強さと弱さ
村に到着したフィルたちが見たのは、目を覆いたくなるような光景だった。
家屋はなぎ倒され、至るところで火の手が上がっている。家族同然だった村人があちこちで倒れており、顔色からすでに命がないことは明白だった。四肢を食いちぎられている者もいる。
「あぁ………………あぁ……」
いつも元気で快活なリアが泣き崩れていた。両手はすでに冷たくなっている両親の手を握りしめている。
フィルは何も声をかけることができない。どう声をかけていいのか分からなかった。
「くそっ!」
カイトがやりきれない想いを誰に言う訳でもなく宙に吐き出す。
「なんで! そんなはず…………どうして……」
ノクトは今までに見たことのない表情で怒りと悲しみを露わにしている。ノクトの両親もまたすでに事切れていた。
フィルはそんな三人を遠目に見ながら、気付いたら燃え盛る我が家の前で立ち尽くしていた。
「……父さん……母さん」
どうして。
なんで。
そんな陳腐な言葉ばかりが浮かんでは消えていく。
フィルは二人の死が受け入れることができない。今日の朝「おはよう」と言ってくれたばかりの二人が、もうこの世にいないことが信じられなかった。
こういう時に限って楽しい思い出ばかりが浮かんできてしまうのは、なぜなのだろうか。
何も考えられず呆然と立ち尽くしていたフィルに、カイトが焦りを混ぜた声で促す。
「フィル! 今はとにかく逃げるぞ!」
――――父さん
「おい! フィル!」
――――母さん
「フィル! 二人の死を無駄にする気か!」
その言葉でフィルは急に現実に引き戻された。引き戻されたと同時に景色が急に鮮明になり、そのあまりの凄惨さ、不快さに反射的に吐いてしまう。
「おえぇっ、あぁっ……あぁ…………カイト……俺は……俺は……」
「フィル。オレだって親父とお袋がどうなったかすら確認できてない。けど……けどここにいたらアイツらが戻ってくるかもしれない。今は自分たちの命を守ることを優先しよう」
カイトが感情を抑えるように冷静に言う。その表情から、フィルはカイトがどれだけ自分の感情を押し殺しているのかを悟る。おそらく村が襲われていることを知ったカイトは、このままではフィルたちは何も知らないまま襲われてしまうと思い、後ろ髪を引かれながらも戻ってきてくれたのだろう。
「……そうだな。ありがとう、カイト」
「礼は後だ。今は早くここから――――」
その時、体の底から恐怖を掻き起すような咆哮が辺り一帯に響き渡る。
「ヴォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!」
「まずい! やつらやっぱりまだいやがった! こっちに来る前に早く逃げるぞ!」
カイトが逃げ道を確保しながら叫ぶ。
ショックで動けなくなっているリアを抱え逃げようとしたその時、一体の
見たところ、村の周辺で見かける、
一歩でも動けば襲ってきそうな気配にフィルたちが動けないでいる中、先にしびれを切らしたのは
「グルァァァアァ!」
強靭な四肢を生かしたスピードで急接近した
だが、横から振るわれた鋭い剣の一閃が
「大丈夫かみんな!」
「ヴァン!」
ヴァンは見れば至るところを負傷している。村の皆を守るため必死に戦っていたのだろう。
「他のみんなは!?」
フィルがヴァンに投げかけるがヴァンの表情は優れない。
「分からん。北門から駆け付けた時はすでに南は壊滅状態だった。セーラとディアは家の地下にある物置にまだ隠れているはずだ。俺は二人を連れて逃げる。ぐっ! ここはおれが食い止めるからお前らは早く逃げろ!」
ヴァンが
「そんなのだめだ! みんなで逃げよう!」
「今のままだと確実に全滅する! 固まって動いたところでいい的になるだけだ! それにあの
ヴァンが渾身の一刀によって
心臓の音がうるさく鳴り響く中、ヴァンの視線の先を追っていくとソレは立っていた。
