第十七話 ゆりかごを揺らす刃 case25

 翠はリアウインドウの外へ、落ち着かない視線を向けた。近くの電柱の陰以外の路面から、熱い空気が噴き出している。

 目の前の道に面した場所には事件現場となった団地の敷地があった。冷房の効いた車内では、不破が運転席で方々に電話をかけていた。


 捜査員達は、団地で殺害された親子と、そして現在行方不明となっている坂白浩一の情報を集めている最中だが、時々漏れ聞こえる会話から察するに、あまり状況はかんばしくないらしい。不破は今、坂白浩一の身柄を捜索するための人手を集めようとしているようだが、人員と装備の手配が順調に進まないようだ。


「被疑者が仮に、坂白だったとして……ええ。しかし、通常の捜査員の分の『加工弾』を手配する余裕がありません。現在持っている分をかき集めても、分室の部隊の分だけです。ですが、SATを動員するのであれば……」


 翠の瞼の裏に、ストレッチャーで運ばれていく、尾本澄子の顔が蘇った。

 自室で見つかった運転免許証によると、二十九歳とのことだが、年齢よりは一回り以上老けて見えた。

 髪もふけと皮脂が重くまとわりつき、体の手入れもほとんど行っていなかったらしい。

 黄ばんだ肌は切り裂かれ、どこもかしこも血で赤く染まっていた。

 体重が、免許証の写真の姿よりもかなり増えていた。一方で、母親の方の遺体からはそこまで不潔さを感じなかった。その点からも、現場となった部屋からはななにか異様な雰囲気を感じずにはいられない。


「わかりました。念のため、ヘリの手配も……も大規模捜索になった場合のためにも予備人員の顔写真と……」


 政治的な意見を伺うのも、人員の配備を行うのも、全て分室と、特別捜査本部の本部長の仕事だ。情報の収集だって、自分たちの手腕では限界がある。そのため、翠たちはただ実力で任務を果たすことにのみ集中することになる。


 それでも、もどかしい気持ちは消えなかった。ただ待っているだけなのはたまらなく苦手だ。特に、今のように、緊急性が高いのに、自分たちが何もできないのは。

 隣の座席につと、視線を送ると、白翅はシートベルトを肩にかけた状態で、目を閉じてじっとしている。眠っているのだろうか、と思ったが、耳を済ませても寝息は聞こえてこない。


 白翅はこの状況でも、落ち着いている。必要な時に備えて、余計なストレスを感じず気持ちを休ませることができるのが理想だが、なかなかできることではない。

 どんなに訓練された部隊員でも、パニックになる事を避けられないのと同じだ。


(なんだか、私も落ち着いてきた……)


 思わず、じっとその白皙を見つめてしまう。白翅のひどく静謐な横顔を見つめていると、こちらにまで穏やかさが移ってくるようで、波打つ心がだんだんと静かになっていくのを翠は感じた。翠も、思わず緊張を解いて、膝の上に手を置いたまま、軽く深呼吸した。前の座席に座る椿姫が、何かを捜査用のスマートフォンに打ち込み、茶花がそれを覗き込んでいた。

 翠が深呼吸をやめ、何気なく視線を右隣に戻すと、鮮やかな紫色の瞳と、視線がかちあった。


「……ん?なに?」

「なんでもないよ?」


 いつの間にか、目を開けていたらしい。翠の視線に気づいたからだろうか。


「……わたしの顔、見てた?」

「…………うん。見てたよ」

「……そうなんだ」


 ごまかすこともなく、翠が答えると、抑揚のない声で、白翅が返事をする。翠はふと、理由を聞かれたらなんと答えたらいいのだろう、と思案する。

 バンバン、と唐突に外から音がして、翠達は一斉に視線を窓に向けた。

 腕に腕章をつけた、サラリーマン風の機動捜査隊員が、窓を指の関節で叩いている。反対の手には、証拠保全用の透明ビニール袋を下げていた。何度か、今までに見た顔だった。

 ちょうど電話を切り終えた不破が僅かに目を見開き、リアウインドウを下げた。


「米屋さん、どうしました?」

「不破さん、ありましたよ。坂白……くんの学校、これで分かりますね」


 米屋、と呼ばれた機捜隊員が袋を突き出した。翠のいる座席から辛うじて、中に入った学生証が見て取れた。肩から上を映した顔写真は殺害された二人とあまり似ていなかった。

顎の少し尖った、幼い、まるで女の子のような優しい顔立ちをした少年だった。翠よりも年下かもしれない。さっと、学生証全体に目を走らせると、地名からして学校はこの地区の公立中学校だ。


