日曜日
何の変哲もない朝が来た。
そりゃそうだ。私にとっては最期の日でも、殆どの人にとっては何の変哲もない日曜日だ。
セミの声は聞こえない。今日死ぬなんて、何かの間違いなんじゃないかと思った。
「おはよう!」
愛しい友人は私の隣で座っていた。
「おはよう」
起きると同時に、彼女へ抱きつく。温かい。やはり、彼女は生きている。そんな当然のことを確かめた。
そういや、昨日は相当迷惑をかけたっけ。ちゃんとシャワーは浴びられたのだろうか。きっと、指が痛んだことだろう。
「昨日は、ごめん……」
「別に大丈夫だよ」
優しさに触れて、切なくなる。
あんな大金を渡されたのに、今日は何にもやる気が出ない。
ずっと、このまま彼女と抱きあっていたい。
「何か食べたいものとかある?」
「…………特に」
食事とは生きるために摂るものだ。じゃあ、今の私には必要ない気がした。
「じゃあ、何かしたいことは?」
「したいこと…………」
本当に私は駄目かもしれない。死ぬのは怖いと思いながら、生きてもやりたい事がないのだ。
寝起きなせいもあるだろうか。眠くて、頭がうまく働かない。
「まあ、無理して見つけるものじゃないしね。何か思いついたら、私が手助けするから言ってね」
そう言われた矢先、ひとつだけやりたい事を思いつく。
「……じゃあ、目を閉じて」
「……?」
彼女は訳もわからず従う。私はそっと唇を奪う。
「……ん……っ!」
彼女は動揺しつつも、ハグの力を強くする。その唇は抵抗することなく、舌の侵入を許してくれた。
熱いツルを絡ませ合い、甘い樹液を混ぜ合わせる。彼女の温度と愛情を、その舌先で堪能する。
何も考えたくなかったし、何も考えられなかった。ただ、本能に従い貪り食う。そんな時間をどれだけ過ごしていただろうか。
「……はぁ…………はぁ…………」
興奮で互いに息切れしていた。
「……一緒にシャワー浴びよ」
昨日、適当にやった分、今日は少しだけ時間をかけよう。
◇
眠気はすっかり吹き飛んだが、それでも外に出る気にはならなかった。その代わり、家で彼女とゆっくり過ごしていたい。
「映画観よ?」
「いいよ!」
二人でソファに座りながら、テレビでサブスクリプションの映画を流す。家族の話、恋人の話、友達の話。あまりしっくり来ないものもあれば、思わず頬を濡らされるものもあった。
人は何故、物語を描き、それを鑑賞するのだろうか。きっと、それは架空の世界を通して、現実の世界を見つめるためじゃないだろうか。
人生というのは、生きているだけで様々な受難を抱えるものだ。それに苦しみ、悩み、迷い続ける。だから、いつの世も人々は救済を求める。その一環として、物語の中に救済の手段を探しているのだろう。自分の世界で塞ぎ込んで、一条の光も見えなくなった時に、他人の世界で蜘蛛の糸を探すのだろう。
もっとも、救済のための話のせいで不幸を撒き散らすこともあるのだから、そう単純でもないかもしれない。
気付けば日は沈んで、窓の向こうは真っ暗になっていた。今夜は月の光も見えない。
いよいよ終わりが近付いてくる。どんな映画もいずれは終わる。だけど、それは悲しいことでもないのだろう。最後がハッピーエンドならば。
そう。悲しくない。決して、悲しくない。けど、寂しくはあるものだ。この夜景も、もう見ることは叶わないのだから。
視界がぼやける。そんな私を、後ろから抱きしめてくれる手があった。
「……………………」
「……………………」
お互い言葉は交わさない。それでも、心は繋がっていた。
◇
昨日、水族館で買ってきた人形を取り出す。どこに置こうか迷った挙句、自分の部屋の机に置く。親の買ったものだけで溢れていた部屋に、初めて自分の物が置けた。
いや、もう一つだけあったな。
机の引き出し。あの日以来、ずっと開けることはなかったが、何となく見たくなったので開けてみる。芳醇な木の匂いと共に現れたのは、下手くそな一枚の絵だった。
母の日に幼稚園で描いた絵だ。『いつもありがとう!』なんて、ありきたりなメッセージを添えていた。父と違って、母は自分の部屋には飾らなかったので、私が持っていたのだ。
何故か、それを見ていると目頭が熱くなってきた。
