗遊びもします。パチンコ店で遊びます。ただそれだけである。例えば私は写真の「弟子」をとることも可能である。料理もまあそこそこには出来るので、有料公開をしてもいいのかも知れない。レシピ本くらいなら出せるはずだ。某投稿小説サイトでは、私の書くグルメエッセイ(自炊)には読者がついたので、今は放置している。有名になりたいとは思わない。あのグルメエッセイは編集部からも注目されたのだが・・・


この世界に影響を与えることは避けたい。こんなお話を書いてはいるが、読者さんは2人だけであろう。そもそも、書いている私だって、初めから読み返す気も失せる分量である。それでもかなりの熱意をもって書いたお話である。書き終えたらどこかの投稿小説サイトに転載してみるつもりだ。こんなお話に影響される人はいないだろうし。


ただ思索に耽ることが多く、この世界が私に他人行儀であることについて、とある「結論」に達した。


 私はこの世界に「属してはいない」のだろう。「真月」の加護があるから破滅しないだけで、本来なら幼き日にあの男に殺されていたはずなのだ。更に言えば、殺されなくとも事故で死んでいただろうと思う。そのシーン全てで「真月」が私を生かそうとしてきた。だから私とこの世界は「隔絶してしまった」のだろう。

 そして、ソレを本能的に察した私が選んだのが「モブ」と言う生き方。


 私は「根源的な問い」を見出した。


「何故、私は”生きて”いるのだろう?」


 この人生、多少は波乱に満ちていたので「一般論」で語るのが難しい。「真月」の加護があったからである。だからこのように「問いを変える」ことにする。

「何故あなたは生きているのだろう」と言うことだ。もう一つ、「何故、みんな”生きて”いるのだろうか?」と言う問いも併せて投げかけてみたい。この世には「生きた者しかいない」のだ。不思議では無かろうか?死んだら「居なくなってしまう世界」は当たり前なのだろうか?「真月」の存在を疑ってはいないから、この世界が奇妙に見えることがある。


いや、「真月の存在を肯定する」ことは、この世界を否定することと同義である。生者でも死者でもない「真月」が存在するのなら、我々の「生」に意味はあるのだろうか?

その答えが「この世界は仮想現実である」と言うことだ。


「真月」はこの仮想現実世界を構築した者が「意図的に挿入したバグ」である。物理法則に縛られず、時をも超える「存在」は、いわば「神」であろう。事実、私は真月を「神の眷属」だと思っている。私の言う「神」は一般論とはかなり違うが。

 世界を記述する「公式」を科学者が探す。「ある答え」が出る。アインシュタインの有名な公式もあった。しかし、人間の科学力は、それまで観測されなかったものまでを見出してしまう。その度に新しい理論や過去の理論の修正を行ってきた。科学はこの世界を「追認する手段」でしかないのだ。アインシュタインはその理論の中で幾つかの「予言」をした。その現象はのちに観測されて、彼の理論の正しさを証明してきた。そして今、アインシュタインの残した理論に綻びが生じてしまった。もう「まだ観測されていないが、存在を予言されている現象」は無いのだ。ただ、「未知の現象」が起こった時に、その現象を説明する理論ばかりが生まれている。


「錯覚だろう」と言われるような経験は誰もがしているだろう。ソレはこの世界を記述するプログラムの「エラー」なのかもしれないと思う。


一つ言えることは、この世界のマップから出ることは不可能と定義されている。「光速は遅過ぎる」のだ。仮想現実世界を構築するなら、「マップの存在」と、「そこから出ることは出来ない」と定義するだろう。科学の力はそこまで発展してしまった。この世界の「空間」は光速を超えて広がり続けているそうだ。それでは外に出られない。多くの新発見が過去の理論と矛盾するようになった。本来なら、この世界は「ニュートン力学」で記述出来たはずなのだ。アインシュタインのような「イレギュラーな存在」が生まれたことは祝福であり、呪詛でもある。


 そして、この世界が「仮想現実」でも誰も困らない。

人生は変わらないのだから・・・

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