六界

 フィルは、突如発生した禍々しい晶素のうねりに巻き込まれながら感じていた。


 ヴァクロムとの圧倒的な力量差を。


 重くのしかかる途方もない晶素の圧を。


「さて――――まずは邪魔な方々に退場いただきましょうか」


 そう言うと、ヴァクロムは闇人たちと必死に戦っているカイトたちへ向け手をかざす。


「≪闇夜風リリーム・ヴェント≫」


 もや状の闇がヴァクロムの掌から生み出され、見るとそのもやが通った箇所の草木などが跡形もなく消え去っている。


――――まずい


 フィルが気づいた時にはすでに遅かった。あっという間に戦闘中の四人が飲み込まれ、その場から跡形もなく消え去ってしまう。


「みんなッ!!」


「邪魔だったので退場いただきました。さて、虚空の世界でいつまで体力が保ちますかねぇ。くくくっ」


 フィルはいてもたってもいられずヴァクロムに突っ込んでいく。


「打ち砕け! ≪晶撃アントレ≫!」


 ヴァクロムが手をかざすと闇人たちが立ち塞がるように壁となり、フィルの攻撃をあっさり防いでしまった。だが、壁の向こうではヴァクロムが驚いた顔をしていた。


「なぜあなたが……」


「同じ技? 何を言ってる!」


「あなたが知る必要のないことですよ。さぁ、そろそろ終わりにしましょう」


 ヴァクロムの元にすべての闇人が集まっていくと、ヴァクロムは掌に晶素を集め闇人に向け一気に晶素を開放した。


「≪宵の終結地テネブル・バンケット≫」 


 すべての闇人が一箇所に集められると、一つの集合体として巨躯を形成する。フィルの目の前に現れたのは闇の巨人は、その足を一歩踏み出しただけで強烈な圧を放った。


 巨人は不定形の口をのっそりと開けると、闇を纏った舌を凄まじい速度で振り下ろす。


「≪晶壁オーバー≫!」


 フィルは咄嗟に防御の態勢をとるが、衝突の衝撃で周囲の土壁が吹き飛ばされる。そして、途轍もない威力を持った一撃はあっさりと晶壁オーバーを破り、フィルの左腕を直撃してそのまま身体ごと吹き飛ばした。


 地面に叩きつけられたフィルはなんとか立ち上がるが、左腕に鋭い痛みが走る。だが、傷を確認する間もなく、間髪入れずに巨人から高速の打撃が打ち下ろされる。


 フィルは体を捻ってぎりぎりの所で躱すと、痛む左腕を引きずりながら、闇巨人の脚へ向けて再び拳を放った。


「≪晶撃アントレ≫!」


 フィルが放った一撃は闇巨人の体勢を崩すことには成功するが、ただそれだけだった。仲間たちがヴァクロムに囚われているため、フィル一人では絶対的に攻撃力が足りていないことを痛感する。


 決して油断した訳ではなかった。


 だが、体勢が崩れている巨人の背後に隠れて忍び寄っていた影にフィルは気付くことができず、無防備な腹に直撃すると、フィルは体を民家の壁に叩きつけられ呼吸が止まる。


「かっ……は」


 今の一撃で肋骨が何本かやられてしまったようで、痛みに耐えながら次々と迫ってくる攻撃を避けるので精一杯で、攻撃に転じることができない。


「ワタクシの『闇巨人』からは逃げられませんよ。闇がある限り永遠に追い続けますから。ではそろそろ終幕といたしましょう」


 フィルは避け続けながら考える。このままだと絶対に勝てないと。闇巨人ではなく、操っているヴァクロム本人を倒すしかないと。


 だが、接近して倒すことはあの闇巨人がいる限り無理だ。あの巨体からは考えられない速度で攻撃が飛んでくるため、正面から防ごうにも今のフィルの力量では凌ぎきれないのだ。


