ハピエンだって言ってくれ。

@osorairo

第1話

 ある秋のこと。高校に通わず音楽活動をしていた僕は久しぶりに学校に向かった。とてつもなく顔がいい僅かに青みがかった目に空をうつすそいつがそこにいた。

彼と初めて話したのは音楽室。放課後一人で今度のコンクールで出すピアノの練習をしていた時。あの目で演奏しているところを見られて、まだ誰にも聞かせていない曲を聞かれた。彼が泣きそうな顔をしたから僕は、

「綺麗な音だろ?」

とほくそ笑んだ。口角を片側だけ上げて眉を細め

「ああ。」

と言った彼の目は少し濁って深みを増した。

特に長い話をした訳ではないけれど久しぶりに音楽以外の話をして、僕にとって少しの青春を彼はくれた。

次の日、コンクールに出た時の彼のDVDを見せてもらいに彼の家に行った。とても荒々しくて、どこか深い熱をもった音は僕の胸を高鳴らせた。

「下手だろ?」

と彼はあの笑い方をしてガラスのコップに水を入れてきてコースターの上にそれを置いた。振動でコップの水が揺れてそれがどことなく彼の目の虹彩に似ていた。

「そうだね。でも僕は嫌いじゃない。」

腰を下ろしかける彼にそう答えて満面の笑みを向けてやった。

「お前性格悪いって言われるだろ。」

「誰に?」

「友達とか業界の人達とかにさ。特にお前親の七光りでテレビとかにも出てんじゃん。」

「ふふっ。俺友達いないよ笑。それにテレビとか出ても僕のことは何も聞かれない。父さん達のついでみたいに扱われるだけだし。」

「そうなのか。」

ふーんって顔しながらうなじをポリポリ掻いて少し気まずそうにした。その日真正面から顔を見てああ綺麗だ。と、そう思った。

それからというもの、彼が与えてくれる優しさに甘えて業界とも離れて学校にも行くようになった。父も母も止めはしなかったけど、ピアノを弾いて欲しいっていうのは言い続けてきた。それは僕も望んでいるし弾くのをやめなかった。

僕の親が家にいないからって彼は朝起きたら朝ごはんを作ってくれていて、眠れない時は電話して寝落ちして。学校を一緒にサボって金のない僕達は子供料金で動物園に入って、写真を撮っていたらプリクラ撮りたいって僕が言って帰りに人生で初めてのプリクラを撮った。プリ機の周りは女の子ばっかで少し恥ずかしくてでもそれがまあ楽しくて。言わないけど動物園で彼が撮った写真は結構綺麗で、あの目に映ってるのはこういう景色なんだと知った。僕は恋をした。日常のなんの変哲も不満もない時間に刺激を与えくだらない望みを叶えてくれる。心のどこか、パズルのピースが抜けていたそれを埋めるように彼を想う気持ちが強くなって落ちていった。彼に焦がされて。他愛もなく流れる時間。小さな幸せは白黒だった僕の世界に色をもたらした。

色のついた世界は音を纏って確実に僕達を侵食していった。歪みをつけた音は美しく楽しいけれどどこか僕達は孤独で、紛らわすようにいつもなにかをしていた。

けれどだんだん衝突することが多くなり次の年の冬の終わり、テーブルを叩いた振動でクッキーが割れた時唐突に気づいてしまった。いや、本当は最初から分かっていた。彼が僕の音楽を聴くたびに辛そうなこと。僕がピアノを弾く限り彼は自分の音楽を見失う。そして僕の音も変わること。それは自分が変わっている証拠であり彼が僕の世界に入ってきたということでもあった。根本的に僕の音楽は彼の苦しみにしかならなくなっていって、それを気づきながら僕が無視していたんだと。

彼が好き。どうしようもなくてもそばにいたい。そばにいたい。だけど、傷つけたくない。傷つきたくない。一緒に音楽をしていたい。壊したい。大切にしたい。音楽が無かったら僕達はきっと上手くいったと思う。

