百合バカ日誌

 見える……。見えるよ……。私には分かってしまいます……。私は視力が良いから、ここから見えてしまうのですよ……。女の子二人が教室でイチャイチャしようとしている姿が。女の子が二人寄り添えばそれは百合。百合思う故に百合あり。私が昔読んだ枕草子にもそう書いてあった記憶があります。いや書いてないけど。


 ……ああ、申し遅れました。私、綾瀬さやかといいます。陸上部で長距離をやってます。今は部活動で、部員たちと一休みしながら談笑しているところです。

 走ることは、好きだ。ただ目の前の目標に向かって、走ることだけを考えていればいいから。難しいことなんてない。走っているときは、ただ速く走ることだけを考えていればいいから。頭の中を空っぽにして、とにかく走り続けるのが好き。だから、長距離をやってます。

 でも、それと同じぐらい、いや、それ以上に、百合が好き。女の子が女の子相手に、不器用になるあの瞬間が大好きだ。友達から恋人になって、付き合う瞬間が一番可愛い。そういう秘密の関係に、私は憧れるのです。

 で、たった今、その百合の瞬間を見つけてしまいました。ヤバい、気になる……。だって、めっちゃ二人の距離が近かったし、なんならこれから愛の告白とかしちゃうんじゃないかって思うし……! 百合姫コミックスで百回は見たであろうシーンが、そこにあるのですから。気にならないわけないじゃないですか。見に行っていいかな……。大丈夫だよね……。


「ちょ、ちょっと忘れもの取りに行ってきます!」

 急いで見に行かないと、終わってしまいそうな気がします。さっさと見に行かねば。

 バタバタと二階に駆け上がり、さっき見えた教室の近くまでやってきました。物音を立てないように、ゆっくりと近づいていきます。

 教室のドアの出窓から、さっきの女の子たちの姿をとらえました。片方は金髪のポニーテールで、まあまあ身長があります。……ってここ二年生の教室じゃないですか。ああああ、やってしまいました。私の一個年上でした。じゃあ、先輩って呼ばないといけませんね。私としたことが、失礼なことをしてしまいました。

 それはそうと、もう片方は若干青みを帯びた黒のショートヘア。ちょっと困惑したような顔をしています。恐らく金髪の先輩がネコで、黒髪の先輩の方がタチなのだと推測します。黒髪の女の子はクールな性格をしてるって旧約聖書にも書いてありますから。いや書いてないけど。

 それにしても、本当に二人の距離が近くないですか……? なんなら、金髪の先輩は相手の肩を掴んでますし……。これはもしかしてあれですか? やっぱりその、「あなたしかいないの!」っていう、愛の告白とかしちゃったりしてるやつですか? 期待していいんですかねこれは! 期待しちゃいますよ? 私は百合女子だから、期待しないで何になるというのです。期待させてください。これが私の、百合姫ライフ。


―――――


「……私、あなたのことが好きなの! 友達じゃなくて、その……、恋人として!」

「そ、そんなこと急に言われたって……」

 友達だと思っていた女の子から、突然告白された。今までそんな素振りを、私に見せてきた覚えもないはずなのに、どうして?


「……女だけど?」

「わかってる。でも、もう我慢できなくて……」

 どういう返事をしたらいいのだろう。私は困惑していた。いきなり恋愛感情を突きつけられて、自分の気持ちの整理もつかないまま、なんとなくで「はいじゃあ付き合いましょう」と返事をすることが、果たして本当に良いことなのだろうか。だからといって「女の子とは付き合えないですごめんなさい」と、すぐに断るのも気が引けてしまう。

 彼女は幼い頃からずっと、私の側にいて、それが当たり前すぎてなんとも思ってなかったけど、いなかったらいなかったで、ちょっと寂しいな、なんて思うときもあって。でもそれはあくまで、幼馴染で親友だから、という理由であって、恋人となると話が違ってくる。

 彼女は私と違って、人当たりも良いし、性格も明るいし、誰とでもすぐに打ち解けられるから、きっと恋人の一人や二人ぐらい既にいるもんだと勝手に思っていた。でも、告白されたのは、私だった。