 状況を打破する可能性は一つ。この距離からヴァクロム本体を攻撃するしかない。


――――考えろ。あいつを倒す可能性を。思考を止めるな


 遠距離で攻撃できる技を放つしかない。だが、晶撃アントレ以外の技は晶素が霧散してしまい、今まで一度も発現したことはなかった事実が心に重くのしかかる。


――――速く、より強いイメージを


「何かしようとしてるみたいですがもう遅い。すべてが手遅れですよ」


 ヴァクロムは闇巨人を呼び寄せると、その後頭部に手を置き不吉な詠唱を始める。


「さぁ、狂人たちの宴に。盃を捨て、骨を掲げよ」



「≪狂宴招待アンタウェル・ランド≫」



 再び開かれた口から溢れ出すのは死の風だ。通る道は朽ち果て、整備された石通りは一瞬で見るも無残な状態となっている。


 闇巨人は口から凶悪な風を吹き出しながらこちらへ迫ってきており、あれを仮に避けきれたとしても、次の瞬間には間違いなく命を刈り取る一撃が襲ってくるだろう。


――――覚悟を決めるしかない


 今ここで自分が倒されれば、他の仲間たちも、闇に囚われた人たちも二度と帰ってこない。それだけではない。いずれこの国も闇に塗り替えられてしまうだろう。


「俺が助けるんだ、絶対に……ッ!」


 今までとは違う感覚がフィルの掌に収束し始める。”助けたい”というフィルの意志に呼応するように晶素が形を変え始める。


――――この感覚は


 収束した晶素は目の前の敵を打ち払う波となり、フィルの掌から放たれた。



「≪晶波レイジング≫」



 放たれた晶素は死の風を吹き飛ばすと、迫りくる闇巨人すら押し戻してその巨躯を弾き飛ばした。


 ヴァクロムが驚愕の表情を浮かべこちらを見ているのが見える中、フィルは残りの体力をすべて使い全身全霊の一撃を放つ。


「波となり敵を払え! ≪晶波レイジング≫ッ!」


 フィルの掌から放たれた晶素は先程とは違い規模は小さい。だが、その分晶素を凝縮しており、高速で打ち出された衝撃波は空気の隙間を縫いながらヴァクロムへ直撃した。


「はぁ、はぁ」

 

 決着を着けるつもりで、渾身の力を込めて放った。間違いなく直撃したのを確認したし、実際にヴァクロムは地面に倒れ伏してピクリともしない。


「なんとか……終わったか」


 フィルは戦いの終わりを確信し、強張った肩の力を抜こうとするが違和感を覚えた。


――――意識を刈り取ったなら晶素の循環は止まるはずだ。なのに、


「まさか」


「≪影公の舌クウォン・タン


 闇の中から高速で飛来した巨大な質量に、フィルは構える暇もなく軽々と吹き飛ばされる。


「がはっ」


 満身創痍の身体で上半身だけを起こすと、闇巨人とともにヴァクロムが平然と起き上がってこちらを睥睨しているのが見えた。その身体に傷は一切見当たらない。


――――これでもまだ、届かないのか


 ヴァクロムはぶつぶつ言いながらこちらに近寄ってくる。


「……驚きましたねぇ、そのような力があるようには見えなかったですが。一つ聞きますがなぜを狙わなかったので?」


 ヴァクロムからの予想外の問いかけに、フィルは咄嗟に答えることができない。


「なるほど。あなた?」


「ッ」


「くくくっ。実に愚か! この状況で敵に情けをかけるとはどこまであなたは愚かなのですか。あなたには決定的に足りないものがありますよ。何か分かりますか? 覚悟ですよ、覚悟。あなた何のために戦っているのです?」


