第十七話 ゆりかごを揺らす刃 case30
白翅が視線に気が付いたように、翠の方向へ首を向け、後方に大きく下がりだした。
白翅がおそらく、ほんの数秒前の自分の意図を汲み取ったのだ、ということを察した途端、翠は叫んでいた。
「白翅さん!廊下には絶対出ちゃダメ!」
「⁉」
白翅の革靴の踵はもう半分以上、廊下に出かかっていた。翠は身を屈めて、石の剣をやり過ごしながら続けて警告する。
「敵はコンクリートを操れるの!廊下に出たら床に捕まる!」
言うが早いか、翠は白翅の方向へと駆け出した。並外れた危機察知能力からか、本能的に危険を感じた白翅は、踵を戸口にかけたまま、半分ほど振り返り。
その痩せた背中には、波打った廊下から伸びる、コンクリート製の触手が迫っていた。
白翅に飛びつくようにして背中に両手を回すと、今度は両脚で床を思いっきり蹴り、背中から後方に跳び退った。
押し倒されるような姿勢のまま、翠は床の血だまりと、飛び散ったガラス片の上に自分の身体を叩きつけた。痛みによる刺激を耐え、右腕で白翅を抱きしめたまま、転がり、机の陰に跳びこむ。
左手の銃を掲げ持ち、違和感に似た気配が噴き出す方向へ弾倉が空になるまで引金を引いた。
窓ガラスが完全に破壊され、弾倉がマガジンキャッチャーから滑り落ちる。翠のすぐ前を転がる机の天板が突き破られ、尖った石製の先端が、翠の顔めがけて迫った。
「んっ!」
翠の身体の上で、脚を折り曲げた白翅が目の前の机を思いっきり蹴り飛ばし、反動を利用して距離を稼いだ。
間一髪、攻撃を逃れた翠は白翅に肩を貸したまま、腰に力を入れて立ち上がった。
攻撃を避けられた浩一は悔しそうにするでもなく、こちらを暗い目つきで睨みつけている。追撃を放つ前に、こちらの出方を伺っているのか、教室の机の列のちょうど最後尾があった場所に移動し、大きく肩を上下させている。
そうなのだ。土砂を操れる、ということは、コンクリートをも操れることを意味している。コンクリートの中には多くの砂が含まれているからだ。正確には土砂を構成する粒子を操ることで攻撃する能力、といったところなのだろう。先ほど、浩一が作り出した石の
コンクリートに含まれた土の粒子を操作することで、全体を操り、形を変えさせる。そうした過程を経て、廊下から攻撃の手を放ったのだ。
廊下に転がっていた犠牲者の一人の脚に赤い痣があったのも、逃げようとして変形したコンクリートに脚をとられたからだ。
もちろん、浩一が翠達の行動を予測し、罠に嵌めるために廊下を伝って翠達が移動するのを予測していたというわけではないだろう。そこまで狡猾な作戦を立てられるほど、板白浩一に理性が残されているとは思えない。
しかし、結果として、地の利が相手に味方している。
それならば……
「窓の近くまで追い詰めて、そこから突き落とします。戦いの場をその下に移そう」
『……分かった』
銃撃しながら、白翅に作戦を指示し、オープンチャンネルを通して、無線を聞くもの全てに伝達する。白翅が足の位置を入れ替えて、背後からの攻撃に対抗するために背中合わせに立った。
白翅と共に、二人がかりで行えば、できなくはないだろう。グラウンドの先は裏門に通じている。そこから逃げ出す可能性もあったが、動きを止める手筈は整えてある。
何より、自分はそれくらいでは死なない。それに、やろうと思えば、浩一は翠が戦っている隙をついて、廊下からコンクリートの攻撃を伸ばして不意打ちを放つことも可能だったはずだ。二人は廊下の側にずっと背を向けていたからだ。
それをしなかったのは、一つは翠達の攻撃を捌くに精一杯だったためだろう。浩一の疲労した様子からして、能力を使うのはかなりの集中力を要する。
ましてや、つい最近まで民間人と変わらない生活を送っていた彼は、音速を超えて動く銃弾を見慣れていない。いかに動体視力が上がっていようとも、彼が抵抗の少ない人々を殺すのとはわけが違う。自分の身体を捉えようとする銃弾から身を守るのは容易ではない。
そして二つ目は……今しがた翠が決断したように、廊下に逃げられないと悟った翠達が、反対側、すなわち窓際に彼が追い詰める可能性を察知していたからだろう。
「うう……ぐ」
浩一が大きく顔を歪めて、頭を抑えた。小さな体がよろめいた。
