動き出す時間、後退する記憶

「君たちはたしかゾネの村の……こんな夜更けにいったいどうしたのだ?」


「とぼけないでください。あなたが地面から薬の小瓶を取り出したのを見たんです。それはいったい何の薬ですか?」


「これか? これは睡眠を促してくれる薬だよ。最近よく眠れなくてな」


 部隊長はさも何事もないかのように話す。



 フィルが気付いたのはリアとカイトのやり取りを聞いていた時だ。


 明らかに怪しい人物が被害者に接触しているのにも関わらず、衛兵は「手掛かりなし」としていた。これが意味するのは、衛兵内部で関係なしと判断されたか、またはだ。


 揉み消されたと仮定した場合、ある程度の立場で、且つ調査部隊を動かすことのできる人物といえば一人しかいない。フィルは部隊長を更に問いつめる。


「わざと調査が遅れるよう部下に指示を出していましたね?」


「すまない、私は君が何を言っているのか本当に理解できないのだが……」


「あなたはその薬を使って街の人を操っていた。晶素を纏うようになったのはその薬の副作用だ」


「本当に何を言っているのだ? そもそもその事件の犯人は我々が現在調査中だ」


 否定を続ける部隊長の様子にフィルたちは顔を見合わせる。これが演技あれば大したものだが、目の前で戸惑っている表情はとても演技には見えなかった。


――――もしかして犯人は別にいる?


 フィルたちがそう考え始めた時、部隊長の様子が次第におかしくなっていく。


「私は犯人を見つけようと、ヴァクロム様に新しい”住人”を、皆に調査するよう指示を出して……出シテ……ダシ……テテテテ」


 部隊長は次第に呂律が回らくなり、目の焦点も合わなくなってきている。もはやまともに会話ができる状態ではなかった。ついに喋ることすらままならなくなった頃、部隊長の足元に何かが這い寄っているのをフィルは見つける。


 それは”黒”だった。


 黒い塊は部隊長の足元まで移動したかと思うと全身を飲み込み、一瞬にして部隊長の姿は目の前から消え去ってしまった。


 部隊長がいなくなった代わりに、身体に纏わりつくような声とともに巨大な晶素の気配が闇の中から現れる。


「あらあら、ワタクシの”闇人”が混乱してしまったじゃないですか」


 芝居がかった声を出しながら現れたのは、癖が強い長い黒髪を無造作に垂らし、丸い眼鏡をかけた痩せ型の男だ。どこか陰鬱そうな表情は不気味な印象を与えている。


 何よりフィルが男から感じていたのは、膨大な晶素から放たれる圧だ。晶獣オーロなど比ではない程、以前戦ったどの敵よりも大きい力の奔流を感じる。


――――この男が、黒幕だ


 フィルはそう確信する。


「お前か。部隊長を操っていたのは」


「操っていたぁ? ワタクシの『闇人』に”操っていたなど”という陳腐な表現をしないでいただきたいですね」


 黒髪の男はフィルたちに背を向け、何もない空間に向かって喋り続ける。


「知っていますか? 人は生まれながらにして”悪”なのです。この世に善のみで生きている人間などいない。お分かりですか? ワタクシは人々が抱えている闇を開放してあげただけ。『闇人』とは負の感情から解放された人間の真の姿なのです」


「なに訳わかんねぇこと言ってんだ! てめぇがやったのはただの洗脳だろうが!」


「はぁ……これだから凡人は。先程申し上げたとおりワタクシはその人の持つ闇を解いて差し上げただけなのですよ。あの薬を飲めばワタクシの晶素を体内に取り込むことによって闇の世界の住人となることができる。あぁ、そこはとても心地良いのですよ、負の感情が大きければ大きいほど……ね」