「どうして……?」

「わからない……。でも、ずっとそばにいて欲しいから……」

「恋人じゃなくても、私はずっとそばにいるつもりだけど……」

「そ、そういうことじゃないんだよ……」

 彼女がそういうと、震えた両手が私の胸元に向かって伸びてきた。上から手のひらで優しく包み込むような形で、そっと触れる。

「こうして、もっと近くで、あなたを感じたい。あなたの体温を、肌の温もりを感じながらいちゃつきたい。えっちなことだってしたい。私のことだけで頭がいっぱいになってほしい。一番に私を見て欲しい。友達じゃ我慢できない……。私の好きは、そういう好き、なんだよ……」

 胸をゆっくりと揉まれながら、唇が触れそうな距離まで近づいてくる。されるがままで、身動きが取れない。

「ゆ、優香……」

「……いい?」


 キスをするということ。行為をするということ。有象無象の物語において、最も分かりやすく、恋愛を定義する言葉だと思う。一線を越えるということは、その間柄も関係性も変わるということで、果たして私に、その覚悟はあるのだろうか。


「あかね……?」

「……ごめん、まだ、できない」

 私がいうと、彼女は胸元で動かしていた両手の動きを止め、そのまま手を離した。

「……わからないんだ。私、これまで人を好きになったことなんてないし、恋したこともないし、こうして……、することだって、頭の中になかったし……。いきなり告白されたって、すぐに答えなんて出せないよ」

「……そ、そうだよね」

 じっと見つめてくる彼女の視線から目を逸らさないよう、私は必死に言葉を選びながら続ける。

「……もちろん、優香のことは好きだよ。嫌いになったりとか、そういうのは全然ない……。でもやっぱりわかんないよ。私は、ずっとこれからも優香の隣にいるつもりなのに、今まで通りの関係じゃダメなの?」

 彼女の目には涙が浮かんでいるのが見える。彼女の好意には応えたい。でも、自分の好意と、釣り合う気がしないのだ。そんなことを思っている最中、彼女は再び話し始める。

「……このままじゃ、我慢できなくなっちゃったんだ。他の女の子と仲良くしてるとこ見たら嫉妬するし、あやかも……なんだかんだ可愛い、から。いつか遠くに行ってしまいそうで、怖くて……」

 大粒の涙をこぼしながら、叫ぶようにして彼女は言った。


「だから……私の、恋人になってよぉ……!」


―――――


 うひゃー! ああぁぁぁ……。はっ、失礼しました。私の中で百合妄想が捗りまくってしまいました。思わず心の叫びが漏れてしまいました……。ヤバい、どうしよう、よく見たら体操服越しに血が流れているではないですか。漫画なんかで興奮しすぎたときにたまに見る、ベタな表現ですけど、それを私がやってしまうなんて。……ふ、ふふww わ、私自重ww わ、私、自重しろ……ww

 鼻血を出して、にやけながら草を生やしている場合ではないのです。実際どういう状況なのかはわかりませんけど、少なくとも私にはそう見えました。女の子が女の子に告白を迫られている時にしか得られない栄養素があるんです。付き合うか付き合わないかの瀬戸際にいる女の子たちが一番可愛いのですから。このまま付き合うのも良し。葛藤し続けるのも良し。思いっきり振られるのも良し。全部が全部百合に収束する、女の子同士の、激情の、恋愛劇場なのです。レヴュースタァライトと申します。あ、今のダジャレはわざとやりました。

 再びドアの隙間から二人の様子を覗いてみます。……さっきと距離が変わってないじゃないですか。どれくらい経ったのかはわかりませんが、私の体感だと十分ぐらいは経っているような気がします。見つめ合うと、素直にお喋りできない的なやつですか。それともあれですか、やっぱりキスしようか、おっぱい触りながらいちゃつこうか迷っている最中なのですか。私にはわかりませんが、多分きっと、悩んでいる最中なのでしょう。早く、その続きを、私に、見せるのです。


