残されたミライ
ずしりと重い感覚が、私の腕にある。しかし、その重みを、私は何時間でも支えられる。間違いなく、支えられるという感覚があった。
まるで何かに起こされたように、私の頭の中に情報が一気に入り込んでくる。
背の高い女の後ろ姿がある。その姿を見て、私には目がある事を認知する。
喉の渇き。光の屈折。この光は――太陽か?
「なにぼけっとしてんのよ!早く来なさい、オメガ」
背の高い女が一度、振り返って言う。
……アメリ―。いや、エンジェル。
……違う。あれは、アンドロメダ。
そうだ、アンドロメダという女だ。
アンドロメダのこめかみと首すじの一部が青く点滅する。
私に背を向け、小走りで先に駆けていく。
子供が泣いている。
「アンドロメダ!なんで!なんでスナックはダメなの?」
地面、地面は白く滑らかな鉱石が張られているようだ。滑りそうになる。私の身体は、それに滑らないようになっているらしい。
上を見ると空がある。真っ青な。雲も流れている。
――懐かしい。この感覚は、合っているのか?
私はこの空を見るのは初めてだ。なのに、懐かしいという感傷がある。
私は、この空が、本物の空でない事を知っている。
それよりも、急がなければ。子供が泣いている。
子供じゃない。いや、子供なのだが、あの子供の個体名は、ミライ様だ。
ミライ様が泣いているのは、私にとって不利益な事なのだ。
「オメガ!キャンディを一つだけお願い、早く」
アンドロメダの声は良く通る。うるさいくらいに。
これから乗り込む航空機は、隣の惑星に飛ぶ。
ミライ様の父上様と母上様が住む星。
私の衣装にはポケットが付いていた。ジャケットの右ポケットにいくつかのキャンディが入っている事を思い出す。私はそれを一つ手に取り、アンドロメダに投げた。
ここで、私は気づいた。私の手は四つある。荷物を抱える手とは別に、余っている手が二つあることに気づいたのだ。
私は、人間ではない。そして、アンドロメダも。しかし、限りなく人間に近い。
それは、ミライ様を見ればわかる。アンドロメダは、ミライ様とよく似ている。
性別がではない。見た目の事だ。
ミライ様があと数年生きていれば、アンドロメダのようになりそうだ。
私は、予測も出来る。
心。私は今、アンドロメダとミライ様を見て、笑ったらしい。
足が速く動く。スムーズに。
アンドロメダとミライ様が航空機に乗り込む。私は航空機の側面のトランクに荷物を積み込む。そして、運転席のシートに座った。
航空機は簡単に浮遊して、宙に伸びる緑の発光線の上を走り始める。
「ねえ、オメガ」
ミライ様が後ろの席から私に声をかける。カラコロと口の中のキャンディが鳴る。
「ポケットの中のキャンディを全部よこしなさい」
ミライ様は我儘だ。
「それは出来かねます、ミライ様」
ミライ様は悲しそうな表情をする。私には頭の後にも目が付いてるらしい。
「いつもそうやって、私をいじめるのね。アンドロメダも、オメガも。だから私、お父様にもお母様にも、いつも叱られてしまうのだわ。だって、そうでしょ。あなた達が私に優しくしてくれないんだもの。意地悪にもなってしまうわ。あなた達は私の気持ちを分かっていないの。だって、人間じゃないもの。それはわかって?
でもいいの。あちらの星にいけば、お友達も出来るだろうし、お父様もお母様も、私が良い子にしていればきっと叱らないでいてくれると思う。うん。私、そういうのって出来ると思うの。そう思わない?アンドロメダ、どう思う?オメガも、そう思わない?きっと出来るよね。私になら。きっと。
ねえ、オメガ。あなたは私のお父様が造ったのよね。だったら、私の家もわかっているのでしょう?どんな家なんでしょうね。あなたはもちろん行ったことあるんでしょ?アンドロメダも。いいな。
ほら、私って、行くの初めてだから、迷ってしまうかもしれないじゃない。だからね、少し緊張しているの。その時は助けてよね。きっとよ」
アンドロメダが、ミライ様の頭を撫でている。私は一つの手でポケットからキャンディを取り出してミライ様に渡した。
ミライ様は涙を流している。航空機が発着場から離れていく。足元からその様子をじっと見ているようだ。故郷を離れる。ミライ様はこれから、初めて父上様と母上様に会うのだ。
ミライ様の言う、叱られていたという事実は、遠く離れた地から中継された画面を通しての事だ。ミライ様は、まだ父上様と母上様の腕に抱かれたことは一度もないのだ。これが、人間という生き物。
太陽系にあった、地球を模したこの星も、最近では移住者が増えた。しかし、その大半は私とアンドロメダのような人間でない者だ。人間の主人がいて、その従者が住む星。ミライ様を守り育む事。私とアンドロメダに課せられた使命。
次々と流入してくる情報は、私の中の記憶を削ぎ落しながら埋まっていく。
アメリ―。エンジェル。ギルミット博士。戦争。地球の死。
留めておかなければならない記憶。それはすべて、ミライ様のためだ。
私とアンドロメダが最後に見た、地球消滅の記憶。組み込まれたデータ。
「オメガ、大丈夫?」
アンドロメダはこういう事を時々言う。私は、大丈夫なはずだ。
「問題ない」
私は航空機を自動運転に切り替える。シートに身を沈める。
「アンドロメダ。オメガ。ありがとう。これまでずっと一緒に居てくれて。私、これからはあなた達から離れて過ごすことにするわ。あの星を離れてからもう二十年経った。お父様も亡くなり、お母様は自らの意思で宇宙に飛んだわ。これから、私は一人で旅をしようと思うの。止めないで欲しい。だって、そうでしょ。いつだってあなた達は傍にいて、私を守ってくれていたんだもの。私が旅に出るなんて言ったら、きっと付いてきてしまうのよね。でも、堪えて欲しい。
私、一人になってみたいの。あの星を離れる時、私、言ったよね。友達が出来るかもしれないって。でもそれは、当然、期待していなかった。それよりもお父様とお母様に会える。ただそれだけが嬉しくあり、不安だったの。その一抹の不安を払ってくれたのもあなた達だった。本当に、感謝してもしきれないわ。
あなた達は、私の一番の友達で、一番大切な家族よ。
あなた達はこれから自由になる。どこに行くかは自分達で決めて欲しい。それが、自由に生きるって事だから。でも私の事は覚えていて欲しいな。きっとよ」
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