 男は続ける。


「ワタクシの世界では誰しもが悪。自分だけはなく周りもすべてが悪なのです。こんなに心地の良い空間はないでしょう?」


 男が一言一言言葉を発するにつれ、徐々に辺りの闇が濃くなっていく。


 男は眼鏡の奥からフィルたちを見つめると、耳障りな声で嗤い続ける。


「素質がある方をワタクシが直接招待差し上げているのです。闇を抱えた者同士傷を舐め合うことのなんと素晴らしいことか!」


「直接? だけど証言は全員違う人物だったはずだ」


「くくくっ、この世にはあなたたちの想像を超えるものがあるのですよ。そう、例えば道具とか、ね」


「なんだと? そんな道具が本当にあるわけが……」


 フィルの言葉はそこで途切れてしまう。言葉を止めたのは男が語った内容でなければ他に説明がつかなかったからだ。本当にそんな道具があるのかは俄かには信じがたかったが、被害者全員の証言が違っていた理由としては辻褄が合う。


「この国は素晴らしい。聖教という幻想に心を囚われた愚かな住人がそこら中にいる。とても居心地がいいのですよ、この国は! あの子供だってそうです」


「子供? もしかしてロイのことか」


 その口ぶりから、どうやら男はフィルたちがロイと一緒に暮らしているのを知っていたらしい。


「あの子は教会での生活に嫌気が差していたらしいですよ。年長として下の子の面倒を見ながら弱音も吐けず、ずっと我慢してきたそうです」


「あのロイが……?」


「あなたたちは人の上辺だけしか見てないから分からないのですよ。人間皆そうです。誰しも我慢しながら生きている。なのでワタクシは我慢しなくてもいい世界を提供して差し上げているだけなのです」


「お前はいったい何がしたい。目的はなんだ!」


 フィルの問いかけに、今までのにたにたとした笑みから一転、男は狂ったように髪を振り乱す。


「目的? くくくっっ! あははははははははははは」


「そんなの決まっているじゃないですかッ! あのお方のお役に立つためですよ! ワタクシの生きる意味はあのお方のお役に立つこと以外ない。『闇人』たちはいずれ完全に自我を手放し、我々”真羅ルーラー”の手足となることができるのです! こんな光栄な事はない!」


――――あのお方? ”真羅ルーラー”?


「我々には”創造の思念片かけら”が必要なのですよ。わざわざこのワタクシを向かわせたということの意味があなた方に理解できますか? 理解できないでしょうねぇ! あぁ、グランデルさま……」


 目の前の男はうっとりと恍惚の表情を浮かべ、べらべらと喋っているが、何を言ってるのかフィルにはまったく理解ができなかった。


「一応聞いておきますが、何も見ていないことにしてここから立ち去ることもできますよ? なんならこの薬も差し上げますが? くくくっ」


 ”真羅ルーラー”とやらの目的ははっきりしないが、目の前の男は明らかに自らの能力で人々を洗脳し楽しんでいる。しかもいずれ自我を失うなど、そのような非人道的な行いが許せるはずもなかった。


「ふざけるな。今ここでお前を止めて被害に遭った人々を助ける。それが唯一の答えだ」


「そうですか。本当に愚かですねぇ。ワタクシがここまで喋ったという事は生かして帰すことなどないというのに」


 男の気配が急激に膨れ上がり、膨大な晶素を取り込みながら濃い青色のオーラを纏い始めた。


「この名があなた方の最期に聞く名となるでしょう、愚かな者どもよ。ワタクシの名はヴァクロム・グロウスランド。【常闇】に囚われ【虚空】を支配するもの。さぁ、闇の舞踏会へご招待しましょう」



「≪宵闇舞踏セラータ・ダンス≫」



 ヴァクロムの言葉をきっかけに辺り一帯から闇が噴き出し、そこから次々に闇を纏った人間が現れる。顔を見ると、みな事件の被害者ばかりであり、その数は優に二十を超えている。


