第十八話ファイアークラッカーcase2

 ピピピピッ……ピピピピッ

寝室に無機質に響くアラームを、翠は眠りから覚醒するやいなや、手を伸ばして停止させる。一目見れば時間が分かるデジタル時計は、午前五時を指していた。右肩が僅かにりを訴えた。昨晩の狙撃銃の連射の影響らしい。しかしそれも、昼前には治るだろう。


 昨晩は突如出現した異誕生物の対処に追われていたが、スピード解決したおかげで、日付が変わる前にはなんとか帰ってくることができた。それから二人はすぐにベッドに入った。伸びをすると、部屋着の白いTシャツが細腕と一緒に少し伸びた。


「白翅さん……は、まだ寝てるよね」


 すう……すう、と寝息が聞こえる。それは白翅が生きている証拠であり、ここ世界にまだいる証拠。

 隣では、白翅があどけない寝顔ですやすやと眠っていた。できたらこのまま眠らせておいてあげたい。

 アラームを早く止めたのも、できるだけ睡眠を邪魔しないためだった。翠と同時に

 目覚めなかったのは、異誕生物に限りなく近い存在である翠の方が、睡眠不足に対しては耐性があるためだろう。


 薄手のキャミソールだけを上半身に纏ったその寝姿はひどく無防備で、とても昨日まで自分と一緒に任務をこなしていたとは思えない。翠自身も彼女と見た目の頼りなさではそう変わらないのだが、自分よりも上背がありながらも、相棒の姿はなぜかずっと華奢に感じられた。


 同性とはいえ、同年代の子と一緒に眠るのは、最初は気恥ずかしさを覚えていた翠だったが、もう二か月近く経てば慣れてしまっていた。


 それに、今はこのスタイルの方がずっと安心できる。目を覚ませば、白翅が隣にいてくれる。隣にいてくれれば、相棒の安否をすぐに確認することができる。

 気が付いたら跡形も無く消えてしまっていることも無い。確かに存在してくれているのだ。そのことがただ嬉しかった。

 それだけではなく、目覚めてすぐに抱く安堵感が、頭の中で甦りそうな薄暗い感情を打ち消してくれるような気がした。


「う……?」


 白翅の長い睫毛まつげが震えながら持ち上がり、深い瞳が瞬きする。どうやら目を覚ましたらしい。菫色の虹彩が、薄い瞼の奥で見え隠れした。長く伸びた睫毛が今にもパチパチと音を立てそうだ。

 いささか、ぼんやりとした様子で白翅が身をゆっくりと起こし、そっとずりち落ちかけた肩紐を白い指先で摘まんでなおした。翠が笑いかけると、ほんの少し照れたように頷いた。


「おはよう、白翅さん。ランニングどうする?」

「おはよう……うん、一緒に行きたい」


 白翅はこの誘いを断ったことが無い。トレーニングは欠かすことなく続けていた。

 習慣にしていることは、決められた時間に行うのが一番いい。どうしても眠ければ、後で寝て睡眠を補えばいいだけの話だ。


 ランニングから戻り、一緒にしばらくシャワーを浴びた後、調理場に立つ。

 今日の調理は翠が当番だった。

 壁の棚に飾った植物の若々しい緑色が、キッチンの雰囲気をより明るく整えてくれている。

 翠は数日前に購入したホタテ貝の貝柱を白ワインで茹でていた。できれば新鮮なうちに調理してしまいたかったので、少し手はかかるが思いきって仕上げることにしたのだ。全部で十個の貝柱を料理酒で軽く茹で、鍋から取り出すと、手際よく包丁でスライスし、均等に切り分けていく。レモン汁を振りかけると、同時に隣のコンロで作っていたソースを上からトッピングした。


 どこの国の料理なのかは、諸説あるがとにかく本場ではモーネーソースという専用のソースを作るらしい。しかし、翠の技量が足りなかったため、ホワイトソースを作って代用することにした。そして、アルミホイルに乗せると、オーブンに入れ、きつね色になるまで焼いた。思いのほか時間がかかってしまい、ランニングの後の空腹が刺激される。トマトのサラダとセットでトレイに乗せると、急いで食卓に持って行った。


「お待ちどうさま!」

「ありがとう」


 白翅はポットに入れたハーブティーを二人分用意して待っていた。向かい合って手を合わせ、箸をつけ始める。コクのある食感とソースの味を楽しみながら、ふと我に返り、黙々と箸を動かしている白翅を見つめながら、翠はなにかいい話題は無いだろうかと頭の中を探す。あった。


「そういえば……もうすぐ夏休みだね!」

「うん……」


 急に話しかけられたことに驚いた様子で、白翅が顔を上げた。


「どこかみんなでいけるかな?行きたいところある?」

「……えっと……旅行……?」

「うん。海外とかは無理だけど、ひょっとしたら国内とか……」


 言ってしまってから、そういえば自分たちは昨日まで別の県にいたことを思い出した。それだけではない。それ以外にも、任務でしょっちゅう遠出している。ただ、それが観光地ではないというだけのことだ。そして、最近は東京でよく特例事案が起こるというだけの話だ。よく遠征することには変わりない。白翅はちょっと困ったように考え込んでいる。翠はひょっとして、私の心中しんちゅうを察したのだろうかと訝った。


「どこでもいいよ……?」


 ちょっと困ったように考え込んでから、返事をする白翅。


「こういうのが、一番困る……?」

「え?どういうこと?」

「どこかってはっきりした方がいいのかな……?」


 なんとなく白翅は申し訳なさそうだ。小さくよく通る声で、続きを話した。


「わたし……旅行行ったことないから……どこでも嬉しい……。お母さん、とも行ったことなくて……」


 ほっとしたのもつかの間、嬉しさとほんの少しの寂しさを含んだ答えが返ってきた。白翅の義母は、遠出が好きではなかったのだろうか。それとも、せっかく慣れた土地を、たとえ一時でも離れたくなかったのか。おそらく口ぶりからして、友達とはなおさら行ったことは無いだろう。白翅と話すうちに、苗字すら正しいか危うい顔見知り程度のクラスメイトがいたくらいだったらしい。


「そっかあ。それなら、これからもっともっと楽しいね」

「……そうかな?」

「そうだよ!だって、これからどこに行っても、新鮮で楽しいってことじゃない?」

「……うん。そうかも」


 翠は屈託なく笑い、白翅がそっと、箸で貝をつつく。









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