第十七話 ゆりかごを揺らす刃 case27

 翠の視界の中心に、激しく点滅する赤い光がフレームインした。

 SUVの前を、四台のパトカーが一般車両を避けながら並走している。パトカーの一団は、SUVの存在に気づきながらも、止まることなく、通報地点を目指していた。

 通報を受けた最寄りの警察署のものに間違いないだろう。今頃、通報の内容は警視庁捜査一課にも伝わっている筈だ。


 聞き覚えのあるサイレンが入り混じり、住宅地の歩道を歩く人々が歩調を緩めて何事かと注目している。

 サイレンとパトランプを同時に起動させ、不破が自分たちの正体をパトカーに知らせながら、後続についてスピードを緩めた。

 不意に、歩道から短い声が上がり、翠の注意がそちらに引き付けられる。



 車道を挟む歩道の両側を、ひどく慌てた様子で、複数の男女が走っている。ざっと数えてその数は十人を超えている。背服装はバラバラだ。共通しているのは見た目年齢くらい。背丈からして、まだ中学生やそこらだろうか。全員、走り方が無茶苦茶だ。

 そして、彼ら全てが混乱と憔悴の入り混じった表情を浮かべていた。ほとんど泣き出してしまっている者までいる。


 そのうちの何人かが激しく手を振った。パトカーに気付き、注意を引こうとしているらしい。

 助手席に移動していた椿姫が、怪訝そうに眉を顰めて体を傾けた。

 異常に気が付いたパトカーが減速する。左右動く子供たちの服の袖を見た瞬間、翠は戦慄し、鋭く運転席に向かって叫んだ。


「不破さん!あの子たち、服に血が付いてます!」

「なんだと⁉」


 SUVは速度を落としていき、やがて前方のパトカーと共に停止した。

 道路に降りた後、口々に叫びながら、取りすがってくる子供たちに辟易しながらも、警官たちが懸命に状況を聞き出そうとしている。


「ここにいなさい」

「ちょっと待った!」


 その中に割って入ろうとした不破を年配の警官が止め、身分証の提示を求めた。



 歩道のそばに並んで立つ家々をサイドウインドウのごしに追い越すと、やがて緑の長いフェンスが現れた。

 その奥には東西に百五十メートル、南北に百二十メートルほどのグラウンドが広がっていた。三階建てのコンクリートの校舎が最奥に佇んでいる。

 通報地点の中学校だった。板白浩一が通っているはずの中学校。


「危険すぎますよ!」


 降車するなり、先ほど不破を呼び止めた警官が声を叫んだ。SUVを最後尾に、車道を隔てた先にある路肩に、一列に警察車両が並んでいた。パトカーの数は二台になっている。他の二台は交番に逆戻りしたのだ。


「大声を出さないでください。犯人がまだいたら聞こえるかもしれないでしょう」

「おちょくってんですか、さっきから?」

「いや、聞こえるかもしれない。我々はそんな奴らと戦おうとしています。状況が普通じゃないのは、あなた方もお分かりのはずだ」

「そりゃあ、そうですよ?……」


 目を吊り上げながらも、警官の歯切れは悪い。それだけ状況が異常だった。

 パトカーの警官たちは最寄りの交番の警官たちだった。中学校からの通報を受けて駆け付けたのだ。そして、来る途中に鉢合わせした子供たちは、校内から逃げだしてきたという。学年もクラスもバラバラな一団で、ひどく取り乱していたため、聞き取りした内容もあやふやだった。


『校内の廊下に死体が散らばっていた』

『ものすごい悲鳴が聞こえた』

『めちゃくちゃにガラスが割れる音や物が壊れる音がして、様子を見に行った子が戻ってこず、自分のクラスから廊下を覗いたら、その子が血まみれになって転がっており、怖くて反射的に逃げだした』


 などといったものだった。どうやら、似たような立場の生徒たちが何人もいたらしく、パニックが伝染するような形で、とりあえず逃げ出したらしい。

 それだけ生徒たちの危機感に訴えかけるような事態が起こったということだ。が、詳しく状況を聞き出している暇は無かったため、不破は現場急行を優先した。

 他の生徒や教師がどうなっているのかは分かっていない。

 てんでバラバラに逃げ出したため、避難誘導すらもしている暇は無かったのだろう。けれど、この状況では中に被害者となった子供たちが取り残されている可能性がある。それが翠には気にかかっていた。

 まだ、その子たちは殺されずに済んでいるのだろうか。

 今頃は、生存した生徒たちは交番で事情聴取を受けている頃だろう。


「我々が追っている被疑者が中にいるかもしれないんです。あなた方はここで待機を」

「しかし……!犯人がどんなやつか知らないが、学校で大勢が胆潰して逃げ出すくらいのことやらかすんでしょう⁉我々はここで棒立ちですか!で、あなたと……その女の子たちが……」


 年配の巡査長はSUVに、正確に言えば中に乗る翠達に何度も視線を配っている。


「これから突入するって?」


 どうやら、彼は翠達を心配してくれているらしかった。階級を持つ警察官であれば、ここまで同僚から心配されることは無いのだろう。そう思うと、翠はとたんに不思議なほど申し訳ない気持ちになった。


「そうなりますね。私は待機して、捜査本部と調整することになりますが」

「ますます危険じゃあないですか!我々だって武装してないわけじゃあない」

「私の見立てが正しければ……警官が何人いても役に立ちません。我々にできることは、ここを包囲するために必要な手続きをすることくらいです」


 ますます巡査長が困惑する。



 車の後ろに回って、トランクを開けていた茶花が、車内に戻ってきた。隣では、白翅が点検を終えた拳銃を、掌に置いてじっと見つめている。


「ただいまです」

「お帰りなさい」

「揃ったわね。それじゃ、行くわよ」


 椿姫が全員に目配せし、二人ずつ一斉に車外に滑り降りた。

 パトカーの外にいた警官たちが翠たちの手に握られたものを見て、ぎょっとする。

 黒光りする、装填済みの銃器を携えて、翠たちは不破のすぐそばに集まった。


「学内の見取り図はチェック済みです」

「いつでもいけます」


 椿姫と翠の声が連なった不破が、軽く顎を引き、行け、とだけ短く命じた。

 近くで呆気に取られている巡査長に翠は頭を下げた。


「行ってきます」

「……あ、ああ」


 心配してくれてありがとうございます、と翠は心の中で感謝の言葉を述べた。


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