充血した目から、そして、鼻からどくどくと真っ赤な血がしたたり落ちた。認識票の能力を使いすぎたツケが今頃になって回ってきたのだろうか。
が、ブーストされた肉体を酷使しながらも、彼は倒れない。いかなる意志が彼を動かしているのか。
反撃に転じる隙を翠は探し続ける。その時、軽いノイズと共にインカムに通信が入った。
『翠、白翅、準備ができたわ。カウントするから、ゼロになった瞬間、遮蔽に飛び込みなさい』
『カウント担当、茶花です』
翠は返事の代わりに、インカムを軽く指で叩いて返答する。
『三、二、一……』
茶花の僅かに間延びしたハスキーボイスが耳の中に響く中、二人は左右に向けてお互いの距離を離し始める。
『ゼロ』
『
二人は左右反対に跳び退り、床の上を転がった。突然の退避行動に、浩一に一瞬の戸惑いが生まれた。
『
鋭い銃声が轟き、穴の開いた廊下の窓ガラスをすり抜けた何かが浩一の右肩に衝突した。血飛沫を上げて、浩一が後方にバランスを崩した。続けて飛来したそれが、陽の光を浴びて空中で白金色の光を放つ。今度は右腕から血が噴き出した。
突入前に散開していた椿姫と茶花のペアは、後方支援のため、予め、別の場所へ移動し、ライフルを構えていたのだ。
建物内にいる標的を狙撃する場合、窓ガラス越しに射撃すれば、ガラスを砕く際に、弾丸が予期せぬ角度に抜けて跳弾する可能性がある。
が、戦闘の際に、敵味方側の攻撃が拡散したことで、廊下側の窓も、入り口の扉のガラスも割れていた。そのため、ライフル弾の射線が通りやすくなっていたのだ。そして椿姫達は好機を見逃さなかった。
『
翠の目には、グラウンドを隔てた先にある別棟の三階の窓ごしに、三脚を立てたライフルを構える茶花の姿が映った。射撃精度の高いSL8スナイパーライフルの引金に、軍用グローブから突き出た人差し指がかかる。
狙撃ポイントは一か所ではない。GPS発信機によって正確に座標を伝え、充分に隙ができたタイミングで、挟撃するための状況を戦いながら整えていた。
白金色の弾丸が、割れた窓を介して、浩一の背中越しに室内に飛び込む。
再び銃声が轟き、戸惑った表情で彼はガバっと振り返った。その瞬間に、翠と白翅は同時に立ち上がり、距離を詰めようと動き出す。
浩一は飛来する弾丸の前に血の噴き出した右腕をかざした。追い打ちをかけるように、放たれた二発目の弾丸をさらに同じ箇所で受けとめる。
「うああああああああああああああああああああああ!」
三発目、四発目、五発目、六発目。全てが目標に着弾。連続する負荷に耐えらえず、切断された腕が宙を舞った。浩一が絶叫する。
白翅が大きく息を飲む気配が伝わった瞬間、翠は白翅の近くに跳んで伏せた。
大きく空気が動く気配と共に、伏せた頭上を何かが通り過ぎていく。
メリメリメリ、という異様な破砕音が響き渡った。伏せた状態で銃弾を放ちながら、
視線を上に向けた。
「そんな……」
教室の窓のあった壁一面に、長細い巨大な穴が開いていた。そして、わずかに残った面積には、濃い緑色の塗料が付着したコンクリート片が数えきれないほど突き刺さっていた。
背後に目を向けると、思わず息を呑んだ。
教室を抜けた先の廊下があった場所が完全に空洞になっていた。まるでごっそりと引き抜かれたかのように。あたりを見渡すと、白翅が肩を庇いながら、立ち上がろうとしていた。
「大丈夫……⁉」
「うん……あの子は?」
「逃げたみたい」
室内のどこにも、少年の姿は無かった。翠は廊下の空洞を指差した。他に仲間がいることを知って、不利を悟ったのだろうか。コンクリートを操って、目くらましの攻撃を仕掛け、そのおかげで空いた穴を使って、階下から逃げ出したのか。
「目標、見失いました。これから追跡します」
『茶花です。建物からヤツが出てくるのが確認できませんです。死角に移動したのかもしれません。捜索を続行します』
「お願いね、茶花さん」
『椿姫よ、こちらもいまだ確認できず』
遅れて不破が、包囲網を狭めてる旨を伝えてきた。思わずふらつくほどの疲労を感じながら、翠は血の匂いを近くに嗅ぎ取った。
教室の中央には、千切れた右腕が、陽の光に照らされて打ち捨てられていた。
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