プロローグ3

 妹に手を引かれ私はゆっくりと階段を降り、そのまま洗面所に向かった。洗面所の扉を開けると上半身を写す鏡が設置されており、その下に小さな蛇口が設置されていた。

 この蛇口というものは捻れば勝手に水が出てくる優れものだ。しかし、原理は簡単で、井戸から組み上げた水を濾過装置に通した後に貯水槽に貯めておく。貯水槽から各水場に向けて伸びたパイプを通り、最後は蛇口に堰き止められ任意のタイミングで放水される。とても簡単な仕組みだが問題点も多々ある。

夏場には水が温まりすぎて温くなり、冬は水が凍ってしまいパイプが破裂してしまう。また、ずっとパイプの中に水が止まり続けるため腐ったような臭いがしたり、水をそのまま飲むと腹痛で数日寝込み、最悪の場合はそのまま死に至る事もある。そのため、この世界で蛇口が設置されている場所は王都や新しい物好きの貴族が住まう町くらいしかない。

 しかし、ここにはそれがあった。

先述の通り利点に対しての欠点がかなり多いこの蛇口だが魔術を駆使することで安全性は格段に上がる。火の魔術により一度沸騰させ殺菌し、氷の魔術でそれを凍らせて保存する。蛇口を捻ると凍った水を再度火の魔術で沸騰させた後に、氷の魔術で適正温度まで下げて蛇口から出す。蛇口を捻ってから出てくるまでに多少の時間差はあるものの、安全性を考慮すれば致し方のないことだ。

この機構を考え出した人間はそうまでして井戸まで水を汲みにいきたく無かったのだろう。

そんな何処ぞの魔術師と蛇口やそれに付随する装置を作り上げた人たちには頭が上がらない思い出いっぱいだった。

何故ならば、私は一人で水を汲みに行くことができない。それだけ伝えればこの装置の素晴らしさが伝わるだろう。

 妹はまだ寝足りないのか、目を擦りながらぼやけた視界の中蛇口を捻った。一瞬遅れて蛇口から、ジャーと勢いよく水が溢れ出した。

妹が手を離した隙に気がつかれないように洗面台横から伸びるパイプに設置されているツマミを左いっぱいカチカチと回した。

幸いな事に妹は全く気がつく様子もなく、蛇口から勢い良く飛び出している水に手を入れた。

その直後、洗面所に悲鳴が響いた。

「冷たい!!」

妹はそう言うと、後方にいる私の事を睨みつけた。

私は何も知りませんよとシラを切るように、吹けもしない口笛を吹く真似をした。

妹は怒りながら私の横にあるツマミを雑に右側に捻り、プンプンと言う表現がぴったり当てはまるオーラを発しながら再び洗面台に体を向けた。

このツマミは蛇口から出る水の温度を調整するためのもので、左に捻れば冷たく、右に捻れば熱くなる。左いっぱいに回すと氷のように冷たい水が出る。

これは、たまに妹に対して行う悪戯だ。普通はこんな悪戯はやりたくてもできない。世界共通の認識だと思うが、”水”はとても貴重な資源だ。特に口に入れられる”水”となるとその貴重さは宝石や優秀な魔術師では天秤に賭けることすらできない物だ。それを子供の悪戯に使うのがどれだけ不釣り合いなものかは誰でも分かることだ。しかし、この家では不思議な事にその”飲み水”がある種使いたい放題である。整備が行き届いた王都でもなく、新しい物好きの貴族の屋敷でもない、小さな村から森を挟んだ僻地にある家だった。

主人様がどのような”コネ”で”魔法”で現状を作り上げたかは分からない。しかし、子供と言うものは有ったらそれで遊んでしまう生き物である。私もそれに漏れず子供だった。もちろん妹も同じである。たまに主人様がお弟子様に対して同じような事をしているようで、家中に悲鳴が響く事もある。

訂正します。子供だろうと大人だろうとある物を使って悪戯はしたくなってしまう生き物なのだと。

そんな事を考えながら、私は、左手でタオルなどを置いている、腰ほどの高さのラックからブラシを取ると、プンスカとお怒りモードの妹の機嫌を取るかのように優しくブラッシングを行なった。

私とは違う、細く、柔らかで、猫っ毛な髪をブラッシングしながら心の中で羨ましさに嫉妬していた。

肩下まで伸びる、セミロングの明るく、サラサラな茶色の髪は、陽の光を浴びると綺麗な金色にも見える。

それに対して私の髪は、不気味なくらい真っ黒で毛量も多く、ブラシの通りも悪い。そのため髪を伸ばすと寝起きに爆発してしまう。一度爆発するとなかなか元に戻らない。髪を伸ばしてもっと大人のように振る舞いたい気持ちもある。しかし、私が密に憧れているみのりさんは女性としては短めの髪型だ。お弟子様曰くショートボブと言うらしい。私もそれに倣ってお弟子様に同じ髪型になるように切ってもらっている。内面では全く追い付けていないと分かりながらも、見た目だけ、髪型だけでも似せておけば、いつか追い付けるかもしれないと、子供ながらに思っていた。

妹の髪を梳かしながらながら水の入った容器を二、三度握り込むと霧状の水が出た。これはお弟子様が寝癖を直すのに必要だからと主人様に作って頂いたものだが、今では住んでいる皆で使いまわしている。これもまた主人様の発明品である。野菜などを作る時にも使用できるため、個人的には街に行って売りに出せば大儲け出来るのではないかと思っているが、主人様にそれを話す勇気が無いため、未だ実現には至っていない。

妹の寝癖部分に重点的に霧状の水を当て、ブラシで梳かす事により、サラサラな髪も目を覚まし始めていた。

当の本人は顔を洗い終え、歯ブラシで歯を磨きながら前髪をチェックしていた。こう言ったところは子供ながらに美意識の高さが伺える。

一頻り、寝癖なおし、洗顔、歯磨きが終わると、妹は鏡の前で色々ポーズを取ると、

「よし、今日も可愛くできた!」

と独り言を言い、すぐ後ろにいる私の方を向き、

「お姉ちゃん、寝癖を直してくれてありがとう!今日も可愛い髪型にできた!」

と言いご機嫌に鼻歌を歌いながら私の手を引き洗面所を後にした。

 妹が2階に上がるべく階段の手すりに手をかけると同時に、私はお弟子様にも朝食の事を伝えなければとハッと思い出した。

「ことは、ごめんね。私しおりさんにも朝食が出来上がる事を伝えに行かなきゃいけないから一人で着替えられる?」

と心配そうに伝えると、振り返り、親指をグッと上に立て、

「もちろん!!だから気を付けて行ってきてね!何かあったらすぐ呼ぶんだよ!」

と余裕の表情と態度を見せつつ、私の心配もしてくれた。

私が、大丈夫だから早く着替えてきなさいと手でしっしっとすると

ことはは、階段の横にある、本来なら全く違う用途で使う丸い球体を足で転がしてきた。

私がやめなさいと言うより早く、このはその球体を強く踏みつけた。踏まれた球体はブシューと大きな音をたて、このはの体を勢い良く上に向かい弾き返した。

それを利用し、一個、また一個と丸い球体型の装置を踏みつけながら、飛ぶように二階に消えていった。

これも後で主人様に報告し、相談しよう。

私は心の中で、一回はやってみたと言う自分の欲望を抑え、本当に相談するのかを葛藤しながら自室に向かった。

自室のテラスから出れば薪割り場までは、目と鼻の先になので、ショートカットをしようと思い、階段横から伸びる手すりに右手を這わせ、自分の部屋へと向かった。

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