第十八話ファイアークラッカーcase1


「うまく狙えません!もっと近づいてください!」


 ローターが爆音をまき散らす中、翠はヘッドセット越しにパイロットへ呼びかけ、小さな手でグリップを握りこむ力を調節する。

 全開になったブラックホークヘリ前方のドア越しに、雨粒が群れとなって飛び込み、床に伏せて五十口径狙撃銃を構える小柄な少女に正面から降り注いだ。


 すぐ側でドア銃手をつとめる天悧白翅は一瞬を身を低くしながらも、いかなるストレスも感じていないかのように、夜の闇を見つめていた。

 アイウェアに目を守られながら、翠はスコープを通して、敵影を睨みつける。



 暗雲が霧のように立ち込める空を、大きな影が旋回しながら飛び去って行った。

 その姿は、一般的に知られている空を飛ぶ生き物とはおよそかけ離れたものだった。


 優に全長七メートル超える、鈍く粘つくような光沢を持つ鱗に覆われた体は、さながら大蛇と龍の間を取ったような形を成している。おまけに、目や、背骨の関節の位置からは、青白い冷気のようなものが常に噴き出していた。異形の生物は空を巧みに蛇行しながら未知の狙撃手を振り切ろうと軌道を変更している。


『あいつ、飛び道具は持ってるのか?』


 緊張を押し殺した固い声で、パイロットが疑問を投げかけた。彼は、東京にあるSATの支部から選抜された元SAT隊員で、今は特務分室のスタッフの一人だ。腕前は特に優秀で、だからこそこの極秘任務に駆り出されている。

 

異誕生物という化者は時として人々の生命や財産を脅かす。今銃口に狙われている異誕は九州のとある県で、複数の街を突発的に襲い、無辜の民間人を食い荒らした。事件後の隠蔽に苦労するほどに。現場はもう七月に入ったにも関わらず、建物や人が凍り付き、霜が降りていた。

 確認できている被害者数は三十三名。早急に分室が処分する対象だった。


「現在、飛び道具は確認されていません!だから、はっきりとは分かりません!」

『不確定か……。了解、やってみる!』

「ありがとうございます!」

「……ありがとうございます」


 身体が前後に揺さぶられ、雨に加えて激しい振動が襲い掛かるが、翠は黒色こくしょくのブレザーに覆われた体を、床のシートに押しつけ、体勢を安定させた。

 不意に、開いたドアの右横の窓に、反対側の窓に映る像が投影された。夜空に紛れるような、もう一つの機影。陣形を変えながらついて来た椿姫、茶花ペアを乗せたブラックホークだ。開いた越しに見えるのは、銃手の位置についた茶花と、翠と同じく床に伏せた椿姫だ。

 両機の向かって左斜め前方に見える巨影がさらに大きくなり始める。


 異誕生物は警戒しながら攻撃の機会を窺っていた。さっきまで背中を向けたり、時々振り返るような動きをしていたのが、急に体ごと向きをこちらの変えようとし始めた。

 スピードを上げ、追いすがる自分たちを無視できない脅威と認定したのか。あるいは執拗な追跡に業を煮やしたのか。敵影が見えた時点から、発砲を続けているが、すんでのところで躱されている。箱型弾倉を詰め替え、装填チャージハンドルを引いて再装填する。

 青白い蛇の眼がこちらを向いた瞬間、噴き出す冷気の勢いが一気に強まった。

 巨大な口腔が開く。それとほぼ同時に、白翅が引金トリガーを絞る。

 M240機関銃が銃弾の猛攻を繰り出し、可動式銃架の動きに乗って、扇状の弾幕が空間を横薙ぎに切り裂いた。


「GAAAAAAA!」


 これまでの単発の攻撃とは違う、弾丸の連射に、怒りの叫びを上げながら、上体を下に反らして、敵が回避行動をとった。大きくズレた頭部が、下向きに青光りする息を吐き出した。

 冷えた空気が振動に乗って、湯気のように吹き上がってくる。機体ごしにも寒さを感じることから、余程の低温であるらしい。町中で確認された散らばった人や動物の死体はシャーベット状に凍り付いていた。異誕の能力は冷凍ガスを吹き付けるといったものらしい。突風が吹いたような騒音を、ヘッドセットがカットし、その奥で、慌てた声が無線越しに響いた。


