第十七話 ゆりかごを揺らす刃 case21

「なんだか、変な回り道しちゃったわね」


 たおやかな手でタブレットを構えた椿姫は少し呆れ気味の様子だ。

 陶磁器製のタイルで彩られた床を、革靴の爪先がコツン、と叩いた。


「けど、所轄署の人たちの役には立てました」


 翠が苦笑すると、椿姫も同じ表情で肯定の意を示す。


「まあね。少なくとも、骨折り損にはならなかったわ」

「……結局、関係なかったんですよね」

「くたびれは儲けましたが」

「仕方ないでしょ。差額利益が出んのよ、市民の安全という名のね」


 麻雀屋での制圧作戦の翌日、翠達はミーティングを開いていた。時間は昼休み。臨時のミーティングルームとして使っているのは、城山女学院の敷地内の駐車場付近にある教会の中だ。

 現代の日本ではそうそう見ることの無い中世ゴシック風の教会建築は、歴史の古いミッション系女子高ならではのものだ。

 神学しんがくの授業以外では一切使われることの無いここは、

 授業をサボりにきたか、仮眠を取りに来た寝不足の生徒がたまにいるだけで、それ以外は無人のことが多い。そのため、分室の四人はたまに密談の場所として使っていた。信徒用に並んだ長椅子に、翠たちは隣り合うことなく、思い思いの場所に腰かけていた。


「あのチンピラたち、コカインのおかげでだいぶおかしくなってたみたい。だからいきなり撃ってきたのね」


 治療薬以外の薬品には疎い翠達だが、なんでも昨日制圧した男たちは、コカインを東京に流通させており、自分たちでもそれを使用していたらしい。

 あの場にいたリーダーが、売人を雇って商品を捌かせていた。そして、それ以外の連中は中毒になったゴロツキだ。


 そして、そのコカイン自体は、先日幹部たちを失い、ほぼ壊滅した東京設楽組が所有していたものらしい。実行犯は関西で翠達を追い詰めた、戦場帰りの魔術士ハサンだ。強力なリーダーシップを持っていた武闘派、東条郷司が殺され、いわば本店である神戸海野会も弱体化したことで、失意に沈んだ組長は商売を畳んだらしい。組員たちは散り散りになり、もはや組織は自然消滅している。


 だがその一方で不破たちが捜査員達と共に調べ上げた情報によると、憎まれっ子世に憚るとでもいうべきか、生き残った構成員たちの幾人かは、秘密の商品在庫を横領して売り捌いている者もいるという。そして、先日捕まえた男は設楽組の元中間管理職クラスの構成員だった。仕方のない事とも言えた。

 金になるものはどんなものであれ金にする。

 ヤクザ者はそういう人間が大半だ。翠自身、暴力団まがいの金融業者に情報を売られたせいで、今ここにいるのだから。


 しかし、その商品在庫を盗まれた事に気づいた忠誠心の強い構成員達の報復を恐れたのか、または他の不良組員からの横取りを恐れたのか、男はひどく報復を警戒していたらしい。新たに雇った売人や顧客を管理する一方で、自分もそんな不安から逃れようとしたのか、コカインを吸入するようになった。もしかしたら、以前から多少麻薬を嗜んでいたのかもしれない。


 その副作用をモロに受けて疑心暗鬼になり、興奮した男は、廃ビルでの事件を知り、情緒不安定を加速させた。殺害された不良少年達の中に、売人をやっていた者が三人もいたのだ。しかも、仲間内で商品をちょろまかして分け合っていた。


「椿姫さん達が検分した事件ですよね。

「そうね。いよいよ横取りを狙った連中が現れたかと思ったみたい。だいぶ呂律が怪しかったみたいだけどそんなことを言っていたらしいわ」

「世の中には変わったものを食べたがる人達がいるんですね」

「……前に殺し屋に仲間の人が襲われてるから……?」

「うん。それで、余計に怖くなったんじゃないかな」


 自分の身に危険が及ぶことを恐れた元構成員の男は、同じように麻薬を貰えるならなんでもするというレベルにまでどっぷり浸かったならず者たちを雇って、襲撃者を警戒させていた。そこに刑事たちがやってきた。

