転機はいつも気まぐれに2

 地面に落ちて行く、高さ三十から四十メートルの高さから落ちれば命はないだろう。運よく木に引っかかるなんて事も確率的に考えて高くはない。では、このまま何もせずに落ちて死に逝くのを待つのか?答えは簡単だ。

私は、グウの手綱を引き、自分の体をグウの背中に隠した。グウには申し訳ないが、こんな所で死ぬわけにはいかない。申し訳ない気持ちを抑えながら私は落ちて行った。

地上にぶつかる、その瞬間に、大きな羽を持つこの動物は、自身の大きな翼をはためかせ、ギリギリの所で体勢を立て直した。翼をバサバサとはためかせながら、私を落とさないようにゆっくりと地面に着陸すると、グウは力なくその場に伏せてしまった。私は、背中から飛び降り、

「ありがとう、ゆっくり休んでね」

とお礼を伝えると、グウの首元を、優しく撫でた。グウの胸の白いふさふさの毛、綺麗な体に似つかわしくない、赤い雫が垂れていた。

グウは、低い声で鳴くと同時に、みるみる体が小さくなり、最後には一枚の紙切れになった。

私はその紙切れを拾い、綺麗に折り畳むと、もう一度紙切れを撫で、ポケットに仕舞った。

私は、落ちる最中に見えたフードを被った魔術師の姿を思い浮かべ、非力な自分の拳を強く握った。ダメだ、熱くなっては勘が鈍る。冷静にこの場から離れ、主人様やみのりさん、しおりさん、ことはと合流するのが最優先だと自分の心に言い聞かせた。

しかし、感情がそんな簡単に扱えれば誰も過ちは犯さないだろう。感情を上手に扱えないからこそ、人は過ちを犯す。

それを理解していながらも、私は昂っていく自分の感情を抑えることができなかった。

主人様達の場所まで、ここからは広場を挟んでちょうど反対側、広場を突っ切って南下しなければならない。感情的になりながら、思考を巡らせていたせいだろう、私は背後から忍び寄る気配に全く気がつけなかった。

気がついた時にはすでに遅く、私が身を翻すより早く、忍び寄った気配は私に向かって何かを投げつけた。

次の瞬間、私は頭から水を被っていた。

「気負うのはダメだって、いつもいわれてるでしょ?そんなんだから私にすら気が付かないんだよ?」

と頭から水を被った私に向かい、チーの背中から降りながら、ことはが話しかけてきた。

「爆発が見えたから急いで来てみたら、お姉ちゃん仁王立ちしてるんだもん。狙ってくださいって事?」

と続けざまに捲し立て、詰め寄ってきた。

私は、今度は視線を落とさずに、濡れた髪を無造作にかき上げ、

「ありがとう」

と短くお礼を伝えた。

これで冷静になれた。

ことはは、呆れた顔をしながら、ため息を吐くと

「お兄ちゃんとお姉ちゃんは一緒にいるみた、しおりんは広場で鎧さん達相手に暴れてるって」

と現状を教えてくれた。

私は現状を聞き焦った。

「しおりさんが騎士と戦っているの?」

と慌てて聞き返すと、ことはは、

「そりゃそうでしょ。私だってここに来るまで追っかけ回されてたし。まぁこの森の中でチーの足に追いつける訳ないけどね。お姉ちゃんだって撃ち落とされてるんだし、火の粉が飛んできたら逃げるでしょ?しおりんは火の粉を払うどころか、火の元を消しに行ってるけど」

少し笑いながら、手をひらひらと靡かせ、

「お姉ちゃんなら見えてるでしょ?」

ことはは、わざとらしく、私の胸元にぶら下がるレンズに視線を落とした。

私はレンズを指で摘むと、意識を集中させた。

その瞬間、森の中にいる多数の生き物の視界、事前に設置されたレンズの視界、主人様、みのりさん、しおりさん、ことはの視界、そして、招かれざる客人たちの視界が頭の中に広がった。

吐き気がする。頭の中に映し出された映像は自分のものではない、全て他人の視界だ。だから、その人の癖で視界が変わる。

小動物なら低い景色が、空を飛ぶ鳥なら大空から見下ろした景色が、同時に私の頭の中に流れ込んでくる。

その情報量の多さ、景色の高低差、速度についていけずに、私はいつも吐き気を催す。

当然だ、普段見えていないのに突然見えるようになったと思えば他者の視界なのだ。自分の思い通り動く訳でもない。そんなものが大量に流れ込んできたら誰でもこうなるだろう。

