第16話 料理長のマルコーさん

 隣の部屋を覗くと、マルコーさんと見受けられる男性が、椅子に座って何やらたくさんの献立メニューや買い物リストを書き出しているようだった。


「マルコーさん、ですよね。こんばんは」


 僕は控えめに声を掛けたが、集中しているようで聞こえなかったみたいだ。

近づいて献立を覗くと、数日分の朝、昼、晩の料理が書き留めてあった。


「あの、お忙しいところ、すみません。マルコーさんですよね?」


 僕はそっと自分の小さな手を肩にのせて尋ねてみた。

先程絞ったラモーネの香りが少し香っただろう。


「何だこの手は!?

お!?

あんたナニモンだ!?

どっから現れた!?

食材泥棒か!!?」


「わぁ!ごめんなさい!

驚かせてしまいましたね」


 ガタンと勢いよく立ち上がり、今にも握った万年筆ペンで殴りかかってきそうなマルコーさんに、僕は顔の前でぶんぶんと手を振った。


「違います、違います。

僕はヘテロフィロス・オスマンサスと申しまして、先程の晩餐であなたのお料理がとても美味しかったので、お礼を言いにきたのです。

どうかフィーロとお呼びください」


「何?

今日のお客人のフィーロ様だったか。

これはすまない。

わざわざご足労を」


「僕こそ、お仕事中にすみません。

マルコーさんの作ってくださったお料理。

とてもとても美味しかったです。

ありがとうございます」


「いやいや、なんの。

俺にはこれしか出来ないもんだから、お気に召されたのなら良かった」


 照れ笑いを浮かべるマルコーさん。

少しお腹の出ている丸々とした体形で、この人の作る料理はきっとおいしいんだろうなと思わせる見た目をしている。


「僕、クレアンヌさまからの依頼ごとを賜ったので、今日から少しの間、このお屋敷にお世話になることになりました」


「ああ、その事ならブルーベルから伝言を受けているよ。

なんでも一カ月くらいはここにいるかもしれないんだろう?」


「はい。それで、僕からマルコーさんへ、少しお願いごとがありまして・・・」


「なんだい?

言ってごらん。

俺に作れるものならなんでも作ってやるぞ。

森鹿や森猪が手に入りゃ、俺の故郷の味だってご馳走してやれるぞ」


「ありがとうございます。

今日いただいた料理はどれもおいしかったので、マルコーさんの作る料理なら何でもおいしいと思います。

なので・・・」


 一泊置いてから続ける。


「お願いなのですが、僕もクレアンヌさまと同じお料理を食べることはできますか?」


 マルコーさんは、僕の言葉を聞くや否や。

僕の襟元に掴みかかる勢いで迫ってきた。


「なんだって!!?どうしてそんな!?いや、待て?

フィーロ様、あんた。

どうしてご当主様が肉や魚を食べないことを知ってるんだ!?今日来たばかりだったろう??」


 う、ちょっと苦しい・・・。


「僕、目が良いので、見えてしまったんです。

本当にクレアンヌさまは、肉や魚はお召し上がりにならないのですね」


「ああ、そうなんだ。いや、おい。

本当にって事は、俺今、言っちゃまずいことを!?」


 少し首元が緩んだ。


「い、いえ、それは大丈夫です。

ほとんど確信してましたから」


「そうか、なら良かった。おい、正気か!?

せっかく貴族であるご当主様が、なんでも食えって言ってくれてるんだぞ??

肉も魚も食い放題!!

それなのにどうして肉や魚を食べないなんてことを言い出すんだ!?

まさか、今日の料理は最悪だったのか!?

俺としたことが、とんでもなくまずいもんを出しちまったのか!??」


 また首元がきつくなる。

マルコーさんの剣幕に負けないように、僕も少し声を張る。


「いえ、今日のお料理はとっても美味しかったです!

さっきの言葉は決して嘘じゃありません!

また食べたいくらいです!

