プロローグ2
この家の中には至る所に手すりが設置してある。それは目の見えない私に対しての配慮だ。最初に引っ越してきた時には手すりなどは一切なく、室内にも段差があった。
なので引っ越してすぐの頃の私は自室と食卓のあるキッチン、テラスのある庭の往復以外はあまり外に出ず部屋で過ごす事が多かった。幸いにもテラスには自室の扉を開ければ直ぐに出られるようになっていた。これも主人様の配慮だ。大きなお屋敷に仕えていない普通の給仕ならきっと窓のある部屋を一部屋充てがわれただけで小躍りを踊る程喜ぶ事だろう。
この国では衣食住が保障され、食べ物に困らない人はそんなに多くない。独り身で生活するのも辛く、家庭を持ち家族を養うとなると普通の仕事だけでは生活費に足が出てしまう。
そのため、子供を売り生活費を稼ぐ輩も少なくはない。売られた子供は生活に余裕のある貴族などの下でボロ雑巾のように扱われ、いらなくなったら捨てられる。人権なんてものは存在しない。
本来なら私もそうだった。そうなるはずだった。
しかし、今の私の生活は全く異なった異色の生活だ。少し硬いベッドに椅子、窓二つにテラスに出られる魔法の扉、室内には掴み歩きができるように至る所に手すりが設置されている。
もし普通に生きていたとしてこんな恵まれた環境はまずあり得ない。しかも目の見えない奴隷として売りに出された私のような子供にこんな環境を整えるメリットは存在しない。
でも主人様は私に対して、私達に対してそんな夢のような、貴族の娘のような生活を過ごさせてくれている。手すりがないなら森から木を切り出し自ら加工し設置してくれる。今登っている階段にも色々な仕掛けを施してくれている。そのお陰で私は目が見えない、主人様のお顔が見えないだけの生活を送っている。もしかしたとんでもない悪人なのかもしれない、優しい声や大きな手は偽物で、見るも恐ろしい魔物なのかもしれない。でも私にはそんなことはとても些細なものだった。
どのような姿かは全くわからない、声と匂いと手の感触でしか主人様を感じることができないがそれでも目が見えない奴隷として売られた私が送るはずだった生活に比べればとてもちっぽけな悩みだった。
そんな事を考えながら木で作られた階段を一段一段ゆっくりと登り、階段の角度に合わせて斜めに取り付けられた手すりの端が手に馴染むように丸みを帯び、階段の終わりを告げた。
階段を登り終えると目の前に少し広い空間が広がった。壁際には油絵が五枚、綺麗に装飾された額縁に入れられ等間隔に飾られている。額縁の中ではこことは違う秋の紅葉をバックに女性が三人、男性が二人描かれており、その絵は窓から太陽の光を浴び絵は綺麗に輝いていた。その絵の正面、窓際にソファーが設置されておりソファーに座れば絵をゆっくり鑑賞できるようになっている。
この場所だけ手すりが右側にのみ設置されている。この家で唯一の例外だ。
私は右手で手すりを探すために慣れた手つきで手を前に出した。手すりの高さは家の中で完璧に同じになるように設計されているため、私が手を伸ばした高さに手すりが来るようになっている。
直ぐに手すりの端を見つけると私は右手で手すりを掴み先を急いだ。
右手の手すりは飾られた絵の下に設置されておりそこを過ぎるとまた左手側に手すりが移る。私は絵の正面を足早に横切った。
その先には四つ扉がある、奥から一つは主人様の書斎、一つはみのりさんの寝室、一つはお弟子様の寝室、一つは今から起こしに行く寝坊助の給仕もとい私の妹の部屋だ。
妹と言っても血の繋がった妹ではない。彼女も私と同じ境遇で私よりほんの少し後に引き取られてきた少女だった。彼女は引き取られてきたその日から曇った表情を見せる事なく笑顔を振り撒き歩いていた。彼女は笑う事で今まで生きてきたのだと直ぐに分かった。顔に笑顔が張り付いて笑顔以外の表情が作れなくなっていた。それは目の見えない私からでも分かるほどだった。どんなに声が震えていても笑顔だけは崩せないそんな生き物だった。
私とは真逆の生き物だった。