―――――


「……んっ!」

 我慢できなかった。嫌われても良いと思った。どうせ後悔するのなら、やって後悔したほうがずっとすっきりするだろうと思った。

 私は、あかねの頬を両手で強く引き寄せ、私の唇を、彼女の唇へと強く押し当てた。

 とにかく必死だった。思いが溢れて、止まらなかった。彼女を離したくなかった。目に浮かんでいた涙が、こぼれていくのが分かる。彼女がどういう表情をしているのか、私にはわからなかった。

 そのまま強引に舌をねじ込もうとするが、彼女がそれを許してくれない。きっと、私のことを最低な女だと思っているに違いない。でも、そんなことを気にする余裕なんてなかった。一番近いところで、彼女を感じたかった。

「……んぁ、はぁ……、はぁ……、はぁ……」

「……優香」

「ご、ごめん……」

 口元が解放され、私は彼女と距離をとる。

「……やっぱり、わからないよ」

「あかね……?」

「なんで……こういうこと……、したの……?」

「だ、だって、私が、一番、あかねのこと、好きだから……。思ってるだけで我慢できないから……!」

 私が言うや否や、彼女は間を挟んでいた机を思い切り叩いて、叫びだした。


「わかんないよ! いきなりキスなんてされて、困惑してる私の気持ちを無視して付き合ってくださいなんて、どう返したらいいのかわかんないよ! 自分の気持ちにも整理が付けられない、優香がどういう気持ちなのかもわからない、人間がわからない、恋愛のことも、友達と恋人の境目も分からない、勉強してる理由もわからない、自分の将来のことも昔のことも両親の望みも希望も世界の行方もわからない! そんな私と付き合ってなんて言われても、すぐに答えなんて出せないよ!」


「あかね……」

「……困らせないでよ、バカ」

 大泣きしている彼女の表情を見て、私は、してはいけないことをしてしまったのだと悟った。相手のことも考えられず、自分の都合だけで突っ走ってしまった。こんなの、恋人の風上にも置けない行為だ。

 自分が情けない。こんな彼女の顔を見たくて告白したんじゃない。一番近くで彼女を感じたくて、離れたくなくて、その思いを伝えるために告白したのに、こんなことになるなんて思ってもいなかった。私は最悪だ。友達の気持ちも考えられない、最低な人間だ。

「……ごめん、帰る」

「う、うん、じゃあね……」

 胸が苦しい。行き詰ったわだかまりが、心の中に重く残っている。明日から私は、彼女にどういう気持ちで向き合えばいいのだろう。どうすればいいのかがわからない。


 キスをするということ。行為をするということ。有象無象の物語において、最も分かりやすく、恋愛を定義する言葉だと思う。そしてそれは時に、罪悪感という形で、心に重いわだかまりを残すということ。相手に深い傷を負わせるということでもあると知った。こんな苦い形で、初めてのキスの味を知りたくなんかなかった。そんなことを思いながら、私は、誰もいなくなった教室を後にするのだった……。


―――――


 はぁ~~~……。あ、すみません、またも百合妄想が捗ってしまいました。百合オタクの鳴き声だとでも思ってください。思わずクソデカ感情になってしまいました。絶対こんな感じじゃないはずなのに、どうして悲しい方向に行ってしまったのでしょう。もっと明るくハッピーな展開になると信じていたのに、そう思えない私は何故なのでしょうか。それは、私が今まさに、忘れ物を取りに行くという体で部活をサボって、百合カップル疑惑の女の子二人組を見守っている背徳感から来るもので間違いありません。そう、私は今、分かりやすく悪いことをしています。ワルまぞくです。

 そんなふざけたことを言っている場合ではありません。ワルまぞくだろうがおサボりクソ野郎だとか、今そんなことはどうでもいいのです。私は再び、ドアの隙間からばれないように教室を覗いてみます。……んええ? お、押し倒してる……!? 教室の床に押し倒されている女の子二人、何も起きないわけがないはずです。それにしても、い、いきなり刺激が強すぎます……! はわわわわ……!

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