転機はいつも気まぐれに1

 岩場から少し離れた所に、少し大きな池がある。池の周りには背丈ほどの草木が生い茂り、私たちの姿を隠すのにはちょうど良く、池に向かう道を監視するのにはもってこいの場所だ。しかし、連日の雨により池は増水しており、足元もまた泥濘んでいた。普段はことはやしおりさんが釣りをしに来る場所だが、今の私達にそんな余裕はなかった。まだ姿は確認できないが、背後からはゆっくり、ゆっくり圧を掛けながら歩いてくる、主人様の気配を感じていたからだ。私は、胸元にぶら下がったレンズを握り、心を落ち着かせ、短く一言、ルックと呟いた。呟いた瞬間、目の前に光が差し、私は無意識に目を細めた。細めた視線の先には、大きく広がる青空、空に昇る太陽、眼下には私達がいる池やその周り、背丈ほどの草木、先程まで隠れていた岩場が見えた。これは近くを飛んでいる鳥の視界だ。これだけ高く飛んでいるということは、大型の肉食の鳥だろう。小鳥ではもっと低空寄りの視界になる。これ幸いにと私は周囲の確認を行なった。 

私としおりさんは、鬱蒼と茂る草木の中に身を潜め、ことは、少し奥を先頭に歩き、池のほとりを目指しているのが見えた。一番足の遅い私を真ん中に置き、ことはを先頭に池のほとりを目指した。殿は、この三人の中で唯一、主人様に対して単独で戦闘を行えるしおりさんだ。私の歩みに合わせるように、しおりさんは低姿勢に、ゆっくりと進んでいた。 

私は、ことはから渡された縄を手に持ち引きながら、上空から送られてくる視界と縄の位置、距離を確認し、周囲を観察した。現状、変わった物や不自然な草木の揺れなどは、私達が歩いている以外には見つけられなかった。だからこそ余計に不気味だった。本来なら人や獣が動けば何らかの情報が残る。鬱蒼と茂った草木の中を進めば、草木は揺れるように、何らかの痕跡が確認出来るはずなのだが、それが一切見当たらない。と言うことは、主人様はまだこの池の周囲には来ておらず、こちらに向かう森の中を散策していることになる。ただ、そんなに上手く事が進むとも考えにくい。なぜならば、今日の主人様のスタイルはインファイトなのだ。先程、しおりさんの隠れている木をへし折ったように、一瞬気を抜いた私に手を伸ばしたように、近づいてから何らかのアクションを起こしている。主人様は基本的に、一回の組手で一つのスタイルを貫く事が多い。それは、私達に対して、今日はこれで行くから上手く対処しなよ、と言う挑戦状なのだ。たまにお遊びで、インファイトの途中で離れ、遠距離からのアクションを起こす事もある。だが、基本は一つのスタイルを貫いて下さるのだ。ただ、今日は明らかに様子がおかしい。それは私以外の二人も感じ取っているはずだ。岩場に一時避難をした時も、岩場からこの池に向かう途中の道も、主人様は姿を表さず、追撃も、何も無かった。本来ならこの池に向かう途中で三人バラバラに分断され、一人ずつ捕まっていく事が多いのに、今日はそれがない。一人も欠ける事なく、今の状況を作れている。 

何故? 

私は、あまり出来の良くない、あまり働かない頭を回転さ、今見えている視界の端から端まで舐め回すように見た。 

その時だった。視界の端っこ、私達がこの池に向かってきた岩場の更に奥、主人様の殺気に押され逃げ込んだ森の更に奥、私達の住む、私達の家がある方から、大きな土煙と大きな火が上がっているのが見えた。私は一瞬、何が起こっているのか全く理解が追いつかず、思考が停止した。 

家から火が上がっている? 

それはなんで? 

どうして? 

そんな疑問が頭の中をぐるぐると駆け巡った。 

理解が追いつかず、頭の中を行ったり来たりしていると、後ろからしおりさんから、「どうしたの?」と声を掛けられた。 

この鬱蒼と生い茂る草のせいで、彼女はまだ、状況を確認できていない。それを理解した私は、手に握った縄を、何度も何度も力一杯引っ張った。それを見て、しおりさんは驚き、「何々、師匠が近づいてるの?」と慌て、縄が伸びる方からどしんと音がし、「痛い、痛い」「ちょっと待ってよ」と、ことはが怒りながら、自分の足で走って戻ってきた。 

状況の理解は未だに追い付いていないが、私は焦りながら、 

「家の方が燃えてます、火事です。」 

と大きな声で二人に叫んだ。その声を聞くと二人は、一瞬で真顔になり、しおりさんは泥濘んだ地面を強く蹴り走り出し、ことはは、私と繋げていた腰の縄と金具を片手で器用に外しながら、指笛を一度吹き、先程まで跨っていた動物を呼んだ。 