昨日、言えなかった言葉。伝えないまま終わっていいのか。
「………………」
ノートのページをちぎって、鉛筆を持つ。
「………………」
言いたいことは一杯ある。なのに、筆は進まない。いざ、自分の気持ちを言葉にしてみると、どれも本心とは違うような気がした。一文目を書き始めては、すぐ消して、そんなことを繰り返す。
散々迷った挙句、私の言いたいことなんて、たった一言で済ませられると気が付いた。
『お母さんへ。ありがとう。』
そんなありきたりなメッセージを、目一杯大きく書いておいた。
◇
いよいよ、今日という日が終わろうとしている。
月曜の朝に痣がついていたので、私が死ぬのは深夜の何時か。正確な時は分からないが、とにかく明日の朝にはもう死んでいる。
初めは眠っている間に死ぬ予定だったのだが、やめることにした。
最期の瞬間まで、冬夜と共に過ごしたいと思ったからだ。
ベッドの上で二人、肩を重ねる。
「この一週間、色々あったね」
「本当、七夏と出会ってから、何もかも変わったよ」
「……かなり変な出会い方だったけどね」
「あの蝉には感謝しないとね。……ひどいことしちゃったなあ……」
「でも、そのお陰で出会えた訳だけど」
「ジレンマ……」
「秘密基地も楽しかったなあ……」
「壊される前に、誰かに見せられてよかったよ。一人は楽だけど、寂しいからね」
「ゲームがあんなに楽しいって知らなかった。今まで、碌に触れたことなかったから」
「七夏の成長ぶり、凄かったね!」
「そりゃもう。昨日だってハンデがなけりゃ全部勝ってたよ」
「ほんとに?」
「……まあー、半分くらいは勝ってたかな」
「えへへ! それはそうかもね!」
「……冬夜はさ、明日から村に帰っても大丈夫なの?」
「大丈夫! お母さんも錦城さんも居なくなったから、多分ひどい目には遭わないよ!」
「…………………………ならいいけど」
「昨日は本当楽しかったね!」
「うん。この街のこと、あんまり好きじゃなかったけど、今は此処に住んでてよかったと思ってる」
「ええ!? こんな色々あるのに好きじゃなかったの!?」
「むしろ、色々ありすぎて疲れる……」
「そんなこともあるんだー……」
「まあ、何万とある施設の中で、使うのなんて家と学校と塾ぐらいだし。……最後に色々堪能できたからよかったけどね」
「水族館すごかったなあ……!」
「うん。昔行った時よりも、何倍も楽しめた気がする」
他愛のない話を続ける。
こんな時間が、永遠に続きそうな気がした。
けど、やっぱり終わりはあるんだ。
「……眠たくなってきた」
「大丈夫……?」
「うん…………。眠たいだけだから……」
「………………」
「…………冬夜、ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう!」
「本当なら、最期まで退屈なまま終わる予定だった。けど、冬夜のお陰で楽しかったよ……」
「私も、七夏のお陰で本当に本当に楽しかった!!」
「よかった……。私も、本当に本当に……」
「……………………」
「………………………………」
「……………………………………」
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………七夏?」
少女は微笑んだまま、もう口を開くことはなかった。
◇
さっきまで彼女の声が響いていた部屋は、静まり返っていた。今は、自分の心臓の鼓動しか聞こえない。
彼女の最期は涙ではなく、笑顔だった。じゃあ、私も笑顔でいなきゃいけないだろう。どうしても、涙は流れてしまうけど。
彼女に買ってもらったぬいぐるみ。
彼女は机の上に飾っていたので、私はその隣に置いておいた。
「…………ごめんね、七夏」
大丈夫なんて、嘘だった。
七夏が居ないこの世界で、生きていく自信なんて本当はなかった。
でも、彼女の隣で眠れるなら、それは幸せだと思うのだ。
今朝、こっそり買った風邪薬。
家にあったのも合わせて三瓶。
何回かに渡り飲み干した。
『おやすみ』
セミ少女 たまごかけマシンガン @tamagokakegohann
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