けれど音楽が無いと僕は生きていけない。きっと彼も音楽のない世界にはもう住めない。

心の隅ではもう、早く終わって欲しいと願っていた。

なんの前触れもなくコンクールで一位をとった僕は舞台裏で待っていた彼に、腫らした目で微笑みながら

「終わりにしよう。」

と言った。

彼のいない帰り道はとても脚が重く低い段差にもつまづいて、視界が涙で見えなくなっても拭うのは自分しかいなくて。ばいばい。って心ん中はぐちゃぐちゃのままでも受け入れるしかない。そしていつの間にか多彩になっていた世界をかき回して濁り続け、次の日は土砂降りの雨が砕けたクッキーのような心の音をかき消してくれた。もう二度とあれ以上の恋はないだろう。

 彼はいつもと同じ様に僕の家に朝食を置いて行った。学校に行ったら彼の目は昨日の僕と同じ様に腫れていた。お互いがまだ未練を持ったまま関係は収束し、また新たな関係で一緒に居続けることになったけど、ずるずるとぐちゃぐちゃな心はいつまで経っても僕の中では変わってくれなかった。思い出の場所に行ってキスをしたり、プレゼントをくれたり。彼はずっと僕を想い続けていたのが伝わっていたけどそれでも

、僕が応えることはなかった。色づいた世界はだんだん濁りきっていくけれど僕たちはそれを止めることが出来なかった。

 春が来て彼は大学生になり、僕は本格的にピアニストとして音楽業界で働くことになった。海外に行くことも多くなってあんなに一緒にいたのが嘘みたいに月に二、三日間程しか会えなくなった。それでも僕は彼の事をひと目見るだけで元気になって彼の大学の話を聞くだけでも幸せを感じていた。けれど、もう優しくされる度あの目を見る度苦しかった。

彼がピアノをあまり弾かなくなって、違う音楽を好きになりそうになると

「お前はピアノ捨てるのかよ。」

と吐き捨てた。衝突の原因は大体いつも同じで投げかけられた質問に彼は言葉を失う。未だに離れられずに、諦められずに引き止めて。上手くいかない。そういう日は決まって二人とも泣いているのを誤魔化す様に乱れた。一緒に行った動物園も公園もこの家もあの音楽室でさえもはじめから無かったことになって出会ったあの日すらも無かったら。そう考える様になった。

僕が仕事で日本にいない時は元々モテる容姿をしている彼は女で遊んで酒に溺れて音楽にもなあなあになってドロドロとしたものに壊れていった。

海外でジムノペディ 第1番 – サティを演奏した時に彼がモデルを始めたのを知った。あれ程好きだった音楽を、ピアノを手放してしまうなんて。彼はもう僕を見なくなる。この関係までも終える気でいる彼が怖くなってすぐ日本に帰ったけれどもう遅かった。僕に向けた顔と同じ顔をする彼の横には次の人がいて僕といた世界とは違う世界の人間になっていた。もう戻れないんだ。僕は耐えられなくなってもう一度日本から離れた。

それから何もないまま二年が経ち一抹の希望を持って日本に戻り、久しぶりに会ったのは白いタキシードを着た彼だった。しかも小さな子供を連れて。

シャンパンを片手に

「ピアノ。今も、大好きだよ。だけど今はこの今がたのしいんだ。」

彼はそう言い残して去ってしまった。僕は何も言うことができなかった。自分からふっておいて。勝手に傷ついて、嫌いになれずに会いたいという理由で結婚式まで出て。バカみたいだ。なにより、おめでとうの一言さえも心から言えない自分自身に一番腹が立った。