草陰から勢い良く、四足歩行の動物が飛び出してくると、それに跨り、今度は二回、先程とは違う音色の指笛を吹いた。その音に反応するかのように、私の見ていた上空の視界が揺れ、勢い良く方向を変えた。方向を変える瞬間、黒い影が猛スピードで私達の方向目掛け突っ込んでくるのが見えた。私は、猛スピードで突っ込んでくる黒い影に視界を移した。黒い影は私とことはの頭上で急ブレーキをかけ、大きな翼をはためかせながら、ゆっくりと降りてきた。それを見てことはが、「早く」と一声かけると、ゆっくり降りてきた黒い影は、大きな翼をはためかせる事を止め、そのまま自然落下してきた。着地する時に、周囲の泥を跳ねさせて、私達の方に泥が飛んできた。私は顔に跳ねた泥を袖で拭うと、空から降りてきた、大きな白い翼をはためかせる動物に向かって走った。私が駆けて行くと、その大きな翼を持つ動物は足を折り、体を屈め、お辞儀をするように頭を低く下げた。私は、勢い良くその動物の首に手をかけ跨ると、大きな翼を持つ動物はすぐさま立ち上がり、その大きな翼をはためかせた。私が跨るのを確認すると、ことは、 

「グウが一番早く飛べるから、お姉ちゃんは先に行って」 

と言うと、自分が跨った動物の首から伸びる手綱をパシッと軽く叩きつけ、 

「チー、行くよ」 

と言うと同時に、鬱蒼と茂る草木を薙ぎ倒しながら、まるで嵐のように駆けて行った。 

私は、グウと呼ばれた、大きな翼を持つ動物の首元をさすると、勢い良く空に向けて飛び立った。 

振り落とされないように、首につけられた手綱を力一杯掴んだ。 

グウの視界を見ながら、ものの数秒で空に飛び上がると、急いで火の手があがる方角を目指した。 

どうか見間違いであって欲しい、どうか夢であって欲しい。そう願いながらも、グウを通して見える景色、大きな土煙と大きな火の手に、私はどんどん近づいていた。見なかった事にしたかった。そう思いながら、視線を下に逸らすと、最初に皆んなで集まった広場が見えた。グウの手綱を引き、空中に静止させた。 

最初に集まった広場には、鋼鉄の鎧を着た数人の騎士達が見えた。腰には剣をぶら下げ、大きな鉄の盾を携えている。盾にはこの国の国旗、王家の紋章が刻まれていた。私は吐き気を催した。その溢れ出んばかりの吐き気を強引に飲み込むと、グウの視界越しに、あいつらを強く一瞬だけ睨みつけた。冷静になれ、冷静になれと自分を諭すように声に出して呟いた。 

向こうはまだ私の存在には気がついていない。当然だ。この世界では空戦を行えるのは空中戦専門の魔導士と幻獣使いくらいしかいない。そしてその二つは特殊な訓練を受けた、国お抱えの軍隊に所属している、こんな僻地にそんな事ができる人間がいるなんて考えてもいないはず、警戒するだけで体力や精神力の無駄なのだ。でも、今の私は空にいる。自分の頭上に人が居るだなんて夢にも思わず、これから、森の中を捜索する手筈でも確認しているのだろう。 

しかし、ここで、彼らを足止めするには現在の情報が足りなさすぎる。何か重犯罪者を追ってここまで追ってきた可能性も0ではない。もし、騎士に対して手を出してしまえば取り返しのつかない事になる。 

私は、いかにも怪しい騎士達を、眼下に見て、また人睨みした後に、火の手が上がる方向を見つめた。 

ここからならよく見える、間違いな。燃えているのは私達の住んでる家だ。 

黒煙を上げながら、勢い良く燃える納屋、そこに続く道、そして、私達が朝食を食べていた家が、炎の渦の中心にあった。 

気が狂いそうだった。発狂しそうだった。でも、自分の中にわずかに残った理性が、主人様を、みのりさんを探せと、私に呟いた。そうだ、二人の安全を確認しなければ。二人がこんな事で死ぬわけはない、でも、怪我をして動けない、重犯罪者に捕まって動けない、騎士達に捕まって動けない、それらの可能性がある以上、私は変わるわけにはいかない。 

自分にまた自己暗示を掛けて、私はグウの手綱を叩いた。 

もう少し、もう少し近づければ、状況の確認ができる。情報が増える。その思いだけで私は、グウの視界を使い、辺りをしらみ潰しに、何度も何度も舐めるように見回した。自分の目元から血の涙が溢れている事に、その時は気が付かなかった。 

周囲を隈なく見回していると、森の中、最初に集まった広場より少し南下した位置に、二人の人影を見つけた。 

三人は周囲の様子を伺うように警戒し、木の影に隠れていたが、上空から目視で確認ができた。私は胸を撫で下ろした。主人様とみのりさんだ。よかった。と私は、声に出して安堵した。すぐに二人の元に向かおうと、グウの手綱を引き、方向を定めた時だった。 

静かなグウが叫びを上げ、視界が歪み、何かが爆発した。耳にはキーンと耳鳴りが残った。 

私は、グウの手綱を力一杯引っ張り、地上に向けて急降下しようとした。 

しかし、先程の爆発が再度、一つ、二つと続き、私達の周囲に爆煙が広がった。 

視界が悪い、煙で何も見えない。そう思いながらも、一先ずここから離脱しなければならない。この魔術を打ち込んできた奴の場所を探さねばならない。そう思いながら、グウの手綱を力任せに引っ張ったが、三つ目の爆発が当たり、私とグウは力なく地上に向けて落ちていった。

落ちていく瞬間に、四つめの魔術の光が見えた。そして打った奴の姿も。

貴方はそこにいるのね。そう呟きながら、私はポケットから2つの石を投げた。

石は私の手を離れてから3秒後に、辺り一面を照らすように、光り輝いた。

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