第7話 Intermission.ー真月ー 2.

私の人生に「彼女」は欠かせない存在である。もしも「彼女」がいなければ、私は成人する前に死んでいただろうと確信している。


名を「真月」と言う。


 「真月」とは私が付けた名前だが、そもそも「彼女」に名前は必要だろうか?私にとっては唯一無二の存在であり、その名を呼ぶ必要も無いのだ。現に対面すれば名も呼ぶだろうが、私がこの世で「彼女」と出会うのは臨終の際であろうと言うことも確信している。「神に名は必要ない」のだ。正しい表現にすると「唯一神に名は要らない」と言うことである。ただ、誰かにこの話をする時に「名無しさん」では困るから命名した。天満宮所縁の者であろうと思う。


『火の章』で私はオートバイに乗るようになったと書いた。実際、どれほどの人が250cc以上のオートバイを乗り回した経験があるかは分からないが、オートバイとは割と死と隣り合わせの乗り物である。2輪であるが故に転倒することも多いし、生身の身体で時速100km/hも変実的な数字だが、この速度で転倒したら・・・事故を起こしたら死を覚悟すべき乗り物。自動車ですら、時速30kmでコントロールを失えば恐怖に顔が引き攣るものだ。中々に経験出来ることではないと思うが、雪道が分かりやすい例だろうか?


「真月」は私の命を護ろうとする。守護の者なのだから当然であるが、天寿を全うできるとは思っていない。いつか「真月」の都合で彼岸に連れていかれると思っている。それが「神に愛される」と言うことだ。


オートバイでの事故で何回か死にかけた。私は暴走の果てに事故を起こすようなことはしてこなかったが、横断禁止の広い道路を、いい大人が走って渡ろうとする場面に出くわしたこともある。何故その男は私のバイクの前を「横切れる」と考えたのだろうか?幸いなことに、接触しただけで済んだが、私はガードレールに叩きつけられた。事故とは「自動車・オートバイ側」が100%悪いと判断されるものだ。たとえ相手が信号を無視していたとしても、だ。

「真月」は気が気では無かったであろう。何かあれば容易く死に直結する乗り物である。幼児を跳ね損なった時は、私は死を覚悟して観念した。バイクから放り出されて宙を舞っている間、自分が「飛んでいる」と自覚出来たのだから当たり前である。そんな大事故でも私は生還した。大怪我はしたが・・・


 もう一つ、エピソードがある。私は街中を騒音をたてながら走る趣味は無かった。ただ「バイクで走ること」が好きであった。スリルを求めて「峠を攻める」毎日を過ごしていた。35年ほど昔の話だが、当時はまだ「峠を攻めるライダー」も多かった。当然だが事故も起こるが気にしていなかった。ある日は、カーブを曲がって「立ち上がろうとしたら」先行するバイクが宙を舞っていたことがあった。本当に高さ1メートル以上の高さにバイクがあった。ライダーは路肩を転がっていたが、セカンドグループ先頭の私たちは回避出来た。後続が巻き込まれたようだが死者は出なかった。私が攻めていた峠はかなりの「名所」で、毎週のようにライダーが死んでいた。冗談抜きに、「お花畑」と呼んでいたものだ。事故現場に手向けられた花束の多さに・・・

 かなりの速度でカーブを曲がる。速ければ速いほど尊敬されたものだ。私は「某高校最速の男」と呼ばれていた。単に「お坊ちゃんが多い高校」なので、バイク乗りが少なかっただけだが。ヘアピンカーブは割と安全である。かなり速度を落とすからであるが、逆に速度を落とさないカーブ、ソレも「S字」と呼ばれる左右のカーブが連続する場所は危険であった。サーキットのように「対向車がいない」のなら、センターラインを踏んで「なるべく真っすぐ進む」のがタイムを稼ぐ秘訣だが、公道であるから対向車だっている。たとえいなくても「車線を外れる」のはご法度であった。そして緩いS字カーブでもかなりの速度で通過するので、バイクはかなりバンク(傾くこと)するし、次の逆カーブまでにバイクを切り返す必要があった。私はこのS字カーブでは最速だった。誰もが「切り返すために」速度を落とすのだが、私は一切速度を落とさなかった。危険なテクニックだが、バイクがフルバンクしている時に前ブレーキをかけるのだ。この動作だけで簡単に空を飛べる。私には空を飛ぶ理由が無かったので、ブレーキはあくまでも「きっかけ」に過ぎない。ブレーキランプが一瞬「チカっと光る」程度である。バイクは起き上がってライダーを振り落とそうとするが、切り返す反対側のステップを力の限り踏ん張って、バイクを抑え込む。本当に股間直下をバイクのシートが瞬間移動する。