披露宴の会場に真っ白のグランドピアノが置いてあって、あの時初めて彼に聞かせた曲を思い出に浸るように弾いていたら、

「綺麗。お兄さんかっこいいね!」

と彼の子供が走ってきて暇つぶし。いや、気を紛らわす為に少しの間ピアノを教えた。

ずっと彼との間にあった濁り。子供の綺麗な黒髪を抜ける柔らかい風と共に、濁りきっていた筈の僕の心は浄化する様に真っ白に上から塗りつぶされた。

 数日後僕は純粋無垢な子供という存在に頼り、今度は海外での仕事を休憩して小さなピアノ教室を開いた。作曲をしながらは割と忙しくて彼の事を考える暇もあまり無くなった。白いキャンパスの上に新品の絵の具をのせる様に明度の高い音色をのせていく。だんだん僕はそれに生きがいを感じるようになっていった。もうあれ以上の幸せはないと思っていたのに子ども達は新しい幸せを呼び寄せてもう一度生きる意味を与えてくれた。そんな気がした。音楽を、人を、彼じゃない別の人たちをもう一度愛せる。


父の結婚式は今でも鮮明に思い出せる。幸せな家庭、環境。何も不自由のない生活。何も特別がなかった俺に急遽現れたぼくのかみさま。大きくてまっしろのグランドピアノを分身かのように操るこの人はとても綺麗に見えた。父の友達の柚はぼくのたった一人のかみさまで、この日から柚はぼくの特別になった。

ピアノ教室を始めた柚は優しいけれど父を避けているようだった。父が僕を送る時も特に話はせずそそくさと教室に入った。

僕は耳がいい。だから気づいた。柚は莫大な量の感情を持っていてその大半を占めているのが柚の耳からの情報だった。何かを聞く度に普通の人が思ううるさい、大きいという一般的な表現から柚には

「チャイコの協奏曲ってこんなんだったかな。色にするならこれは何色だろう。赤ちゃんはこれくらいの音でびっくりして起きたりとかするのかな。」とかを樹木のように枝分かれしながら言葉にできないことまで考えて、それに喜怒哀楽を感じている。でも父の声を聞く時はなんともいえない苦しそうな目をする。普段広い感情の器で感じ取る柚が父にだけなぜそうなるのかぼくには分からなかった。

ぼくのかみさまは一般的な神様と違って神々しい訳でも柔らかい印象でもない。色素が薄いのか肌は青白いほど真っ白で、目は奥が見えない程真っ黒。角張った整った顔をしていて黙っていると少し怖くも見える。でも柚が与えてくれるピアノの音は柚の音は見た目とは対照的な明るい鮮やかな表現をする。それが心地よかった。

中学に上がる頃柚はがんになった。僕は病院に通って柚のお見舞いに行った。

「大丈夫だよ。お父さんとお母さん心配してしまうだろうからはやく帰りな。」

「心配ないよ。すぐ治るから。」

「ほら、もうすぐテストだろ。勉強しろよ!」

「ははっ、何泣いてんだよ。そう言えばこないだのvideo見たよ。上手くなったじゃないか。続けてくれよ。頑張れ!でも主旋律のこの音が…」

「体育大会徒競走一位取ったのか!凄いなあ!モテるぞ!!笑」

「一週間退院出来るそうだ。一緒にどこか行くか?」

「写真上手いなあ。僕と桜がよく似合ってて絵画みたいだ!ははっ!」

「泣けるなあ。もう卒業か、受験合格おめでとう!」

「もっかい入院だとよ。まあまたすぐ治すから!」

夏の暑い日に再発したがんは進行が早かった。

医者の話を聞いてあともって半年と知ってぼくは毎日彼に愛を伝えるようになった。ピアノの音で。撮った写真で。言葉で。笑顔で。

「そういうのは僕じゃなくてクラスに好きな子作ってイチャイチャしとくもんだぞ。」

「お前の大事な青春に僕を巻き込むな。」

「なんで懲りないかなあ。僕はもう恋愛するには遅すぎるし、する気もない。一生忘れられない人がいるんだよ。」

と、ありきたりな振り方や独特な言い回しまで使って諦めるよう柚は言い続けた。

「もうすぐ桜が咲くのか。ほんとに死ぬのかな僕。なあ、僕の通帳と遺品。お前が受け取ってよ。僕親とか恋人だったやつとかに見向きもされなくなっちゃったし。どうせなら一番僕のそばにいてくれたお前にやりたい。」

