第十八話 ファイアークラッカーcase7
新宿の繁華街は、いつだってにぎわっている。
ほぼ地元の人しか寄り付かない、地元の街とは大違いだ。
だから、人が捌けているのは、こんな風に人が死んでいる場所だけなのかもしれない。そんなことを考えながら、白翅は現場に足を踏み入れる。
規制線の境界にごく自然に現れた制服姿の女の子のペアに、新宿署の警官達が戸惑いの表情を浮かべた。
周囲を映画館や洋服のチェーン店に囲まれた四百㎡ほどの駅前広場。
その中央に位置する大きな花壇のそばに、人型のものがうずくまるような姿勢で突っ伏していた。タンパク質が焦げる独特の匂いと、炭が入り混じった空気は、ひどく
もう陽も沈み始めているというのに、照り付けが激しく、暑さはまるで大気全体が燃えているかのようだ。
スカートの前を抑え、軽やかに規制線を飛び越えた翠が、あまり濃くない眉を寄せて、表情を引き締めた。白翅もほぼ同時に、包囲の内側に跳躍して着地する。
そして捜査主任らしい年配の女性刑事に名刺を見せた。
「ええっ、ちょ、ま」
助手らしき制服の婦人警官はただ目を丸くしてのけぞっている。
「この人に頼まれて来ました。捜査情報を教えてもらえませんか?私が後で報告することになってて……」
「あの、あなたねえ……はい。もしもし?」
事件の発生の連絡を受けたのは、二人が学校を出て、帰路についていた頃だった。
特務分室の職員のシフトが合わず、臨場には間に合わなかったらしい。そのため、先に現場に向かうように指示された。通学路からは外れるが、自宅からさほど離れていない場所だ。おそらく電動自転車ですぐに着ける距離だろう。
異誕生物の反応を特定するには早いに越したことはない。だからこそ、白翅たちが分室のスタッフの付き添いなしで現場に入れるように、前もって証拠となる名刺が支給されている。
「ことが起こったのは、今からきっかり一時間前よ。同時に何人もが通報してきたわ」
上司との電話でのやりとりを終えた女性刑事は、疑いの色を残した眼差しをしながらも、僅かに言いにくそうにことのあらましを報告してくれた。
翠とともに会釈したが、まだ疑いの視線からは解放されなかった。仕方のないことだとは頭ではわかっているものの、なんだか居心地がよくなかった。
それはきっと、人がここで死んだばかりなのだろう。そう思いたかった。
「通行人が見てる前でいきなり燃え上がったらしいわよ。周囲の人に手当たり次第に聞きまくったらみんなが一様にそうだって。あ、監視カメラの映像、必要よね?」
「……えっと、」
「いただけると嬉しいです。後ほど、監督官の方に送信いたします」
「監督官?」
「私たちの上司です。監督官って、なんだか上官みたいで軍人さんみたいですよね」
「確かにそうね、……そういう役職があるの?」
「はい。警視さんです」
「なんてこと。署長クラスじゃない」
翠は社交的だ。怪しまれながらも、なんとか女性刑事と打ち解けている。
少なくとも、他の人とうまく話せなくて、特に警察官みたいな特殊な職業の人と話す事が苦手な自分よりははるか社交的だ。それに、自分よりも小柄でかわいらしく、きっと彼女の前では誰もが警戒心を解かれてしまうことだろう。
今年の春が始まるまではそれでもいいと思っていた。けれど、今はもっと上手に話せるようになりたいと思うようになっていた。
「……誰か変な人が近くいませんでしたか」
「……え?」
まさかあなたが喋ったの?という風な意外な様子で、女性刑事が聞き返してくる。翠の視線が気になりつつも、恥ずかしさで顔が熱くなるのを堪えて、声を張る。もしかしたら、周囲の雑音がうるさくて声をかき消されてしまったのかもしれない。きっとそうだ。
「変なひとが近くにいませんでしたか?その人が何かしたから焼け死んだのかもしれないし……」
「今のところ確認できていないわ……。誰かがガソリンをかけたというわけでもないし、自殺でもない。歩いていて急に……だから周囲も最初はわけが分からなかったみたいよ」
「……ありがとうございます」
白翅が礼を言うと同時に、翠が頭を下げた。そして、ちらっと、白翅の顔を見上げ、目で合図を送ってくる。
一旦二人は現場から距離をとる。翠が、異誕反応あり、と囁いた。
いつの間にか、焼死体にはブルーシートが掛けられようとしていた。鑑識員が苦労してシートを伸ばしている間に、遺体のあちこちが崩れたようになった部位が視界に映ったままになり、視線が一瞬、そこで凍り付く。
「けど、すごく反応が薄いの。どうしてかな?」
「いつもとは違うの?」
「うん。いつもはもっと濃いの。事件発生から一時間にしては薄すぎるよ」
異誕反応とは、通常とは異なる理に従って生まれてくる超常の生物──異誕生物が生命活動を行った際に、体外に排出されるエネルギーの残滓、その痕跡のことである。
あらゆる生物は生きているだけでエネルギーを消費する。そのため、異誕生物の体内で消費されたエネルギーは不可視の状態で、体から追い出され、一種の漠然とした気配のような形で、肉体の周辺を漂うこととなる。それらは肉体がなんらかの大きな挙動を行った場合は多数排出され、その場にしばらくの間残ることとなる。
そして、それは同族である人外か、自らも魔術という特殊な『現象』を扱うがために、同じく異常な現象の産物である異誕生物の気配に敏感な魔術士のみがその痕跡を感知することができる。
異誕反応は時間が経てば経つほど薄くなっていき、やがては完全に消失してしまう。
だからこそ、早期に反応を検知することが、異誕事件については重要になってくるのだが……。
人間との混血といえど、純血に限りなく近い翠の直感を持ってしても、今回の反応の薄さのは首を傾げざるを得ないらしい。
翠の疑問に答えることができず、気持ちだけが不満を訴えるかのように逸っていく。
自分が唯一、特務分室の中で異誕生物の気配を直接感じ取ることができない。だから翠の疑問を解決する役に立てないことが不甲斐なく、そんな気持ちがまるで小さな疼きのように白翅の胸の内を指した。
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