全身を黒い甲殻で覆い、胸元には大きな十字の紋様が刻まれている。背丈は標準の人間と大差はないが、異様に多い関節と、垂れ下がった長い耳、そして身体を突き破るように無数の骨が突き出している。
まさに異形としか言いようがない。
形容しがたい生物の形をしており、生理的な嫌悪感と恐怖を引き起こした。
化け物は右手に人の頭部を抱え、左手にはすでに判別できないほど破壊された人の足を握りしめ、歯がぎっしりと生えそろった口をくちゃくちゃと動かしながら、じっとこちらを見ている。
圧倒的な存在感を放つ化け物の登場に、脳が早く逃げろと指令を出すが、恐怖で足は地面に張り付き動かない。
そんな状況の中、唯一正気を保っていたヴァンがフィルたち四人へ発破をかける。
「急げ! アイツを見て分かるだろう!? 戦って勝てるような相手じゃないんだ! それに、敵はアイツだけじゃない! 必ず二人を連れて逃げるから先に行け!」
ヴァンはこちらに近寄ることもせず、じっとこちらを見ている
だがそれでも、あの怪物の前にヴァンを置いていくことはどうしてもできなかった。追いつかれれば待つのは”死”だったが、ヴァンの決意を聞いたカイトが決断する。
「分かった。絶対後で追いつけよヴァン」
「ッ!? 何を言ってるんだカイト! ヴァンたちを見捨てる気か!」
仲間を置いていくという選択にフィルが非難の声をあげる。ヴァン一人であの
「ヴァンが言ったとおりだ。今のまま全員で動いても奴の餌食になるだけだ。
「だけどッ!」
「冷静になれ、フィル! 今何が最善かを考えろ」
「……ッ」
言葉の意味は分かる。頭では分かってるのだ。だがどうしてもその選択を取る事ができないのだ。今のこの状況でヴァン一人残していった所で、いったいどのくらい生き残る可能性があるのだろうか。
フィルの葛藤に気付いたヴァンが、身を呈して戦い続けながらこちらを振り返る事無く言いきる。
「生きてくれ」
「ッ」
短いその言葉に、たった五文字のその言葉に、フィルは涙が止まらない。込められた決意を受け取ったフィルに、これ以上この場に踏みとどまる事は許されていない。
自分の無力さに拳を握りしめながら、可能性は限りなく低いと分かっていても、フィルはヴァンの背中に言葉を投げかける。
「セーラとディアを連れて必ず追いかけてくるんだ! 必ず!」
「応っ!」
激しい戦いの音を背に、フィルは感情を抑え込みながらカイト、リア、ノクトと共にゾネの村を後にした。
――――――――――――
――――――――
――――
――
ゾネの村を出たフィルたちは、夜が更ける前になんとか隣の村にたどり着いた。
疲労困憊の状態で村長に事情を告げると、快くフィルたちを泊めてくれ、さらに夕飯までご馳走してくれた。ようやく一息ついたところで、フィルたちは今後のことについて話し合っていた。
「このまま聖都に向かおう。ヴァンたちと落ち合うためにも、俺たちが生きていくためにも」
フィルがそう切り出すとカイトが同意する。
「オレもそう思う。このままずっとこの村に世話になるわけにもいかねぇしな。村長が聖都に着いたら教会を訪ねるって言ってたろ? まずはそこに行ってみようぜ」
「……わかった」
リアがか細い声で返事を返し、ノクトは俯いたまま反応を示さない。そんなノクトを見かねたフィルが、気持ちをほぐすように優しく話しかける。
「なぁ、ノクト。俺だってまだ気持ちの整理がついていないんだ。頭では理解しているのに心が拒否してる。それでも俺たちは生きていかなきゃ」
「フィルは……強いんだね」
ノクトは俯いたまま顔を上げることはなかった。
「さぁ、今日はもう遅いから寝よう」
フィルの言葉で解散となり、各々が各自の部屋に消え寝床に入る。
寝床に入ってからも、目を閉じてしまえば嫌でも今日のことを思い出してしまい、フィルはなかなか寝付けなかった。
しばらくしてみんなが寝静まったのを確認すると、フィルはそっと寝床を抜け出した。
周囲は当然のように真っ暗だ。聖都には晶素を利用した明かりがあるそうだが、この辺境にそんなものはない。フィルは暗い道をあてもなく歩いた。