そう言い残してぼくのかみさまはこの世界から居なくなった。遺書なんか残さずにあれを遺言にして柚の父親の弁護士から通帳と遺品もろもろを頂いた。通帳には柚がピアニストとして活動していた時の給料みたいなのが三回人生生きれるだろくらいの大金が振り込まれていて少しびびった。遺品もごちゃごちゃ沢山あって一つ一つ見ていたら父との写真や父とお揃いのネックレス、あの時聞いた楽譜、ぼくが弾いた曲のレコードが出てきてその中に一つ綺麗に封をされているのを見つけた。中には柚の手書きの楽譜があって途中から筆跡が変わっていた。ぼくはそれを家に帰って弾いた。

穏やかで暖かくて綺麗で。けど苦しそうで、柚らしい音楽だった。父はそれを聞いてネックレスの飾りを握りしめ自室に朝までこもりっきりになった。

それから、かみさまがいない世界に取り残された僕は跡を追う様に音楽大学に通いそこそこのピアニストになった。確かに恋らしきものをしていたけれど今となっては尊敬、信仰に近いものになって柚の楽譜は世界に出していないけれど夜寝る前に弾いてかみさまを思い続けた。夢にすらさえ出てきてくれないけれど確かにぼくを見守ってくれている。そんな気がして目を閉じるのだ。


貴方に出会って、ふわふわと描いていた夢をぶち壊された。けれど大きな壁は俺を飲み込むようにしてそちら側の世界に引っ張られた。色白の女がタイプだったはずの俺は貴方に出会ったせいで変わってしまった。心臓を貫くように痛む貴方の音楽を聴いていると支えたくなる。ぐちゃぐちゃにしてやりたくなる。そんな貴方が大嫌いだった。恋という感情は柔らかで美しいものだと思っていたけれどそれはただの妄想、勘違いだと気付かされる。貴方は音楽以外は、ほぼ全部がダメダメで飯すらまともに作れない。友達になってしまったからには放っては置けないし、頼られるのは悪くなかった。話は合うし割と楽しいから貴方が行きたいという場所に連れて行って馬鹿みたいに貶しあって褒めあって。くだらないという幸せを貴方は教えてくれた。撮った写真はプリントしてアルバムにして大切に保管もして、普段ならやらない様なお菓子作りなんかも貴方のためにやるのは楽しくて、ほとんどなかった俺の欲は日に日に増していった。想いは形を変えて貴方に染められたぶん貴方を染めた。

突然「終わりにしよう。」と言われた時意味がわからなかった。ぐるぐるとする頭。染め合った生ぬるい世界に亀裂が走る。やっぱり貴方が大嫌いだ。それでも一緒にいた時を細やかな思い出が貴方がいない世界を生きたいとは思えないようにした。それからヤケを起こして女や酒で紛らわそうとしたけれど一途に貴方を思う気持ちだけは変わらなくて貴方の音楽が聞こえてくる度に胸が苦しくなって八つ当たりをした。ピアノから逃げたくなって他の音楽に手を出すとまた離れかけた俺を引きずりこむ。ふった、ふられたのにお互いをまだ求めていた。好きで、大嫌いで貴方は美しくて、羨ましくて、綺麗で、欲深くなる。

貴方が忙しくなって家を開けている間遊びまくっていた俺に、感の鋭い女はつけ込むように自分の一番深いところに簡単に触れてきた。貴方を忘れる為にこの女を利用して全く違う世界、モデル業に就いた。物事は上手くいく時は怖いくらいに上手くいって、三十手前でそこそこ稼げるようになり彼女と結婚をすることになった。全てを知っている受け入れてくれた彼女は子供を欲しがって、養子でもいいと了承してくれた。子供は可愛くてそれまで挙げていない結婚式に子供にもお洒落をさせて参加させた。元カレになった貴方を呼ぶべきではないと分かっていたが友達という枠で貴方を呼ぶ。ただ、会いたいとそれだけで。来てくれないとも思っていた。顔を見たら言いたかった言葉が沢山あったはずなのに出て来なくて、振り絞った好きはきっと貴方には伝わらなかっただろう。貴方にどう見えていただろう。俺の表面的に見える幸せの裏にはずっと貴方を思う気持ちがコップから漏れそうに溜まっている。彼女は横で肩に手を置いて笑顔で励ましてくれた。子供がフラフラ会場を歩いていってついて行くと貴方がピアノを弾いていた。あの時と同じ感情を持って辛くなり、それでも惜しむようにその場を離れた。貴方の音楽を聞きたくなかった。聞きたかった。