『やっぱり飛び道具持ってるじゃねえか!うっかり近距離から特攻してたら、今頃このヘリはバカでかい雹になってたぞ!』

「すみません!」

「……わからなかったんです」

『真上に上昇するぞ!』


 カメラにもはっきり映ってなかったから……と、白翅が小さく付け加えた。相棒のフォローを嬉しく感じながら、翠は上昇する視界の中で次の戦い方を模索する。このまま下降してもらって、敵の頭を狙撃銃で攻撃するのはあり得ない。大蛇のようなこの化者は、今のところ、目、曲がった背骨の関節、そして口から冷凍ガスを噴き出せる。動力が何かは分からないが、エネルギー切れを待つのは無謀に思えた。


また、そもそもどうやって飛んでいるのかも分からない。羽らしきものが見当たらないため、それを撃ち抜いて下に落とすという戦法も使えそうになかった。

 無線交信を慌ただしく行い、翠は現在判明している情報をチャンネル上の全員に共有する。


「狙うなら冷気が出ていない場所だと思います。たぶん、そこに向かって攻撃しても、銃弾も炎も阻まれちゃうし……」


『あたしの炎の勢いで打ち勝つのは……無理かしらね。同じ箇所に何発か着弾させることはできるはずだけど』


「できると思います。それなら、背骨の一部はメリットが無いので、狙えるのは口の中か目になります」


『了解したわ。それじゃあ目を潰す。翠と白翅はそれまで援護して。茶花、理解した?』


『挟撃開始なのです。頭撃ちにしてやります』


『挟み撃ちの間違いかしら』


『いえす』


 椿姫ペアを乗せたブラックホークが右旋回を開始した。そして、風に逆らうように加速する。

 二機は斜め左右の位置に陣取り、敵を挟み撃ちにしつつ攻撃を加えた。この動きで逃亡を阻止し、できるだけ接近してダメージを与える。


 白翅が再び引金を絞り、それとほとんど誤差なく茶花が銃撃を開始した。蛇の巨体をちょうど遮蔽にするような射角で弾丸の雨が敵影に迫る。大きさゆえか、熟練のパイロット達が操るヘリの急旋回に対応しきれず、鱗の表面を七・六二ミリ弾が削り、その下の肉を焦がした。冷凍ガスを噴射し、大蛇が咆哮を上げる。首をあらゆる方向に振り回し、冷気をヘリに浴びせようと反撃を開始した。


高度は現在のところ、翠達のヘリが上方だ。動きを止めるため、白翅が銃身を動かし、撃ち下ろすように弾幕を降らせる。正確な射撃は、背骨の冷凍ガスに阻まれながらも、噴射を続けている部位どと部位の間を捉え、鱗を突き破る。しかも、その次に続く連射は、ほぼ同じ箇所に着弾し、傷口を確実に拡げていった。

 緑色の血が飛び散り、蛇が首を捻じって、翠達のヘリへと注意を向けた。


「後ろから撃たれても、集中を切らしちゃダメだよ。グリーン《狙撃可能》」


 呟き、息を吸って、空気を胸いっぱいに蓄える。そして、半分ほど吐き出し、息を止めた。体のブレが一切なくなり、引金にかけた人差し指に神経を集中させる。

 ヘリの床付近から真紅の方陣が浮かび上がったかと思うと、火炎放射が放たれ、軌道が僅かにそれた冷凍ガス噴射に衝突した。小爆発が中空で起こり、上昇するにつれて下に傾く視界で雨が蒸発するのが見えた。


『今撃ったから連射は無理!もうしばらく待って』


「了解……」


 白翅が翠の代わりに返事をする。翠は直後に引金を引いた。

落雷にも似た銃声と共に、大型の弾丸が吐き出される。それは百メートルと離れていない異誕の目と目の間へと向かって突進した。


しかし、両目から放たれている冷気のためか、弾丸は衝突寸前で軌道を反らし、代わりに額に斜めに突き刺さった。


「弾着、僅かにズレました」


『急所をどうにかしてカバーしたいみたいね』


 怒り狂う大蛇の追撃を受けまいと、いつの間にか給弾を終えた白翅が、銃弾を放ち続けて、応戦した。飛び込む雨に濡れた髪が、真っ白な横顔に張り付いている。早めに勝負を決めないとキリがない。翠は意を決して、これからの行動を伝達した。