 その中にはロイや部隊長、宿屋の主人も含まれており、みな一様に感情が抜け落ちているかのような表情を浮かべていた。


「≪闇化ブーヨ≫」


 ヴァクロムから巨大な黒い塊が生み出され、次々に『闇人』たちに降り注ぐ。それを受けた者は全身が闇に包まれついに、誰が誰かの区別もつかなくなってしまった。


「さぁ、行きなさい『闇人』たちよ。侵略者たちに制裁を」


「「「ぎがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」」」


 闇人と呼ばれた者たちは、およそ人とは思えない奇声を上げながら一斉にこちらへ襲い掛かってくる。


「≪水蓮ツェンレン≫!」

「≪勇敢小兎ハイネン≫!」

「≪大雷クラム≫!」


 仲間たちが一斉に迎撃を始め、フィルも応戦するのだが一体一体が強く、しかも元々は普通の住民たちのため、過度に傷つけることもできない。さらに、身体能力と耐久力が常人と比べ跳ね上がっており、気絶させようにもある程度の攻撃を叩き込まなければ難しいことが分かった。


「ちっ、こいつら相当硬ぇぞ!」


 厄介なのはその耐久力で、闇の鎧のようなものを纏っているせいで肉体まで攻撃が届かないのだ。


 全力で晶素をぶつける訳にもいかず、防戦一方のフィルたちに傷が増え始めたその時、その人物は突然現れた。


「大丈夫か君たち」


 闇人から繰り出される攻撃を、見るからに業物と思われる長槍で弾き返しながら、武具屋の店主バルトがそこに立っていた。


「バルトさん!? どうしてここに!?」


「巨大な晶素の気配を感じて飛び起きたのだ。駆けつけて見れば、こいつらは……?」


「奥にいるアイツに操られているみたいで、元はここの住民の方たちなんです。だから過剰に攻撃もできず……」


「なるほど、これが失踪事件の顛末か。なんとむごいことを……微力ながらこの老骨も力になろう」


 バルトはそう言うと身の丈程もある槍を構える。その様相は明らかに戦い慣れしており、襲い掛かる闇人たちに対し片手で流れるような連撃を放つ。


「≪白槍はくそう≫」


 白銀に輝く槍が襲い掛かる闇人を薙ぎ払う。さらに一体の闇人が背後から近づいているが、バルトは後ろを振り返ることなく迎え撃った。


「≪絶声穴ぜっせいけつ≫」


 後ろから襲い掛かった闇人は、突如飛んできた突きによって吹き飛びピクリともしなくなってしまう。


 バルトを脅威と感じたのか、闇人たちが一斉に襲い掛かる。さすがのバルトでも一気に襲い掛かられてはまずいと思い援護しようとしたのだが、フィルの心配は杞憂だった。


「≪蓮和領土れんわりょうど≫」


 自身の身体を軸に槍を高速回転させすべての敵を一気に薙ぎ払う。的確に捉えられた一撃に、五体の闇人は為す術なく弾き飛ばされ、この短時間でバルトが相当な実力者だということをフィルは理解した。


 バルトが戦う様子を応戦しながら見ていたカイトが叫ぶ。


「フィル! ここはオレたちで十分だ! お前は奴をやれ!」


 フィルは一瞬だけ逡巡したが、託された役割を全うするため、奥で不気味な笑みを顔に張りつけているヴァクロムと対峙する。


「いやはやこれは予想外ですねぇ。ワタクシの『闇人』たちと互角に渡り合うとは。まさかあなた方も保持者ホルダーだったとはねぇ。余計な乱入者もいるようですし」


 ヴァクロムを見るが、言葉とは裏腹に焦った様子などは微塵もない。むしろこの状況を楽しんでいるようにさえ感じる。


「ワタクシ少し楽しくなってきましたよ。せっかく集めた『闇人』たちを失ったらさすがのワタクシでも困りますし、あのお方のお顔に泥を塗ることはできませんからねぇ。では”真羅ルーラー”の一角の力をお見せいたしましょう」


 ヴァクロムの纏う晶素が今まで以上に膨れ上がり、次第に肉体にも変化が現れ始める。細身の体に赤黒い線が走り、頭の上から足先まで高濃度の晶素に包まれている。

 


 そして、ヴァクロムの真の力が禍々しいオーラと共に解放された。

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