いっそ離れて遠くに行きたいと思ってしまったが、子供が貴方を気に入ってしまってピアノを教えさせることになった。やはり、離れることはできない運命なのかもしれない。貴方に会う時は決まってどきどきして、貴方に侵食されていたあの時を思い出す。色褪せた思い出達が未だに俺を蝕む。もう二度とあの日々に戻ることは出来ないけれど、痛いだけだった今までから新しい春がやってくる頃にはあの日々以上をもてるかもしれないなんて希望を時間のおかげで少し持てるようになった。

時は刻刻と進み、子供が受験の年になった頃貴方は入院した。たまに子供を車で病院まで送って行って病室に入りはしなかったが、様子を知りに聞いていた。胃がんだった。貴方のドクターの話を盗み聞きして進行性の低い治療困難ながんにかかっていたことを知った。貴方がこの世界からいなくなるかもしれない。ならばいっそもう一度やり直せないだろうか、なんて甘い考えも、浮かんだが貴方を遠ざける様なことをして、顔を見るなり逃げるように去っていくように仕向けた俺が今更俺の世界にまた引きずり込もうなんて虫が良すぎると黙ったままでいた。毎度病院から帰る時貴方が病室の窓越しに見えて、脳内で彼のピアノを思い出した。大嫌いで世界で一番好きな人だった。多分これから先もずっと。

何も言えないまま時が過ぎ、貴方がこの世から旅立った時硬直した貴方の体に俺は触れていた。また俺を置いていった。

聞こえてくるあの音。お揃いのばっちいネックレスを握りしめ俺は貴方に逢いに行くことにした。


いつまで眠っていたんだろうか。目を覚ますとそこには柚の顔がある。途端に「ひざまくら」されていることに気がついて飛び起きた。

「なあーにキョドってんの。ご飯食べた後すぐ膝に乗ってきて寝ちゃうんだもんこっちがびっくりしたいよ。ふふっ。」

この声この顔この表情!間違いなく柚だ。

「まだ寝ぼけてんの?ほら、さっさと学校行くよ。」

「あ、おう…。」

どうやらネックレスのまじないは本当だった。柚とおそろいのネックレスは、願いを叶えてくれるというばあさんから買ったものだった。握りしめ、強く願うとそれが叶う。それと引き換えにペアの人の何かが失われる。柚に会いに行きたいという願いをまじないが叶えてくれたのだ。大体高校生くらいの柚に会い、引き換えは何を持っていかれるんだろう。と考えていた。「あのさ、ピアノと俺どっちかしか選べないとしたら柚はどっちをとる?」

「わからない。」

「そんなんじゃやっぱまだここには行けないなあ。」

「なんだそれ?」

 柚が持っていた1枚のチラシに目を通した。

「音無町……?」

「一緒にみてたのにもう忘れたの?そう!音無町!ここに行けば音楽を自由自在に操れるようになるんだ!」

「怪しくね?てかもう柚それじゃん。」

「ふふっ。そんなことないよ。僕にだって出せなくて出したい音くらいある。特に指二本無くなっちゃってからはね。」

よく見ると柚の左手の親指と右手の小指が無くなっていた。

「これが……。」

神様は意地悪なのかもしれない。俺の心の内を簡単に破り開く。

失うものが彼の指だなんて。でもそんな中で少し安堵した自分がいた。柚が完璧な旋律を彩ることが出来なければ俺たちのしょうがいはなくなる。ただ、それを俺が勝手に奪ったのは事実で……完全に自己中な話しだ。