 そして、捜査中の事件があまりに凶悪だったため、護身用に警官たちは拳銃を携帯していた。それにゴロツキ達は過剰反応した。

 警察に化けた殺し屋かと思ったらしいわよ、と椿姫。そして、その後翠たちが手荒く救援に入ったことで、あの騒ぎになった。


 取り調べの結果、関西の時と同様、暴力団がらみのトラブルかに思われたが、予想外の横槍により、事件は振り出しにもどってしまった。

 奇妙な縁だと翠は思う。自分たちを苦しめた殺し屋達の凶行が、巡り巡って、また自分たちの苦労を増やしている。

 結局、犯罪は新たな犯罪を呼び寄せるだけなのだろう。それが凶悪であればあるほど、影響は大きい。それが社会的であるかどうかは別として。


「で、二件目の話。十中八九同一犯の仕業ね。異誕反応も出たし、現場も近い。これで別の異誕の仕業だったら、私たちを誰かが過労死させようとしているとしか思えないわ」


 椿姫が指を二本立て、心なしか声を張った。おどけたことを言いながらも、口調は真剣そのものだ。

 翠は下唇を湿らせた。翠たちが麻薬中毒者ジャンキー達を制圧している間に、多摩市では再び異誕事件が起こっていた。

 現場となったのは全国チェーンのショッピングセンター、その駐車場で、周辺には少ないながらも、畑が並んでいたりもする、東京にしては少し辺鄙な場所だ。

 被害者は子連れの三人家族だ。父母とその娘。車は上から巨大な拳で殴られたかのように潰れており、父親は圧死。母親は、腹部胸部を複数箇所刺され、ショック死していた。そして、まだ小学生の娘は首を折られていた。


「廃ビルで死んだチンピラ達とは殺害方法が違う。けど、共通点があったわ」


 椿姫がタブレットを操作して、翠たちの端末に捜査資料のデータを送った。本来、この場を取り仕切るのは不破のはずだった。しかし彼女は今、事件の対応に追われている。その代理である椿姫の毅然とした貫禄は不破に引けをとることはない。


「現場付近を鑑識課の人たちが調べ上げた結果、周囲の道路堆積物が異常に少なくなっていたわ。これは一件目でも見られた特徴よ」

「道路堆積物?」

「あんまり詳しくないけど、そのまま道路脇に積もった土砂のことだよ。車とかがタイヤで巻き上げた粉じんもその一つなの」

「ふうん……」


 白翅が納得したように細い顎を軽く引いた。育成期間が短く、座学よりも戦闘実技に多く時間を割いてきた白翅は科学捜査の知識はまだ疎い。翠にしても、捜査員用の教本を全部読んだ程度だが。

今回の事件では車出入りの多い二件目の駐車場では勿論、一件目の廃ビルでも、外から入り込んだものが相当堆積していなければならないはずだった。だが、なぜか、犯行現場付近だけ綺麗にそれが無い。


「犯人が掃除していったのでしょうか」

「そんなわけないでしょ」

「それもそうです。そんなことする異誕生物は翠くらいなのです」


 冗談とも本気ともつかぬ口調で、茶花が翠に疑いをかけた。

 白翅が無表情のまま巨大な疑問符を浮かべる。


「え?私?どうして?」

「翠は休日に分室のオフィスを自主的に掃除したがるほどの綺麗好きなのです」

「綺麗好きはそうだけど……」

「ですが、この線はありませんね。もしそうなら、翠は茶花たちに秘められた力を隠していることになります。それに、現場をあんなに汚さないのです」


 茶花の口調からして、リアルタイムで確かめた現場は相当凄惨だったのだろう。翠と白翅のペアは、写真で一部見ただけだった。当然、それ全てを知ることはできない。


「そうね、でも代わりに現場には血で湿った土砂が散らばっていた。検証の結果、これは現場にあった道路堆積物が凝縮した後、形を変えて放置されたものと推測されたわ」

「土砂に関係する能力ってことなのかな……」

「一件目の遺体を詳しく調べたらしいけど……そしたら、血中からコカインの他に石英の粒子が出たみたいよ。それもかなり多く」


 一件目は被害者たち七人は鋭利な刃物で滅多刺しにされていたという。

 逮捕された薬物中毒者達の所持していた刃物を鑑識課が調べたが、刺創は一致しなかった。もっと大きな刃物らしい。

 そして、鋭く尖った大きな石英であれば、人の体に刺さる。


「ちなみに、二件目でも同じと特徴が見られたわ。被害者たちの車の中にも、その外にもところどころ堆積した土砂が」


 椿姫によると、どちらの事件も現場に目撃者はいないという。そのため、異誕の能力を知ることは現時点ではできない。

 しかし、二件目ではさすがは商業施設と言うべきか、出入り口付近に取り付けられた万引き防止用の監視カメラに、不審な人物が映っていた。

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