第十八話 ファイアークラッカーcase5

 白翅が訓練施設でひとしきりメニューを終える頃には、太陽は真上に上がっていた。雨はすっかり蒸発してしまったらしく、想像していたほど湿度は高くない。

 人もまばらな職員食堂で、来る途中のコンビニで買ってきた食事を分室のみんなで食べ終えたあと、車で送ってもらい、各自で解散した。


 今日は四人分面談があった。どうやら分室長の不破は、白翅のメンタルを気にかけてきくれているのか、「関西の事件の後で、悪夢を見たり、体調に変化はないか」、や「最近、相棒の翠とはうまくやれているのか」というような質問を受けた。以前も似たようなことを聞かれてが、答えはその時と変わらなかった。


 ただ、関西の事件で翠が酷い目に遭わされそうになったことと、六月に起こった事件で翠が傷ついた様子だったことが頭の中に蘇って、その時だけはひどく胸が苦しかった。そして、そのことをなんとなく悟られたくないという思いが、胸の中をいったりきたりしていた。

 わたしは表情を作るのが得意じゃないから、きっと大丈夫だろうと思いながら、白翅は正直に答えることを続けていた。


「まだ明るいね」


 その声で、白翅は我に返った。車で降ろしてもらった後、二人は家路についていた。道の両脇に家々がほどほどの間隔を空けて並ぶ地点に差し掛かっていて、もう自分たちの暮らす家も近い。なんのことなのかすぐには分からなかったが、車を降りる前に何気なく見たデジタル時計のことを思い出した。時刻はもう午後七時に近いはずだ。

 それでも、空には傾きかけた陽が残っている。


「うん……もう、夏だからね……」

「今年は特に暑いね。お弁当、持っていくなら傷みにくい料理にしないとね」

「そうだね……」


 隣を小さな歩幅で歩く翠の口調は、穏やかで、とても訓練を続けたり、殺伐とした現状について話し合っていた女の子とは思えない。部活帰りの普通の女の子のように思える。彼女は、自分よりも十倍近く、長く戦いの世界に身を置いていた人のはずなのに。礼服風の制服の黒い生地が、淡い陽光を吸って、鈍く光っていた。そして、すぐ近くにいる自分のパーカーも同じように射し込む光を受け入れている。


「翠……あのね……」

「うん。なあに、白翅さん」

「今日、不破さんに、何を聞かれたの……?」


 今までそう多くは無いとはいえ、面談は行われていたが、その内容には触れたことは無かった。

 話題に困ったというよりは、自分に関して何か話題が出たかもしれないと気になったのだ。


「うん、とね……私のことも聞かれたけど……白翅さんの調子はどうか、って話だったよ」

「わたしの話、あったんだ……」

「調子が良くて、すごく頑張ってるって答えたよ。他にも似た事を話したけど、だいたいそんな感じかな」

「そう、なんだ……うん……わたしももっと頑張りたい……」

「でも、体調には気をつけようね。これから、もっと暑くなるし」


 自宅に帰ると、すぐに風呂を沸かし、汗を流す。夕食は後にして、しばし休息をとることにした。そのころになって、ようやく日は沈んだ。

 丸テーブルの上に飲み物を置き、二人でかわいらしい柄のカバーがついた椅子に腰かけて、テレビを眺める。今日特に面白い番組はやっていないようだった。

 映画もやっていない。


 以前の生活では、テレビを楽しいと感じたことは無かった。いや、以前、ずっと昔、義母が生きていたころは有った気がする。一人暮らしになってからは、何も楽しめなかった。それは義母が亡くなった喪失感を克服できなかったからかもしれない。あるいは、自分がただ面白いものを探せない人間だからなのかもしれなかった。


 今の生活も、もちろん大変だ。昔とは全然違う生活をしているし、おそらく知らなくてもいいことを沢山知ってしまっている。けれど、そのぶん、穏やかな時間を楽しめるようになった。翠と一緒に映画を見たり、本を読んだり、音楽をプレーヤーで聞くときも、一人だった時よりずっと、素敵な時間を過ごせている気がする。

 そして、椿姫や茶花とも、チームで集まって、お喋りすることができるのも、友達が増えたこともとても嬉しかった。その気持ちがあるからこそ、現状に立ち向かえていた。テレビがCMを終えて、ニュース番組へと移り替わった。