引き取られてから約三年、今では主人様や年長の給仕やお弟子様よりも遅くに起きてくる図太い神経が備わっていた。
私は階段を登って一番手前の左手側の扉を少し強めにノックした。しかし、中からの返事はなかった。私はため息を吐くとドアノブに手をかけて勢いよく扉を開けた。
扉を開けると約十畳程の部屋に脱ぎ散らかした服の山、開けっぱなしの窓になびくカーテン、パレットや木炭、ナイフ、絵の具が散乱した机、絵の具で汚れた椅子とイーゼル。
ここは寝室というよりは作業部屋だ。私は足の踏み場がない部屋の中、足を引きずるようにゆっくり左側の壁に沿うように歩いた。もちろんこの部屋にも左側に手すりが設置されている。しかし手すりを掴んでいても床に配置されたトラップにより普通に歩くことはできない。普段から足を引きずり気味に歩いているがそれでもトラップは幾度となく発動した。長年の経験から足を引きずりすり足で歩くのが設置されたトラップを発動させないと学習した。それでもたまにドミノ崩しのようにトラップが発動することはあるがそれはもう事故だと諦めるようになった。
やっとの思いで部屋の左端に築き上げられた服の山王国に辿り着くとその王国のちょうど真ん中で気持ちよさそうに寝息を立てる姫君を見つける事に成功した。
私は優しく体をさする事などせずに自分の耳につけられた機械のツマミを左に回しきると右のポケットから手のひらサイズの黒く丸い機械を取り出した。
機械は無機質で綺麗な丸型で一箇所だけ数ミリ窪みがある。私は窪みに右手の親指をかけ、腕をめいいっぱい突き出すと大きく息を吸い込みその窪みにあるスイッチを押した。スイッチを押された無機質で綺麗な丸型の機械はけたたましくビー、ビーと音を響かせた。森の中に住む鳥達が一斉に飛び立ち、獣達は一斉に警戒体制に入り、隣村に住む赤ん坊が泣き、老人は驚きから椅子から落っこちるんじゃないかと思う程の騒音が三秒程約十畳の部屋に鳴り響いた。私は耳につけた機械、聴力を飛躍的に向上させるイヤーマイクのボリュームを最小限からさらにマイナスにし耳栓のように使うことでこの音の嵐を耐え抜いた。実際はそんなに大きな音量ではない。部屋中に響くくらいの音量だが初めて使った時に耳に付けられた機械のボリュームを絞らずに使ったため心臓が止まるかと思ってから苦手意識を持っていた。しかし、これ以外の音の出る装置では服の山王国の姫はなかなか起きないため仕方なくこれを使用している。
このけたたましい音の嵐が過ぎ去ると服の山から少女が眠そうに目を擦りながら体を起こした。肩まで伸びる綺麗な髪を寝癖でセットし、なんでも見通せそうな大きく綺麗な目を擦っていた。
私は丸型の機械から親指を離し音を止め、ポケットに雑に詰め込み、イヤーマイクをいつもの音量まであげてから寝ぼけ眼の姫君に向かいため息を吐きながら
「この部屋は寝室じゃないからちゃんと部屋で寝なさいって、いつもいってるでしょ」
と怒りと呆れを混ぜつつ小言を零した。
しかし妹は悪びれる様子もなく間延びした口調で
「お姉ちゃんおはよー、もう朝になった?」
と欠伸まじりの声で返事をした。
まだまだ夢の中なのか大きな目はほとんど空いていなかった。
「もう朝食ができるから早く支度をして下に行くよ」
私は姉らしくあろうとそう言い、彼女に向けサッと右手を伸ばした。
眠そうにうとうとしながらも彼女は私の右手を掴むとゆっくりと服の山から立ち上がり、床に散らばった絵の具のチューブ蹴飛ばしながらドアに向かった。
イーゼルから新し油絵具の匂いが風に乗って漂った。きっと昨日は夜遅くまで新しい絵を描いていたのだろう。
そう思いながら私もゆっくりと足を這わせるように、床に散らばった絵の具のチューブを蹴飛ばしながら妹に手を引かれアトリエを後にした。
アトリエの扉を出る時に、後ろから何かが崩れドサっと物音がした。
私は朝食の後にこの部屋を片付けなければと思いつつ、ゆっくりと階段の方に手を引かれながら向かった。
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