第十八話 ファイアークラッカーcase10

「どのあたりから狙ったのかなあ……?」


 半袖のブラウスに包まれた腕を伸ばし、手庇てびさしを作った翠が、並び立つビル群の様子を伺う。真っ赤な空に雲は一つも浮かんでいない。

 翠は小さな白い手の下で、綺麗な緑の瞳を眩し気に細めた。気温がひどく上がってきたため、二人は現場に来る途中、一旦、自宅に帰って着替えてきていた。


 白翅は薄い紺のキャミソールを身につけ、素足に白いサンダルといった格好だ。この暑いのに、白翅のサンダルと同じくらい白い肌は汗ひとつかいていない。今の自分が役立てるのは、常人を超えた持久力だけになりそうだ。

 白翅の通常時の視力も優れているが、異誕の血が混ざる翠には及ばないらしい。それでも、なんとか翠と同じ場所を見ようと白翅は目を凝らす。少しでも知恵を絞って役立つことを考えようとする。


「……スコープとか使ったってことは……?考えられない……?」

「ライフルのやつ?」

「うん。望遠鏡みたいな……」

「目視で確認できないんだったら、あり得るかも……」

「双眼鏡をとかも……」


 白翅たちは、現在の所、現場から半径百メートルの範囲内を南北に割って、二組がそれぞれ真の犯行現場を探している。

 探す場所は主に、空きビルや、セキュリティのゆるい集合住宅の周辺。都会によくあるそんな建物は、人の姿を確認するにはもってこいだ。

 狙撃と同じで、街を行く標的を狙いやすい場所ポイント。異誕生物の反応があるとすればそこだ。


 ひとしきり探した後、次に二人が目星をつけた建物を白翅は見上げる。七階建ての建設中のマンション。全体が養生シートで覆われていて、それが人が立ち入り辛い雰囲気を醸し出している。

 自転車置き場は空っぽで、すぐ隣には格子状の柵に囲まれた、非常階段の入り口が設置されていた。


「ここだったら、潜り込める場所がたくさんありそう」


 白翅は軽く首肯しながら、二人一緒に、入り口に足を向けた。何気なく視線を上げると、マンションの外壁にひどく小さな影が映り、それがゆっくりと上へ上へと這い上っていった。小さな頭を後ろに向け、影の主を探す。黒いカラスが夕闇に沈みつつある空を旋回し、別の建物へ身を翻していった。


 つづら折り式の非常階段を昇り、各階ごとに、なるべく痕跡を残さないようにしながら手掛かりを探した。作業員たちは引き上げてしまっているはずなのに、足音をついつい殺してしまう。


 もし誰かに咎められたらどうすればいいのだろうと思いながら、影に覆われたフロアを往復し、次の階を昇り始めた。今は六階。次の踊り場はちょうど陽が当たりにくい場所だけシートが外されていて、遠方に新宿のビル群が見えていた。

 西の夕空からは、遮れきれなかった光が、降り注いでいる。


 二人分のひどく小さな足音がスチールの階段をタンタン、と鳴らした。そのたびに舞い上げられた埃が、夕闇にきらきらと輝く。

 翠の同年代の女の子と比べてもとても小さく華奢な頭と、折れそうなバランスの良い胴体を差した茜が照らし出した。


「異誕反応あり」

「……十九時十六分」


 白翅が時間をとり、翠がメモ帳を取り出した。このシートは、誰かが剥がしたということなのだろうか。作業員の有無を調べなくてはならないかもしれない。

 翠が再び手庇で、遠くへ視線を走らせる。細い指が突き出され、ほんとだ、と小さく声を紡いだ。


「見えたよ、現場」

「……ほんとだ」


 三百メートルほど離れた場所に、現場となった広い道路が見えている。現在も通行止めとなっていて、交通課からの応援と思われる白バイや、交通誘導の警官達がしきりに周囲を警戒していた。


 白翅が椿姫たちに状況を伝え、二人でビルの階段を降りていく。一階まで降りると、向かいの一階に床屋が入っているビルまで翠は歩いていき、そこに設置された自販機に小銭を入れた。

「暑いねえ……何飲む?白翅さん?」

「……え?お金……」

「今日は特別サービスです。いつも頑張ってる後輩に先輩から!」


 くすり、と白翅の口元が笑う。


「あ、笑ったぁ」


 それじゃあカ、と自販機の中のアイスココアの缶を指さした。いいよ、と翠はボタンを押す。それから出てきた缶を白翅に渡すと、近くのバス停の小さなベンチに腰を下ろした。


「ミルクセーキ、好きなの?」


 話題が欲しくて、白翅は問いかけた。翠が買ったのはガラス瓶に入った古典的なデザインのものだった。


「うん。味がプリンみたいだから。なかなか売ってる自販機無かったんだけど、さっき見下ろした時見えたから後で買おうと思ってたの」


 翠が中身に口をつける。カラメルみたい、とつぶやいた。


「白翅さんは炭酸とか好き?」

「どちらかというと、好きじゃない。舌触り、が良くないから」

「そっかあ。私はメロンソーダとか好きだなあ」


 ひどく蒸し暑いせいか、ミルクセーキの小瓶に水滴が垂れている。翠はそれを握って水を指で拭き取った。白翅はもうアイスココアを飲んでしまっていた。自分で思っていたよりも喉が渇いていたらしい。額から汗が一筋流れているのが、感触で分かった。すると、翠が取り出したタオルでそれを拭いてくれた。


「……ありがと」

「どういたしまして」


 照れくさくて、白翅は長い睫毛をそっと伏せた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る