「それは仲間やこの国の人たちを守るた――」


「他人を理由にしないでいただきたい。そこにあなた自身の意志はあるのですか? そういう人間はね、総じて弱くはない。だが、強くもない」


 ヴァクロムは闇巨人を呼び寄せると、元の闇人たちに解体する。辺りに人の気配が増えるが、以前のものとは様相が異なっていた。


「言ったでしょう。人は生まれながらに悪だと。みな自分の事だけを考えて生きているのですよ」


 確かに人は自分を大事にするあまり他人を傷つけることもある。だが、決してそれだけではないのだ。フィルはヴァクロムを正面に見据え、自分の考えをぶつける。


「お前は人の弱さしか見ていない。人には強さもあるんだ。弱さに溺れ、嫌なことはすべて忘れる。そんなのは人間じゃない。お前はただ罪のない人を操っているだけの狂人だ」


「それは日向にいる者の考え方ですねぇ……虫唾が走る。見ていなさい、あなたが招く現実を」


 ヴァクロムはおもむろに二体の闇人を呼びよせると、突然胸部に向けて晶素を纏った手刀を放った。


 手はあっさりと身体を貫き、血に塗れた晶核がヴァクロムによって抉り取られ、周囲に咽返る程の血の匂いが立ち込める。


「な……にを」


 目の前で人が死んだという事実にフィルは脳がついていかない。


 目の前に倒れこんだ人の顔を見ると、それは今日話を聞きに行った宿屋の主人の顔だった。


 ヴァクロムは取り出した二つの晶核をおもむろに自身の口に放り込むと、纏う晶素を爆発的に膨れ上がらせていく。


「ふぅ。あの爺さんの言うこともたまには聞いてみるもんですねぇ。さて」


「どうして……なんでその人たちを殺した!」


「あなたがワタクシを殺せないから死んだんですよ。あなたの甘さが殺したのです」


「ふざけるなよ。人の命をいったいなんだと思ってるッ!!」


「この二人はちゃんとワタクシの糧になってますから本望でしょう。辛い現実から永遠に開放されたのですから、ね」


 もはや目の前の男にフィルの中の常識は通用しなかった。


「あなたはワタクシの手で直接葬って差し上げます。我々、真羅ルーラーは世界を造り変える。新たな世界にあなたのような光は不要です」


 今のフィルが放てる渾身の力を込めた一撃でも、ヴァクロムには通用しなかった。 だが、勝てないからといって諦める訳にはいかない。フィルは、再度自分を奮い立たせ、迫りくる闇人の集団に対峙する。


「さぁ、闇よ、我が手に! 狂宴招アンタェルラ――」



 そう、ヴァクロムが言葉を終える瞬間だった。



 突如、ヴァクロムの両端に二人の男が現れ、男の一人が跪きながらヴァクロムへと声を掛ける。


「ヴァクロム様。一時帰還せよとのご命令です」


「なに? 聖宮にある『思念片かけら』の回収が未だだが?」


「”特異点”の可能性ありとのこと。三席が動かれるようです」


「ちっ、ワタクシで十分だというのに。仕方ない、引き上げるぞ」


 ヴァクロムから承諾の言葉を聞いた男たちは、懐から捻じ曲がった鍵のようなものを取り出し、空へと掲げる。すると、上空に黒い穴のようなものが出現し、男たちは吸い込まれそのまま姿を消した。


「待て!」


 フィルが制止の言葉を投げると、ヴァクロムはこちらを一度だけ振り返る。


「覚えておきなさい。この世界はいずれ我々真羅ルーラーのものになる。最後に愚かなあなたにプレゼントを差し上げましょう。それでは良い夜を」


 その言葉を最後に、ヴァクロムと二人の男の気配は完全にこの場から消え去った。


 闇人達も元の住人の姿に戻っており、側にはカイト、リア、ノクト、バルトも倒れているが、見たところ全員無事のようだ。


――――負けた、のか


 あのまま戦っていたら、フィルは間違いなくあの二人と同じく殺されていただろう。新しく手に入れた力でも、ヴァクロムには傷一つ付けることさえできなかったのだから。


「くそっ!」


 誰に言うでもなくフィルは悔しさを吐露する。


 フィルは頭を切り替えると、目の前で倒れている仲間たちの元へと駆け寄る。ここで倒れている全員を一人で運ぶことは今のフィルには難しく、人手を呼ぶため痛む体を引きずりながら衛兵がいる詰所へと向かって歩いて行った。



 夜は未だ明けていない。

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