第十七話 ゆりかごを揺らす刃 case35

 翠達は一斉にバラバラ方向に散り、迫りくる攻撃から身を守る。翠の頭に、土砂を変形させて作った浩一の腕が浮かんだ。土砂を操って傷口を塞ぐことができるなら。それを取り込んで、体内を移動させることができるのではないだろうか。そして、体の中で土砂を固めて、内側からワイヤーを切った……。


 いつの間にか、白翅と肩を並べて走っていた。壁や屋根が砕け散る中、コテージのすぐ前の傾斜を全速力で駆け下り、下に広がる草むらに飛び出し、そのまま伏せて転がる。顔を上げてみれば、コテージは一階が完全に破壊され、自重によって、二階が崩れ落ちてそのまま倒壊していく。

 二階から飛び込んだ椿姫の事が頭をよぎり、思わず寒気が走った。


『椿姫さん、茶花さん!』

『ここよ、無事!』

『茶花のファインプレー、見れなくて残念ですね』

「場所を教えて!」

『コテージより、十時方向。二軒先の建物です』


 翠達の逃げてきた方向と反対側だ。

 帰ってきた無線の返答に胸を撫でおろしながら、翠は相棒の様子を確認する。片膝をついて銃を構えた白翅の視線は、翠に向けられていた。目配せして、同時に敵に向き直る。


 コテージがあった場所に積み重なる瓦礫の前方に全身から血を流した浩一が、大股で歩いてくるのが見えた。首の周りは硬化した砂が固まって傷を塞ぎ、血が混ざって泥のような色に変色している。

 逃げ出さなかったのか、と思った矢先、浩一がひどく掠れた声を発した。


「どうしてかって、聞いたね……」

「……?」

「なんで、殺したのかって、……僕もよくわからないんだ……なんだか、頭の中がめちゃくちゃで……」


 自分の問いかけに対する返答だ。そのことを察しながらも、翠はどう返事すればいいか分からなかった。だからこそ、ただ彼の答えを待った。


「叔母さんたちが許せなかったんだ……。いつもいつも僕を殴ってきた、僕は暴力に憧れてたんだっ!僕もあんなふうに暴力がふるってみたくて、違うそうじゃなくて、っち、違う、ああっ、!わかんないわかんないなんのこと?僕は何を考えてた?わかんないわかんないわかんない傷つけたい、殴りたいよ、うううううわかんない!」


顔に爪を立て、バリバリと頭の皮までかきむしっている。指の間から血が流れ出した。


「蛇だったんだ!蛇が僕に力をくれたんだ、初めて殺した時、その前に突然殴られた。僕が何をしたんだよ!?殴られるのが嫌だったから殺したんだ。それの何が悪いの?その次は、……なんだっけ、あの子たち……お兄ちゃん?、なんで……」


 見ていられなかった。彼は明らかに正気を失っている。白翅の横顔が痛ましげに僅かに引きつった。


 地面を突き破り、土塊で作られた巨大な手型の物体が突き出した。

 それが白翅を押し潰そうと迫る。銃弾を放ち、翠はほぼ同じ箇所に銃弾を当て、足止めする。集弾した箇所が砕け散った。

 その隙をついて白翅が向かってくる巨大な手の上を大きくジャンプして飛び越えた。そして宙を舞いながら銃撃し、相手の動きを牽制する。


 かなた後方から乾いた銃声が轟き、両手を前に出しながら、浩一が横に走って何かを避けた。不破が狙撃で援護を開始したのだ。

 ろくに狙いをつけられずに放たれた石英で作られた投擲が迫る。それらを弾きながら、翠達は接近していく。

 左斜めから、翠の視界に硬化した壁が映りこんだ。地面を割って接近する攻撃を、斜めに跳躍して回避、横に回転しながら、銃弾を浩一の胴に叩き込む。


 彼の前方に別の土壁が出現し、銃弾が弾かれた。間髪入れずに、白翅が同じ箇所に銃弾を浴びせ、その間に翠は弾倉を交換、二丁のSIGの引金を夢中で絞り、弾幕を張った。


 危険を察知したのか、浩一は土の壁を複数呼び出して、地面の中を移動させ、連なった遮蔽を作り出した。援護の狙撃が連続で放たれ、翠達が攻撃した箇所に立て続けに突き刺さる。


 砕けた土が弾け、翠の視界を塞ぐ。強力な弾丸を受けた壁の中央の表面が打ち砕かれ、横長の大穴がこじ開けられた。翠が突進する。敵の姿は見えない。けれど、壁の向こうにいることだけは分かる。壊れかけの壁の上に、砂が一斉に集まり、八つの巨石が浮かんだ。投擲されるそれを白翅が迎え撃ち、片っ端から弾き飛ばして援護する。


