第十七話 ゆりかごを揺らす刃 case20

 父と母は突然いなくなった。置手紙だけを残して。父が一代で築いたベンチャー企業が潰れ、全てを清算した頃は無一文になっていた。

 父は挫折を知らない人だった。だから、全てを失うことに耐えられなかったのだろう。両親は結局戻ってこなかった。どこかの樹海にでも行ったのかもしれない。そう思うのは、置手紙の内容がどう読んでも遺書だったからだ。


 女の子が、母親が、父親が笑ってる。目の前の視界が、唐突にぐにゃりと捻じれた。

 頭の奥が軋んでいく。僕の家族は壊れてしまったんだ。パパとママは僕を連れていってくれなかった。

 いいな、いいな。僕はもう、ああなれないのに。もう幸せな家族に囲まれて幸せになれないんだ。


 僕はもう、幸せじゃない。僕はもう、あんな風に笑い合えないんだ。


 いつの間にか、エスカレーターは終わり、親子はコンクリートの屋外駐車場を歩き出していた。浩一はその後を、ふらふらと付いていく。


(なんで、僕、あの人たちについて行ってるの……?)


 広い駐車場の真ん中近くの列に、緑のミニクーパーが停車していた。そこに親子は乗り込んだ。まだエンジンはかからない。

 浩一は走り出す。エンジンをかけさせちゃいけない。なぜかそんな気がした。

 ハーフパンツの左側がじん、と熱くなる。急に体の奥が蕩けるように熱くなった。


 左の後部座席のサイドウィンドウに映った女の子がふと、顔をこちらに向ける。その隣の母親がその視線を追った。


 ガシャアアアアン!と耳をつんざく衝撃音があたりに響き渡る。

 浩一の足元の地面に、いくつも小さな亀裂が走り、割れ目から焦茶色の触手のようなものが突き出していた。それらが車のウィンドウを突き破り、そのまま母親の胴体を貫いている。運転席で物音がした。頭の中が一瞬で沸騰したように熱くなった。

 意識をそちらに集中させる。

 空中には、岩塊が、まるでそこにあることが自然なように浮かび上がっていた。そして、浩一はそれをどう使えばいいかが分かっていた。人差し指をさっと振る。

 岩石が斜め下にひとりでに飛んでいき、車体が大きくへこみ、運転席の父親の頭部と、そのすぐ下を岩石が押しつぶした。


 後部座席の反対側に回り込むと、血に濡れた母親がびくびくと痙攣していた。

 奥に見える女の子はただ茫然としている。浩一はただその子を見つめた。


「え……おにい…………」

「……」


 再び、車に沿って、女の子の側に回り込んだ。女の子の後ろ頭が見えている。もう助からない母親をただ見つめていた。

 かわいそうに。ただそう思いながら、浩一は窓を片手で突き破った。そのまま中に手を突っ込み、女の子の首を掴み、そのまま力を込めた。

 ばきん、と何かが折れる感触が伝わってきた。


 終わってしまった。こんなにあっけなく。浩一は歩き出した。そういえば、前にもこんなことがあった気がする。いつだったか。すごく前。


 学校が終わった後、今の家に帰りたくなくて、校舎の裏門を出てひたすら歩いた。迷子になって、戻れなくなってしまえばいいと思いながら。けれど、途中で歩くのにも疲れて、もう営業していない廃墟のビルで休むことにした。


 そうしたら、途中まで階段を上ったところの廊下を抜けて、すぐ近くの部屋に入った。仕切りを取り去った部屋の中に、誰かが立っていた。安物のひどく崩れた雰囲気の服を着た男だった。


 『アア?なんなんだ、おめえ』


 どうこたえるべきか迷っていると、その周りには似たような風体の男たちが思い思いの恰好で座っていた。一人が、急にガバッと立ち上がったかと思うと、尻ポケットからナイフを取り出した。


『おまえ……どこのやつだ、海野会か?それとも中国人か?』

『は……?』


 どう答えたらいいのか分からずに答えに困っていると、出口近くの男が浩一の腰を掴んで床に引き倒した。背中を蹴とばされる。


『なんとか言えやコラあ!』

『菅井い、こいつがやくざなわけないじゃん、こいつがそれなら俺らは組長だっての!』


 げらげらと下品な笑い声が続く。


『うるせーな、んなこと知るかよ。こちとら、パチ負けてムカついてんだよ!』

『八つ当たりかよ!』

『つーわけで、迷惑料払えや』


 髪の毛を掴んで引き起こされた。何がなんだかわからない。

 ひどく胡乱な目つきと喋り方の男たちだった。みんな目がぎらぎらしている。


『俺たちさあ、金がいるんだよね。すっげーいいもんを売って、そんでわけてもらうんだよ。でも高くなるんだよな、どんどん』

『うわ、こいつ財布持ってねえ』


 まじかよ、こいつ。そう言いながら、服のポケットを探られた。そして、一人が奇声を上げながら、浩一に飛び蹴りを浴びせる。

 なすすべもなく、床に叩きつけられた。


『ざっけんじゃねーよ!金もねーのにきてんじゃあねー!』


 そして、顔にナイフを突きつけられた。他の男たちが笑い声を上げた。

 殺される。どうして、どうして?どうしてこんな目に僕ばかりが遭わなきゃいけないんだろう。


『しっかり役立てろよ』


 頭の中で声が響いた。動悸が激しくなる。上の服の胸ポケットにお守り代わりに入れてあるソレが呼応した気がした。


 これが役に立つなら、きっと今しかない。心の底からそう思った。服の内側に鋭い何かが突き刺さったかのような刺激を感じた。

 激しく胸の内側が熱くなり、頭の中に、どろりと何かが入り込んでくる。そして、


『あ、なんだ、これぎゃあああああああああああ!』

『う、そだろあ、ああ、血が、血が、…………!』

『ひい、ああああ!』


 浩一の周囲に、先端のとがった平たいものがいくつも浮かび上がり、それが部屋中に乱射された。男達は血だらけの、体中から石材を突き出した不格好なオブジェとなった。

 天井、床、あちこちに血が飛んでいた。体中に力が漲り、気持ちがひどく昂っていた。

 その気持ちはそのままに、急いで現場を離れた。



 あの日も今みたいに、六月なのにひどく暑い日だった。浩一は被っていたキャップ帽を脱いだ。つばの所が血で赤くなっている。しばし迷った挙句、真深く被りなおした。

 そうか、そうだったんだ。ずっと忘れていたことを思い出した。あいつらを殺したことを忘れていたんだ。そして、お守りが役に立つこと。自分が何人もの人を殺せること。どうして今まで忘れていたんだろう。つい最近、ひどく頭がぼんやりすることが多くなった。

 ひと気の少ない駐車場をまっすぐに走っていく。体の中が燃えるように熱かった。


「アイスクリーム、」


 食べたいな。今度はパパとママと一緒に。

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