しかし、今はそんな事を言っている場合ではない。胸元のレンズ越しに、ことはが心配そうにこちらを見ている。

私は、見なくても良いものを選別し、視界を閉ざしていった。その中に、横たわった視界何個かを見つけた。

そのうちの一つは、右側に地面が映っており、その視線の先には、大きな長柄の武器を肩に担いだ女性が映っていた。

女性は、冷たい視線を向けて、独り言をつぶやいているのか、口が動いているのが見えた。

しおりさんだった。肩に担いだハルバートからは血が滴り落ち、普段明るく、優しい彼女とは遠くかけ離れた表情をしていた。

体や首元には返り血を浴び、綺麗な金色の髪にも返り血が付着していた。

この視界は、先程空から目視した広場にいた騎士の物だろう。視界が段々と暗くなっていく。この人はもう助からないのだろう。

私は、だんだんと暗く、薄れていく視界の中で、しおりさんがハルバートを再び構え、振りかぶった瞬間に、視界を閉ざした。

胸元のレンズから、ことはが心配そうに、顔を覗き込ませているのが見た。

「しおりさんは大丈夫、広場はもう安全だから、広場に向かおう」

私は、ことはの手を取り、そう告げると、チーと呼ばれる動物の方に向かって歩き出した。

それを聞くと、ことはは、少し悲しそうな顔をしながら、私に手を引かれ歩いた。

周囲を警戒していたチーは、私たちが歩いてくるのに気がつくと、テトテトと尻尾を振りながら歩いてきた。

チーの頭を撫で、首元を摩り、これか広場に向かう事を話した。

この子は理解しているのだろう。広場に向かうと話した途端に、先程まで振っていた尻尾がだらんと垂れて、心なしか、顔が強張った気がした。

チーは、私とことはが背中に乗りやすいようにしゃがんだ。ことはは頭寄りに、私は尻尾寄りに座り、落ち着く位置を見つけると、チーはスッと立ち上がった。私達二人ぐらいなら乗せていようとあまり関係がないように、チーは広場に向けて走り出した。決して乗り心地がいい訳ではない。四足歩行の動物の背中に乗ると言うことは、動物の背骨に乗ると言うことだ。いくら専用の鞍が付いていようと、乗り心地は決していい物ではない。しかし、速度は圧倒的だ。自分の足では到底出せないスピードで森の中を駆ける。それはまるで風になったような気分だった。こんな状況でなければきっと楽しめただろう。だが、今は楽しんでいる状況ではない。一刻も早く皆と合流しなければならない。その思いを汲んでくれているのか、チーの風のように駆ける足に力が入っているように感じた。

最短で広場に向かわなければならないが、直線的に走ってしまえば、いくらスピードがあっても、的になる可能性がある、ことはは、木々の間を縫うように手綱を引き、チーを走らせた。青い稲妻のように森の中を駆けていくチーに跨り、私は周囲の視界を探した。この森は私達の遊び場だ。至る所に私が視界を覗けるように、首にぶら下げたレンズと同じ様なものが設置してある。それがあるから、私は森の中でも視界を得ることができる。現状、奴らの位置を探し出すのに苦労はしなかった。

岩場に歩兵が10人、燃える家の周りに歩兵8人と騎兵が7人、広場に転がっているのが5人、後は納屋の近くに魔術師と指揮官合わせて10人と言ったところか。

小隊規模の人数であり、騎士と魔術師、指揮官らしき人物までいる。

こんな辺境のど田舎までくるなんて、どうかしてるとしか言えない。

騎士を派遣するのにどれだけの労力がかかるのか、今も他国と争っているこの国で三十人近い騎士と魔術師をこんな所に派遣する理由、それらを考えた所で今は答えを出せない。奴らの目的も分からない。

どうしたものか、簡単だ。

聞けばいいのだ。

私の中で、合流を最優先にしつつ、同時にもう一つのやるべき事を見つけた。

「ことは、騎士でも魔術師でもいいから、見つけたら教えて、何が目的なのか聞いてみるから。」

私は、ことはの返事も待たずに、周囲の情報を再び覗き込んだ。

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