『先月、中学校にて発生した殺人事件について、本日は新たな証言が飛び込んでまいりました』


 七三分けの真面目なそうなアナウンサーがやや興奮した口調で原稿を読み上げている。

 切り替わった画面には、正面からフェンス越しにやや古びた校舎が映し出されていた。窓はあちこちに補修の跡があり、見覚えのある建物だ。そうだ、あの学校だ。翠と共に突入した、板白浩一の学校。彼が人を殺した最後の場所だった。


『日常ではおとなしく、社交的ではなかったという少年はなぜ凶行に走ったのか……今回は身近な方たちからの証言をもとに、警察ですらいまだ解明できないその謎に迫りたいと思います』


 アナウンサーのセリフからは、警察に対する不信から来る皮肉が感じられた。それも仕方のないことなのかもしれない。警察は板白の件をごまかすために多くの事実を闇に葬っている。

 顔の部分にボカシを入れられた、近所に住む人々が、甲高い合成音でインタビュアーに対して答えている。無口だったとか、すれ違っても挨拶もしないなどということで、あまり真相究明には役に立ちそうに無かった。

 翠の様子をちらりと伺うと、青い光を放つ画面を懸命に見つめていた。

 自分ももっと集中しなくてはいけない気がして、すぐに視線をもとに戻した。


『裏切られたような気分だね。いい子だと思っていたんだが』


 顔は見ることができなかったが、テロップの説明からして、当日、学校の警備をやっていた人らしい。かなり年を取っている様子で、しきりに頷きながら喋っている。


『もう一人、警備員はいたんだが、彼が見回りをやっている時に、ちょうど私が校門のところにいて……その時にあの子が来たんですよ。病み上がりみたいに元気が無くて、とてもあんな大それたことしでかすとは思わなかった』

『凶器らしきものは持っていなかったんですね?』

『そんなもん持ってたら止めてましたよ。危険なんて顧みている場合じゃない。あそこで私が止めれていれば……きっと、学校の中のどっかに隠してたんじゃないかな。うん、きっとそうに違いない。いや、おとなしそうな子だったのにな……騙されたんだ。警備員生活も長いけどね。こんなことは初めてだ。私も被害者みたいなものですよ』


 悔しげな様子で彼は言う。実は、板白浩一のことを警察が完全に隠蔽することができなかった原因の一つは警備員の証言だった。

 当初、特務分室は事態を収拾するために、板白が起こした廃ビルでのゴロツキ殺害、とショッピングセンターでの一家殺害、その後の団地、学校での連続殺人事件を『あくまで全て別の犯人が起こした無関係な事件』として取り扱うつもりだった。


 それは半分ほど成功していた。ゴロツキ達の事件は東京のヤクザ達によって引き起こされた内紛ということになり、組織犯罪対策部、という部署がヤクザの残党狩りをするための強制捜査を行う口実として使われることになった。ショッピングセンターの親子は盗まれた暴走車両による追突事故として処理された。


しかし、警備員である彼に事情聴取した際に、板白を遅刻してきたと勘違いして校内に入れたことを彼が証言したのだ。そして、その主張を曲げなかった。白翅は事件が終わった後、後日集まった時、それを不破から聞いたが、「正直な人なんだな」くらいにしか思わなかった。


 が、その後分室のスタッフたちが、部隊のオフィスの外で話しているのを聞くと、どうやらそんなに単純なことでも無いようだった。分室は校内に侵入した不審者が犯行後、自殺を遂げたとして偽物のモンタージュを流し、お茶を濁すつもりだったようだ。

 けれど、そうであれば「不審者の侵入を止められなかった警備員は何をやっていたんだ」という話になり、世間の非難が集中するだろう。学校側が責任をとらせようとするかもしれない。それを避けたかったのではないか、とのことだった。

 確かに、不審者の侵入を許したということになるよりは、登校してきた生徒が凶器を隠し持っていることに気が付かなかったことにした方が、よっぽど文句を言われないだろう。


 ふと気になって、そのまま立ち聞きしている白翅の存在に、最後まで話してからようやく気が付いたらしいスタッフは、ひどく驚いていた。

 後から合流した翠達にそのことを話すと、やるせない沈黙が四人の間に降りた。その時になって初めて白翅は自分が話題にしてはいけないことを口にしたのだということに気がつき、居心地が悪くなった。


 今画面を見つめている翠が、あどけない顔立ちに似合わない難しい表情をしているのも、自分がその話をしたせいに違いなかった。





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