「どうもありがとう。どこにありました?」

「彼の自室ですよ。無造作に机の辺りに投げ出してありました。他には汚れたレシートとか、有効期限切れのポイントカードとか……マア、ろくなもんはありませんでしたね」

「本人の財布や、貴重品は見つかりましたか?」

「財布は有りました。こちらもすっからかんです。逆さに振っても何も出やしない。だけど……」


 米屋がメタルフレームの奥の目を光らせる。


「被害者たちの財布がどこにもない。澄子さんの分も、母親の信代さんのも。運転免許証とか、写真付きのものと、カード類、キャッシュカードの類もそれぞれの自室の引き出しの中に入ってた。それもかなりぐちゃぐちゃで」


「財布と現金だけ持って行ったってことですか?」


 椿姫が声を投げかけると、マア、そうだねと米屋が頷き、顎を小さく指で搔いた。


「坂白浩一から話を聞きましょう。手早く捕まえて。それで真相究明できる」

「第三者が入ってきたのだとして、財布二つと浩一くんだけ誘拐して逃げるというのは、押し込み強盗としても効率が悪すぎるしなァ」

「緊急配備を要請します」

「あ、ちょっとよく見せてください」

「はいよ。挨拶遅れちゃったね。ご苦労様ァ。頑張ってね」


 翠は米屋の手の中の袋の中の免許証を撮影すると、タブレットとスマートフォンを捜査して、捜査本部にデータを送った。その間に、米屋は無線越しに、近隣の集合住宅の監視カメラを当たるように指示を出している。彼はどうやら、機動捜査隊の隊長らしい。


「この近くね。とりあえず電話かけてみます」


 椿姫が学校の電話番号を調べて、通話ボタンをタップした。送信したデータが捜査本部に届き、捜査員達が町中の防犯カメラの場所にたどり着くころには、坂白浩一の顔写真をもとに捜索が始まるだろう。


「もし、彼が犯人だとして……どうして殺したのかな?」


 今回の事件が三件目だったら、一件目と二件目の関係は?


「さきほど、刑事の人たちの会話を小耳にはさんだのですが」


 声を潜めて、茶花が前の座席で急に振り返った。


「そうとう評判の悪い家だったようです。なんでも、すごい暴れるとか」

「坂白くんが?」


 家庭内暴力というものだろうか。反抗期の子供がまれにエスカレートして暴力をふるったりする、あの。


「いいえ。そのほかの女の人が。すごく怒鳴っていたのを何人も聞いたらしいのです。声が大きくて、外まで響いていたから、二階の人にも聞こえていたようです。そんなことを二階の人が」

「いつの間に……」


 茶花は他の階での聞き込みまで聞いていたらしい。


「三階まで行ったのですが大した収穫が無くて、不満だったのですが。下の階から話し声が聞こえたので、共用通路の縁から逆さにぶら下がって、聞き込みの様子を眺めていました」

「せめて普通に立ち聞きして……」

「二階の奥さんが話し終えた後に気づいて、悲鳴を上げていました」

「ほら!」


 翠は困り顔で抗議した。茶花は、時々、自らの体のスペックを試すような行動に出る。


「……それなら、その男の子が、それを恨んで……っていう可能性もあるの……?」

「かもしれないけど、もしそうなら、どうして一件目の二件目が……」


 現場に到着する前、白翅が言っていたことを踏まえて、翠は疑問を口に出す。


「白翅さんは、犯人は殺したい人物を手当たりしだいに殺しているのかもしれないって言ってたよね?」

「……勘、だから……あてにならないけど……」


 白翅がおずおずとした口調で答えた。証拠が出揃わない以上、ある程度は勘に頼って推測するしかない。きちんとした証拠が出た時に再び考え直せばいいのだ。


「一件目は薬物中毒の不良の人たち。二件目はショッピングセンターの三人家族。三件目が団地の親子……うーん」


 いくら考えても、共通点が見えてこない。二件目の事件の時に、ショッピングセンターで被害者たちに接触したキャップ帽の特徴は浩一の年齢や印象とはなんとなく一致する気がする。だとしても、動機が分からない。

 引き取られた先の家庭に問題があったにしても、殺したいと思う相手を後回しにしているようにしか思えない。


「こういうのを常識で考えても無駄だ」


 電話を終えた不破が徐に口を開いた。


「シリアルキラーでも時々変わったやつがいてな。これは海外の統計だが、執拗に虐待を受けた人間が人殺しになる時、真っ先に自分を虐待した人間を殺しに行くことは稀なんだ」

「そうなんですか?って……やっぱり虐待があったんですか?」

「どうもそうらしい」


 不破は軽く瞼の上を揉んだ。そして、切れ長の目をまっすぐに翠達に向ける。

 その目を見返して、スマートフォンを耳から椿姫が離した。

 そして苦り切った口調で告げた。


「学校に電話したんですけど、誰も出ません……」

「どういう……」


 言い終わらないうちに、車内の無線が激しくノイズを立てた。



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