第42話 魔法の誓約書

「クレアンヌさまは聡明でお美しいですね」


「急にどうしたの・・・?」


「いえ、常々思っていたことなのですが、今日は給仕としてお側にいられるのと、ヴァインのおかげか血色がとても良く。

より一層きれいな人だなと思いまして、その瞳も冷静な奥深さと魅惑的な輝きとが同居しています」


「私に媚びを売るのね・・・。


あら・・・そうね・・・・・・。

今は私、あなたのお店のお客だったわね。

お客に媚びを売ってお酒を進ませるのも、ウェイトレスの役目ね。

あなたもわかっているじゃない・・・」


「え?あの、特にそういった意図はなかったのですが・・・!


あの、そんなに一気に飲まれては・・・

せっかくの高価なヴァインが・・・!」


「いいのよ。

ヴァインなんてまた買えばいいだけよ。


それよりも、こんなに気持ちよく硝子器グラスを傾けられたのは、久方ぶりね。


誰かに見られて、褒められることがうれしいなんて、私にもまだ女の心が残っていたのね」


「何をおっしゃるのですか。

クレアンヌさまはとても魅力的な女性ひとですから、きっとたくさんの殿方が貴女を放っておかないはずです」


 クレアンヌさまは瞳を曇らせ、自由に動かない脚を見つめる瞳には諦めが色濃く、久しく希望などないことを知っているようだった。


「私のことはいいわ。

もうどうにもならないことよ。


それよりも」


 クレアンヌさまの態度が見るからに変わった。

圧倒的な威圧感プレッシャー

直前までの和やかな雰囲気はまるで無かったように、僕を見据える瞳には力があった。


「ドネットと誘拐された時、あなたがどうやって切り抜けたのか。

ドネットからは聞いているけれど、あなたの口から直接聞きたいわ」


「わかりました。


でも、一つだけ条件を付けさせてください」


「肝が据わっているのね。

こういう雰囲気には慣れているのかしら?


いいわ。

どんな条件かしら?」


 僕にプレッシャーをかけても動じないところを見るなり、クレアンヌさまの態度はいつもの調子に戻った。


「僕は用心に超したことはないと師匠から教わっています。


ですので、これからお話することは、他言無用でお願いします」


「なあに、そんなこと?

もちろん話さないわ」


「では、こちらに直筆サイン血判けっぱんをください」


 ふところから誓紙せいしを取り出し、魔力を込めて誓約文を書き込む。

魔法使いは、どんな人にも真名を知られる訳には行かないため、異国の言語と異界の法則を組み合わせて文書を書き上げた。

クレアンヌさまの目には、文字とすら認識されないだろうけれど、魔光投影スクリーニングという魔法で契約内容をこの国の文字に置き換えて、名前もヘテロフィロス・オスマンサスとして表示した。