それでも・・・僕はクレアンヌさまと同じ料理を食べてみたいです」


 僕を解放したマルコーさんは、机に頭を抱えて椅子に座り込み、落ち込んだ表情を隠しもせずに僕に何か訴えかけるように見つめてくる。

もしかすると、マルコーさんは普段と違う『客人のもてなし料理』を作る事ができて、楽しかったのかもしれない。

彼は貴族の家に召し抱えられたのだ。

それなりの腕と自信があったに違いない。

それが、今はご当主様に肉なし魚なしの料理をと注文されているのだ。

貴族のお屋敷の料理人としてはプライドが立たないのかもしれない。

僕も今日食べた料理は、味や彩りの種類も豊富で、量・質共に間違いなく人生で最高のご馳走だった。

だけど・・・。


「マルコーさん。

今日僕はあなたに、僕の人生で最高のご馳走を食べさせていただきました。

その事にとてつもなく感謝しています」


 ゆっくりとマルコーさんに語りかける。


「だけど・・・。

僕にとって動物や植物は、この世界に生きる僕と同じ生命で、その一つ一つが命の塊なんです。

簡単に命を奪っていいとは、とても割り切れないものなんです」


 それを聞いたマルコーさんは俯き加減になってしまった。


「マルコーさん。

それに、僕は実は少食なんです。

今日はたまたま朝から食べる機会を逸して、何も食べていなかったので全てのお料理を味わうことが出来ましたが、本来は今日の量の4分の1くらいがちょうどいいです。

それも、できるだけ奪う命は少ない方がいいと思うから、最低限の量がいいと考えているためです」


 何か堪えるように静かに聞いてくれているマルコーさんは、見るからに悲しそうな顔をしている。

すごく申し訳ないことをしていると、僕も思う。

だけど、こんな機会はめったにないし、この先巡り合えるかもわからない。


「もしかすると、僕の考える理想に近い食生活をされているのが、クレアンヌさまかもしれない。

だから、クレアンヌさまが食べているものを、僕も食べてみたいと思ったのです。

そして、普段からクレアンヌさまの食事を用意しているマルコーさんには、これまでのクレアンヌさまの体調を肉や魚なしで保ってきたという、とても凄い才能があると思うのです。

僕にも同じ献立メニューを用意していただけるなら、この上なく嬉しいことです」


 僕の話に耳を傾けてくれていたマルコーさんは、静かに僕の目を見つめた。


「フィーロ様・・・わかったよ。

でも、既に仕入れちまったもんは、できれば食べてくれるとありがたいんだが、それからでもいいか?」


 観念したような顔つきで、マルコーさんは僕にそう告げた。


「ありがとうございます、マルコーさん」


 僕のわがままに付き合わせてしまって申し訳ないと思うけれど、僕としても譲ることができないことはある。

動物は他の動物や植物を食べて生きている。

植物をそのまま食べるよりも、多くの生命の重さがあると思う。

だから、動物性の肉や魚を食べないことは、より少ない生命の犠牲で生きることだとも言える。

旅の中で様々な生き物を見てきたことで、実感してきた。

その考え自体は、師匠の生き方に憧れているということもある。


 マルコーさんの客人用の仕入れは、基本的に3日分をまとめて行っていて、今日の分も含めて3日は食材を新たに仕入れることがないということだった。

4日後以降の食事は植物のみで用意してくれることになった。


 僕の旅の食事は、一日に2食で過ごすことが多い。

基本的には一人旅は過酷なので、植物性の食事だけでは栄養価に不安を覚えることがある。

そのため、干し肉や干物ひものなどを資金や漁獲が潤沢じゅんたくな時に作り置きして、日々の食事に取り入れている。

もし、全く動物性のものを食べなくても、活動に支障がない事がわかれば、金銭的にも調達労力的にも、生命に対する考え方としても、これからの旅路への不安がいくつも払拭されるだろう。

神様にマルコーさんやクレアンヌさまとの巡り合わせを感謝したい。

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