 そこそこにテクニシャンであったから出来た技で、このテクニシャンぶりをベッドで発揮していれば、今頃は3児の父ぐらいにはなっていただろう。今ではテクニシャンを超え、マジシャンとはなったが、恋愛ごとからは足を洗っている。

 ある日のことだ。高速S字を抜けてバイクを直立させた瞬間にフロントタイヤが暴れた。コレが「上り」であったなら、アクセルを戻せばいいのだが、よりによって「下り」でフロントタイヤを浮かせるようなラフなアクセル操作をしてしまった。慣れた峠なので気の抜けた走りをしていたのだろう。かなりの速度で小刻みに左右に暴れるハンドルを制御することは不可能である。当然だが、瞬間でバイクは中空で横転することになる。私には記憶が無いのだが、このフロントを抑え込んで次のカーブを曲がろうとしていた。どうやってバイクを立て直したのか分からないのだが、そのままいつもの待機場所に入り、私はすぐにのんびりとUターンして、もう2度と峠に帰ることは無かった。怖くなった。ただそれだけであるが、やはり「真月」の加護もあったのだろうと思うのだ。


 小学生時代、「真月」が私の守護となり、何度も助けられた。中学時代はそんな危険なことは無かったとは思うが、怪我だけで済んで幸運だったこともあった。そして高校時代はバイクの事故で命を失う寸前まで行ったが、「真月」の加護で生き延びることが出来たと信じている。「幸運だった」では済まされないほどの強運は、「真月」の介入があってこそなのだろう。

 私の記憶の中で、この「世界」は私に背を向けている。私はこの「世界」をただ傍観し、生きて来ただけである。今も世界は顔さえ見せない。「真月」も姿を見せることは無いけれど、この身を委ねることは出来る。「死」はそんなに悪いことなのだろうか?運命であれば、死すら甘受することが「ヒト」ではないのだろうか?自らが死を選ぶことは「良いこと」ではないが、「悪いこと」でもない。死にたければ死ねばいい。死だけは全ての人に平等だ。

 私はもう人生を折り返して数年経過したと思うが、死を恐れはしない。ただ苦しむのが嫌なだけだ。「真月」が迎えに来るのなら、苦しむことも無いだろうけれど・・・


「真月」は私を生かそうとする。


 理由は分からない。人の考える「常世」の者では無いのだから、「死」を特別なこととも考えていないだろうことも想像出来る。なのに何故、私は死ぬことを許されないのだろうか?どんな「どん底」にいても、私は生きることを諦めなかったのだ。自殺なんて考えもしない。私は「絶望」したりしないのだ。こんなに「強い人間」では無かったはずだが、不思議なモノである。

この物語の最初に書いた。


「この世界は閉じている」と。


始まりから終りまで決められた「シミュレーション」のような世界であり、全ての人は「未来の記憶」を持っているが、思いだせないように規制されている。稀に「思い出せる人」がいるが、目立つようなことはしない。せいぜい、身の回りの誰かさんをそれとなく助ける程度であろう。現に、大きな災害を「予言」した人はいないのだ。

「真月」は私を歯車だと知っているのだろう。人は誰もが「社会を構成する歯車」である。超が付くような金持ちは「成功者」だと思うが、彼もまた「歯車」に過ぎない。例えば昨日、河川敷で人知れず死んだホームレスも歯車であり、役目を終えて死んだのか、歯車の最後の務めが「死ぬこと」であったのかは、この世界の管理者にしかわからないことだ。そして私はチートを使っているようなものだ。「真月」の存在はイレギュラーでしかない。管理者が意図的に挿入した「バグ」であるが、自律できるように進化した「存在」である。未来を知る「真月」は、私がどんな「歯車」なのかを知っている。「重要な歯車」だなどと自惚れてはいない。機械の中にある「歯車」には必ず意味があるものだ。


しかし、「フェイルセーフ」としての歯車が多いこともある。この世界はそんなフェイルセーフの歯車ばかりであろう。


残念なことに「自分がどんな歯車なのか?」は分からない。誰もがその生を全うするだけだ。その死がその歯車の意味であったりもするのであろう。生と死は等価であるべきだが、この社会は「死の価値が低過ぎる」きらいがある。何故にそこまで死を「忌避」するのだろうか?

 死ねと言っているわけでは無い。生きろと強制するでもない。


私はこの美しい世界の存続だけが希いだ。

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