しばらくするとふいに波の音が聞こえてくる。
この村はゾネの村よりも腐海に近い。フィルは波の音に誘われるまま海の方向へ歩き、 海が見える位置まで来るとフィルは近くにあった岩に腰かける。海から吹き付けてくる風が心地よかった。
「この海が高濃度の晶素を含んでいるなんて信じられないな」
どうでもいいようなことをフィルがひとり呟いていると、後ろから足音が聞こえてくる。フィルが振り返る前に聞きなれた声に話しかけらた。
「腐海に住む動物を食べる国もあるらしいぞ」
カイトがどうでもいい情報を言いながら隣に腰かける。フィルもたいして興味があるわけではないが一応答えた。
「どうやって食べるんだよ?」
「そりゃぁ、お前……色々頑張ってだよ!」
「なんだよそれ」
フィルとカイトはそう言いながら笑い合う。なんだかフィルは久しぶりに笑った気がした。今日の昼にはみんなで笑いあっていたはずだった。
明日も当然そうなるんだと当たり前に思っていた。
二人は無言のまま海を見つめている。
カイトが海を見ながらぽつぽつと喋り始めた。
「オレも正直気持ちの整理なんてついてねぇんだ。心のどこかでは親父とお袋も生きてるんじゃねぇかと思ってる。そんなはずないのにな。ヴァンたちのこともそうだ。あの場ではああ言ったがフィルの言うとおりだ。オレはただ三人を見捨てただけだ。セーラたちだって」
「…………やめろカイト」
「聖都に行ったってどうなるんだ。教会に行って相手にされなかったらどうする? 手に職もない。成人したばかりのオレたちが本当に生きていけるのか?」
「……やめろって」
「オレはいつだってそうだ。その場では偉そうなことを言う! 口では先のことを考えているかのように言う! 中身なんて一切ないくせに!」
「やめろよ! 誰もそんなこと思っちゃいない!」
カイトの目からは涙が零れていた。それは、ずっと一緒に育ってきた男が見せた初めての涙だった。
フィルはカイトに声を掛ける。
「カイトは自分の決断に自信を持っていいんだ。もしこの先迷うことがあれば、カイトの決断は間違ってないんだって、いつだって俺が証明してやるから」
カイトは何も言わなかった。ただただ静かに夜空を見上げていた。
しばらくして、カイトが立ち上がりフィルに言う。
「フィル。お前はいつだって強い。常に誰かのことを想って行動する。誰かが悲しんでれば一緒に悲しむし、困っていればいつだって手を差し伸べてくれる。それはすごいことだよ。でもな、辛いことがあったら泣いていいんだ。オレたちをもっと頼れ。お前の道はオレたちが切り拓いてやるから心配すんな。俺たちは――――生きてていいんだ」
カイトはそれだけ言い残し村の方へと帰って行く。
その一言で、フィルの中で必死にせき止めていた感情が溢れだした。
「……ああぁぁぁぁぁぁぁっ!! うぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
限界だった。フィルは涙が枯れるまでその場にうずくまり泣き続けた。
しばらく感情を溢れさせ空が明るみ始めた頃、フィルは大好きだった両親に言われたことを思い出していた。
『フィル。人にはね、困っていても助けてって言えない人もいるんだ。そういう人はたいてい困ってないって言う。だからね、フィルは上辺の言葉じゃなくてその人の心を見てあげなさい。そうすればきっとフィルもその人も幸せになれるから』
「”心を見てあげなさい”……か。いいこと言うなぁ」
自分がみんなをなんとかしなきゃいけない、助けなければと心のどこで思っていたのかもしれない。自分自身に押しつぶれそうになっていた。
悲しみや喪失感は当然ある。今も寂しさと不安に押しつぶされそうなことに変わりはない。
だが、生きることに迷いはなかった。
フィルは仲間たちとこれから生きていくための一歩を、ゆっくりと歩み始めた。
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