 砕ける石粒の中、目の前に壁の穴が迫る。飛び越えるか?いや、ジャンプすれば飛び上がった瞬間を狙い撃たれる。翠は身を低くして、壁に空いた大穴のすぐ横に、タックルを浴びせ、表面を打ち砕く。そのまま、転がる勢いを利用して、地に伏せて銃弾を浴びせた。肩口と頬に銃弾を受け、相手が血をまき散らしてよろめく。それでも石英の剣が連射され、抵抗が続く。


翠のブレザーの肩口と、臍のすぐ隣に尖った先端が突き刺さる。

流れる血を拭う余裕もなく、反撃を継続した。

頭にかぶっていた帽子はいつの間にか無くなっていた。彼の上方を、光る弾丸が通り過ぎ、狙撃による援護射撃が続いていることを証明する。


「耐えたのにどうして僕を殴るの!蛇はやっぱり僕の味方だったんだそうじゃなければ僕はこんなに僕は怒れなかった!こんなに辛いことに最後まで気付けなかった!こんなに辛くて何もかも壊したい事に気がつかなかった!」

「邪魔……!」


 跳躍して飛び込む影が一つ。宙で舞うように回転した白翅が石英を銃剣の斬撃で、全て散らした。


「こんなに……こんなになんだっけ?まあ、いいや。

 僕のことたくさん調べたんでしょ!?じゃあ僕のことを知ってるよね!?僕のことを分かってくれるよね!

 弱い僕でも耐えられたんだから!強い君たちなら少しも痛くないよね!

 僕の気持ちをわかってほしい!さあ、来いよ!来い、来い!

 こおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおい!」


 これ以上、聞きたくなかった。浩一が逃げ出さなかった理由が分かってしまったからだ。認識票を使用しすぎて、もはや精神のバランスを保てなくなった彼は、ただ怒りをぶつけることしか考えていない。だから、自分にストレスを与えた相手を、自分たちを傷つけて殺す事だけを考えているのだ。

 少年の背中越しに、高速で迫る炎の塊が複数現れた。白翅と反対方向に跳び、攻撃を避ける。爆発音と共に、壁の残骸が吹き飛んだ。


 反撃の岩石が放たれる。飛んでくるそれを、全力疾走してきた茶花がバットのように鎌を振り回して跳ね返した。椿姫がその後方から、炎弾を放ち続け、懸命に追撃を続けている。


 夜の闇を燃え盛る炎が照らしだした。目の前で噴き出した熱と光に目をくらまされた隙に、茶花が腰を落とし、低い位置から大鎌で斬撃を連続で放つ。作り出した右腕で、石英の剣を握りこみながら、反撃する浩一だが、受けそこなった一撃に、無事な左腕を抉られた。翠は体ごとぶつかり、偽物の腕に銃身を何度も叩きつけた。


 しかし、剣は離れない。神経が通っていないのだ。脳からの指令以外の力で動いている。血だらけの左腕で顔を殴られた。覚悟を決めて、翠は叫びながら拳を相手の顔に叩きつけた。二発、三発。


「はな……すのです!」


 茶花が左腕に噛みつき、足払いを掛けた。折り重なるように三人が転倒する。


「危ない……!」


 後ろからブレザーの裾を引かれ、翠は後ろ向きに転がる。顔を上げると、ワイヤーが茶花の腕に巻き付き、椿姫のもとへ引っ張られていく。さっきまで体があったところに土の巨大な手が地面から突き出していた。


「ぼくは……ゆるせない……こんなにも……君たちを……」


 立ち上がりかけた浩一が激しくせき込み、血を吐き出した。


「あれ……?」


 一斉に、全身の傷口から血がとめどなく流れていく。目が大きく見開かれ、傷だらけの全身の力が抜け始めた。

 そして、そのまま。あまりにもあっけなく。その場に倒れ伏した。音もなく。


 肉体が限界を迎えたのだ。全身の消耗を、脳が認識できなくなるまで認識票を使い続けた。それに、使用者自身が耐えられなかったのだ。

 その事実を証明するかのように、血を吐き続ける口の中から鈍色の認識票が飛び出した。それは、すぐに青い炎に包まれ、血の海の中から消え失せた。

 