「なに?どうしたの?」

柚の声で背筋が伸びて頭はパンパンになって焦るように、

「ちょっとコンビニ行ってくるわ。」

「あ〜気をつけてね。」

と、その場から逃げた。外は明るく眩しさを感じ俺の頭の整理をさせてはくれなかった。三十分ほどして帰るとピアノの音がした。あの時の音に似た全く違う音。それはあの時の心を抉られるような、夢をぶち壊すような音じゃないもっと優しく滲んだ絵具のような音。そして正直に、

「ああ、これでいいんだ。これがいいんだ。」

と逃げ道を探した俺のゆく果てだと理解した。

俺たちにとって一番のしょうがいの無くなった世界は何一つ問題なく滞り、時間の許す限りを終えた。才能のないピアニストの俺と才能がある指をなくしたピアニスト。どちらも恋愛そして仕事も上手くいき、何もかもが幸せだった。しかし次第にこの偽りの世界で幸せになることに意味があるんだろうかと考えていた時、現実世界の息子が現れた。

「どう?満足した?ぼくのかみさまの指を消した代償に父さんは何を払ってくれるの?」

「なぜ俺を父さんと呼ぶんだ?何故ネックレスのことを知っている。」

「それは俺がこのピアノを弾いている時だけネックレスの願いを叶えられるからさ。」

そこで急にバツンッ。と世界が途切れ現実に戻った。

「父さんと柚の事はもう分かってるよ。耳、聞こえてるんだよね?母さんが聞こえてないって嘘を言ったけど僕は気づいてたよ。」

「じゃあネックレスの事…。」

「それは柚が頼んできたんだ。「音無村」聞いたことあるでしょ?柚がその村に記憶を残したまま来世産まれくることが出来るように願掛けに行ったんだ。ネックレスをつけてる人にしか効かないみたいだけどね。」

「なんでそんなこと…。あいつは現実世界の柚は俺を避けてたし!別々の人生を望んでるんだと思っていたのに…。)」

「兎に角、柚のとこに行ってあげなよ。父さんならもう柚を一人にしたりしないでしょ。」

俺は急いで音無村へと走りさった。

、、は初めて柚の曲を聞いてから柚の幸せしか望むものなんて無かったんだよ。でも一番幸せに出来るのは父さん。ただ一人なんだ。恋が充ちたのは瞬きくらい一瞬のことで夢物語をくれたかみさまへの唯一の僕ができる恩返し。


「柚!!!!」

「うあーー!あーう!」

奥の部屋から着物を着た男性が

「ネックレスの所有者ですね?来るのが早すぎますがまあいいでしょう。願掛けは叶っております。」

 この場所で産まれる赤子は皆誰かの生まれ変わり。だから住民が昔から増えることが無い。音沙汰無いから生まれています。音が自由自在と言われるのは他県の者が噂したただの偽りですが、夢で見た事は本当となります。それを理解した上でこの方との人生をもう一度考えて下さい。

 一通り説明があった後、柚が小さな歪の手で俺の手を握った。

 赤子になった柚を連れて帰り、一から子育てをして柚が記憶を話せるようになった頃俺達はあの時の夢と同じように幸せに暮らしていた。息子は大学を卒業し、ピアノの楽団に入ってかつての柚のように世界中を飛びまわり続けている。嫁になってくれた花恋は俺との結婚で偽装夫婦をし続けたまま、影で静かに彼女との交際を続けられている。「音無村」。にわかにはまだ信じられないが目の前にいる柚が本物ならば本当にあった出来事なのだろう。それぞれの行きたい人生に合わせて奇跡を起こしてくれる。音楽に、才能に縛られた俺たちは柚の犠牲のもとに今本当の幸せを掴めたんだ。だからもう、それでいい。ここでおしまい、なあ、ハッピーエンドだろ?

 

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