「可能でしょうか?」


『タイミングを合わせればできないことは無い。が、危険は大きい』


 若い男の声が続いた。椿姫のヘリを操縦するパイロットだ。


「白翅さんは援護をお願い。結構、正確な技術がいるから」


「……わかった……けど、危険、だと思う」


『ほんとは代わってあげたいけど、頑丈さがあたしは足りないわね』


『仕方がないです。茶花のコントロールの良さを信じるのです』


「うん。それじゃあ、」


 翠は膝を突きながら立ち上がると、二脚に支えられた対物狙撃銃を左手で持ち上げ、銃身を抱えた。


「降下します!」


「うん。よろしくね」


 二脚に支えられた対物狙撃銃を左手で持ち上げ、銃身を抱えたまま、ヘリから飛び降りる。映る視界の端で、敵に接近しつつ、椿姫ペアのヘリが下降していく。対物狙撃銃の銃声と炎弾、そして銃弾が旋回の動きに合わせて放たれた。身をよじり、時に曲がりくねった体をまっすぐに伸ばしながらも、かろうじて異誕は直撃を避けていた。


 時折、不規則なタイミングで投げつけられ大鎌に、ペースを乱されているのか、行動がわずかに制限されている様子だった。

 頭上からは白翅による援護射撃が放たれ、眼下では蛇の姿が近づいてくる。

 全身が緊張する中、翠は肩に身の丈ほどもある対物狙撃銃バレットM82A1を深く押し付けた。息を吸い、吐く。そして。引金に引いた。


 銃身が弧を描いて浮き上がった。放たれた弾丸は顔の中心を目指す。頭を傷つけられまいと、異誕はとっさに首を後ろに反らした。

 翠は衝撃を巧みに抑え込み、落下する体を反動を利用して、弓なりになって、姿勢を操作。重い銃身に左手を添え、再び射撃姿勢を取る。


 狙うは大蛇の首元。万年筆ほどのサイズの薬莢が、翠の体躯と反対に上へ上へと流れていく。彼方かなたの空で雷光が白く光る。鳴り響く轟音が大気を震わせる。雷鳴はかき消され、耳に聞こえたのは銃声だった。

 強烈な反動を力づくで制御し、残弾を片っ端から叩き込んでいく。

 華奢な身体は、立て続けに襲う反動を全て受けとめながらも、彼女の異端生物としての身体能力の高さ故に、その全てに耐えきっていた。


 首が引きちぎられ、長い巨体が上下に別れた。

 空間を重力になすすべもなく、巨体が転落していく。輪郭が徐々に薄れていき、崩れて光る粒をまき散らし、千切れていく。そして落下しながら虚空に吸い込まれるよう散り、消えた。

 異誕生物は死んでも死体は残らない。だから撃ち殺した後、万が一下に何かや誰かがいた場合の心配はしなくてもいい。


 翠は装備していたパラシュートを展開し、対物狙撃銃を両手で抱えた。体が急上昇し、落下が緩やかになり始める。急速に高度を下げたヘリから、ロープが投げ出され、勢いよく翠の身体に巻き付いた。翠は片手でそれを掴む。


「……間に合った」


「とってもグッジョブ!」


「……うん……!」


 空いた左手で狙撃銃を持ち上げ、受け取った白翅がヘリの中に苦労しながらも、なんとか収納した。そして、這い上ってきた翠に手を貸してくれた。


「作戦終了。お疲れさまでした」


『お疲れ様です』


『お疲れ、無事のようね』


「お疲れ様……」


 湿った機内で、ほっと一息つきながら、翠は楽な姿勢を取る。雨を吸い、すっかり重くなってしまったブレザーを脱いで、畳んで濡れた膝の上に置いた。下に身につけていた夏用のシャツは透け、地肌に張り付いている。


 冷凍ガスを放出する技なら、かつての相棒が使っていた。以前の相棒で、今もずっとこれから先も自分の先輩のままの盾冬怜理が。


 怜理の方がきっと、ずっと上手く能力を扱えたし、もっと多くの技を持っていた。そんな思考が頭をよぎった瞬間、翠は亡くなった大切な恩師と、敵が似た技を使っていることに自分が嫌悪感を抱いていたことに気が付いた。怜理の能力に親しみを覚えていても、敵の異誕は何の罪も無い人々と、自分達を殺すために能力を使ったのだ。そのことが翠は許せなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る