「ああ…………!ああ…………!ああ…………!」


 掠れた悲鳴が少年の口から洩れ続けた。翠は痛む頬に触りかけ、すぐにガンベルトに指先を戻した。

 救急キットに手を当てる。しかし、腕に力が入らなかった。

 浩一がひどくゆっくりとした動作であおむけになった。そして、そのまま動かなくなる。今ので、全ての力を使い果たしたのだろう。濁った瞳で空を見上げて、体を痙攣させていた。


「どうして………どうして……どうして……僕を助けてくれなかったの……どうして……」


 耳を塞ぎたくなるのを、翠は必死で堪えた。


「うあああ……」


 やがて、残酷な問いかけは。


「うわあああああああああああああああああああああああああ!うわあああああああああああああああああああああああああ!」


 絶叫のような泣き声に変わった。


「ごめんなさい!ごめんなさい!うあああああああ!殺したんだ!僕が殺したんだ!あの子も僕が殺したんだ!本当は、知ってたのに!あの子は悪くないって!あの子は僕に何もしなかったのに!うわあああああああああああ!ごめんなさい……!」


 あの子、というのは誰の事なのだろう、と翠は頭の片隅で考える。そして、二件目の事件のことを思い出した。ショッピングセンターの親子連れのこと。その中にいた小さな女の子のこと。二件目だけ、浩一の動機に繋がるものが何も無かった。



「ぼくが殺したんだ、急に許せなくなって、僕にはもう、家族はいないのに、あの子を見たら……幸せそうにしてるのが許せなくなって……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 謝罪の言葉は、だんだんと小さくなり、やがて消えた。目は開かれたまま。二度と、口が開かれることは無かった。


「助けてほしかったんなら……!こんなこと……するんじゃないわよ……!」

「つばきさん……」


 長い髪の上から目頭を抑え、椿姫が涙声で叫ぶ。隣にいる茶花は、どうしていいか分からないかのように狼狽えて椿姫に触れることすらもできていない。


 翠は呆然として、立ちつくしてしまう。

 彼を生きたまま確保することができなかった。

 そして、そのまま死なせてしまった。自分達が彼を死なせたのだ。

 彼にはまだ、情状酌量の余地はあったかもしれないというのに。

 動かす事のできない左手の先が不意に冷たくなった。白翅がただ、浩一の死体を見つめ、俯いたまま翠の左手を握ってくれていた。

 口を開くこともできないまま、翠はその指を握り返す。


「……ごめんなさい……」


 唇からは掠れるような謝罪の声が漏れた。それは誰に対してだったのか。

 そして、翠は自分達が彼に与えた苦痛と、彼の伯母たちが与えた苦痛は、どちらの方が大きいのだろうと、そんなどうしようもないことを考えた。









* * *



 モニターが放つ無機質な光も、慣れてくると親しみを覚えるものだ。

 コンソールの前の座椅子に腰かけたまま、リリーナは、長い金髪をかき上げる。

 十四個のモニターの一つが先ほど急に異常を訴えた。表示されていたウインドウが激しく点滅すると消失したのだ。

 そして、中央に設置された巨大なモニターから、マーカーが電子音と共に同様に消失する。


 マーカーは、彼女たちが保有する認識票タグの現在の座標を表していた。消失したということは、機能を停止したということだ。


 耳に当てたヘッドセットの中で通信が鳴り響いた。


『撤収するよ』

「マーカーが消えたわ」

『ああ。これにて終了だ。喜んでくれ、映像はしっかり捕えてきた。参考にしろよな』

「それはアニカに言ってほしいわ。それで?使用者は?」

『さあ、死んだんじゃないか?動かなくなってたようだし。さすがに離れすぎていてな、確かめられなかった』


 彼はマーカーの座標から、さっきまで活動していた認識票の使用者を追跡していた。彼の目的は、使用者と、それに敵対する者達の、の動画データを取る事だった。


『アニカはどうした?もう帰ったか?』

「まだ……」


 背後で、自動開閉式のドアが電子音の後に開いた。リリーナは振り返り、二つの人影を認める。そこには、狙撃兵が身に着けるようなモスグリーンのポンチョを身に纏う、長身の女と、小柄な少女。


「少し遅かったんじゃないかしら」

「多少の想定外があってな。だが予定していなかった装備も補充できた」

「いい子にしてたか~?」

「大きなお世話よ。さっき、アナタの『製品』が一つ壊れたわ」

「そうか……」


 アニカ、の口元が艶然と笑みを浮かべた。


「あの悪魔の羽め……」


 つられたように、くすくすと、隣でロゼが笑い声を上げる。無機質な部屋の中を、人工の光だけが、彼女達の漆黒の陰影を浮き上がらせていた。

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