「まずこちらにお名前を完全修飾フルネームでお願いします」


 契約のため、特殊なインクの万年筆を手渡す。


「フィーロ、それはどこから取り出したのかしら?」


「魔法使いの秘密でございます。

効力を持つ正式な契約には欠かせないものですので、肌身離さず携帯しております」


 クレアンヌさまは僕の全身をざっと眺め、仕立てたばかりの女物の給仕服のどこにしまい込んでいたのかいぶかしんでいたが、すぐに誓約文に目を通しはじめた。


『ヘテロフィロス・オスマンサスの名において本誓約をうつつへとつなぎ止める。


誓約者は、これより半時はんとき誓主ちかいぬしとの会話を他言することなかれ。


なんじちかいのもと上述じょうじゅつの行いを約定やくじょうす。

本誓約を反故ほごとした場合、汝の三番目に大切なものを失う旨を定める。

この誓いは、誓主、または誓約者のいずれかの死によって棄却ききゃくされる。』


 一通り目を通したクレアンヌさまがつぶやくように尋ねた。


「ひとつ、いいかしら・・・」


「はい、どうぞ」


「この三番目に大切なものは、例えばどんなものが該当するのかしら?」


 少し震える声と血の気の引いた顔色。

得体の知れないものに対する恐怖は誰にでも芽生えるものだ。

それが例え怖いもののない立場に長くいた者でも、潜在的な恐怖はそう簡単に消えてはくれない。


「大切なものとは、物体や人物に限らず、思い出や名誉、食へのこどわりや特定のフェチズムなど、形のないものも含まれます。

そして、この誓約を交わした時の大切なものではなく、この誓約に反した時の大切なものが失われるということをご留意ください」


大切なものの三番目。

多くのものを持っている人間は、三番目のものがなくなったとしても、それほどの痛手にはなりはしないだろう。

だけど、今目の前にいる貴族の女性には、あまり多くのものを持っているとはいえないようだ。

明らかな動揺からそのことが見てとれる。


「あなたにも・・・それ相応のリスクがあるということよね?」


だけれど、僕にとっても、そのくらいの賭けになるのだから、どうしてもリスクは負ってもらわなければならない。

この誓約書を見せることですら、僕にとってのリスクがある行為なのだ。

相手が魔法に堪能な者なら、僕の命運は握られたも同然なのだから。


「はい。

でも、もしそのリスクとなるところを隠してお伝えするのであれば、この誓約はいりません。


大部分を割愛することにはなりますが」


「いえ、私も貴族の端くれですから、未知のものへの備えはし足りないということはないわ。


あなたの話を聞くために、誓約をするわ」


 迷いが払拭されたように、クレアンヌさまの手は滑るようにサインを書き上げた。

そして、食卓のナイフを左手に取り、右親指へ小傷をつけ、染み出す紅い血で判を押した。


「たしかに、直筆サインと血判をいただきました」


 誓紙を受け取り、インクが滲まないことを確認して懐へ納める。

仕上げとして祝詞を捧げることで正式な効力を発揮するようになるが、さすがに自分一人の魔力で誓約を維持し続けることはできない。

多くの場合、地脈や霊脈、龍脈、パワースポットと呼ばれるような場所の力をかりて、誓約を維持する方法をとる。

幸いこの街には力の流れが集まる脈所があるため、後日その場へ行き、祝詞を捧げ、誓約を正式なものとする。

この街は良くも悪くも、大きな流れの交差点に位置している。

しかも、街全体が壁に囲まれているので、その流れをある程度せき止めている。

祭事を行うなら、いい場所はたくさん見つけられるだろう。


 今は直筆サインと血判による仮の約定だが、効力がない訳ではない。

護符ごふ用としても用いられる誓紙と、魔力を込めた誓約文、特殊なインクと血判によって、祭壇としては十分に機能している。


「では、これより半時の会話内容は他言無用でということで、会話の録音や盗聴による誓約外の第三者には知られない方法でお伝えしたいと思います」


 クレアンヌさまは手を軽く挙げた。

僕はそれを優しく制して。


「念話というもので、私からクレアンヌさまにだけお伝えするので、他の方々はそのままで大丈夫です」


「なるほど・・・そのための誓約でしたのね」


 納得したようにクレアンヌさまは手の力を抜いて、元の位置に戻した。


 僕とクレアンヌさまのやり取りを鋭い目付きで見守る近衛隊や、聞き耳を立てている監視の方々もいる。

そばにはジュリーさんとサイネリアさん、ドネットさんも控えているので、どの道この誓約書だけでは情報が漏れることは明らかだが、僕には師匠から教わったムイスィル《мысли》【思念伝送】がある。

多用すると脳の思考回路に損傷をきたすので、あまり長く使っていられないのが難点だが、こういう状況ならいたし方ない。

確実な方法を取らないと、僕自身の身は守れない。

脳の回路なら僕のような若さなら日々活発に壊れて・組み立てられてを繰り返しているという。

師匠の年であれば致命的な損傷にも繋がるが、子供のうちなら少し無茶をしてもギリギリ持ちこたえられる。

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