第十七話 ゆりかごを揺らす刃 case18

 大急ぎで戻ってきた不破がエンジンを始動させ、SUVが急発進する。

 緊迫したやりとりが続く回線からは、くぐもりながらも乾いた音が聞こえ始めていた。それに呼応するかのように轟音が連続する。


「銃声でしょうか……!?」

「おそらくはな……桜ヶ丘Bは麻雀屋だ。最近経営者が変わった。廃ビルでの事件の被害者の一人がそいつの友人だ。最近頻繁に会っていたらしい」

「その人、素行不良だったのかしら?」

「当たりだ。二週間前にガソリンスタンドのバイトをクビになっている。集中力が無さすぎるとのことらしい。妙にクサいと思ってたんだ」

「……どういうことですか?」

「居眠りのしすぎでしょうか?」

「違う」


『こちら東宮!河野巡査部長が被弾!警官が負傷!繰り返す、警官が負傷!』


 不破が即答した後、激しく舌打ちした。ハンドルを左に切り、新しいSUVのアクセルを吹かす。


「血中からコカインが出たんだ。そして、その麻雀屋は組織犯罪対策部が捜査中だった」


 その声には緊張が滲んでいた。翠をはじめとする四人が、一斉に自分の拳銃のチェックを開始する。スライドを引いて、薬室の弾丸を確かめた。翠はひどくもどかしかった。皮肉にも、車で行けばさほど時間がかからない距離であるという事実が却って内心の焦りを増幅させていた。


 中央警察署を出ること九分。ようやく現場が見えてきた。

 道路脇に慌ただしく停車した車から五人が降りるや否や、発砲音が三発、あたりに鳴り響く。

 向かいの歩道にはマンションや賃貸ビルが並んでおりそのうちの一つの三階に麻雀屋が入っていた。ビルから五メートルほど離れたところでは、交通誘導をしていた警備員が三人呆然とした様子で音がした先を見上げている。その近くではマンホールがカラーコーンと立て看板で取り囲まれていた。近隣のマンションのフロアからも、住民が遠巻きに事件現場の様子を伺っている。


「異誕反応ありません」

「まずいな。これは分室の仕事ではないかもしれん」


 翠の報告を受けて、不破が眉をひそめる。もし仮に、先日の犯人がこの聞き込み先に潜伏していて、自分を逮捕しようとした警官を排除したいのであれば、すぐに異誕としての能力を使っているはずだ。そうせず拳銃で抵抗を続けているのは、やはり事件とは無関係だからなのかもしれない。

 事件とは分室の部隊の中で、唯一異誕生物の反応を感じ取ることができない白翅はホルスターに手を当てたまま、意図を図りかねている。やがて、その手を上げて、麻雀屋の青い看板を指差した。


「けど……このビルの中で、誰かが誰かを殺そうとしてます……。たぶん、警察の人……」


 白翅には、悪意や敵意、そして、殺意を敏感に感じ取る危機察知能力がある。そして、それがいかに正確であるかを翠を含めてすべてのメンバーが心得ていた。


「先に制圧しましょう」

「よし。フラッシュバンは使うな。味方の捜査員がまだ中にいる。巻き込むかもしれん。なるべく生け捕りだ。聞きたいことがまだあるからな。死角から突入して、表のドアから刑事たちを逃がす。部屋は全部で三つある」

「分かりました。私は入り口近くの部屋の窓から行きます」

「わたしも……」

「では、茶花たちは反対から参りましょう」

「オーケイ」



 ここで回れ右して帰る選択肢を選ぶつもりは無かった。この件が誰の管轄になるのかは分からないが、解決した後に小言を食らえばいい。

 足早に目標地点に接近すると、不破がきびきびと指示を与えた。翠が足のばねを使って飛び上がり、窓枠をいくつも足場にして、三階に到達する。

 白翅がその後を追うように窓枠に手をかけ、三階の窓枠に二人が片足を乗せた状態で、翠が上体を引き寄せた。右手でレッグホルスターの軍用コンバットナイフを抜く。


(三、二、一……)


 白翅に目くばせしながら、とても小さな声でカウントする。


「ゼロ!」


 ナイフの柄を、窓ガラスに叩きつけた。激しい音と共に、大穴が空き、そのまま中に跳躍して飛び込んだ。


「なんだあテメエ!」


 怒号が投げつけられる。同時に、左耳の近くでタイヤが破裂したような音が鳴り響いた。銃声だ。首のすぐ近くで生まれた衝撃を顔を横にそらす事で回避。外れた弾丸が、後ろの壁にめり込んだ。


視界に室内の間取りを捉える。

広めの室内の割には雀卓は少ししか並んでいない。翠から見て、右端に二つ、左端に三つ。

 ドアの近くの柱の陰には背広の男が肩から血を流して立っている。

右手に持つ銃はS&Wのエアウエイト。警察官の正式採用拳銃の一つ。彼が負傷した警官だろう。その近くには、丸いテーブルが倒されていて、同じく背広の男が銃を構えて伏せていた。

 二人とも、突然現れた翠達に目を白黒させている。


 そして、奥の広いカウンターの後ろには、煙の出た拳銃を構えた男が一人。そいつの位置を中心に、恰好も背丈もバラバラな男たちが散らばっていた。


「白翅さん、銃を持ってる男に背中を向けてるのが全員敵!」

「わかった」


 走り出した勢いはそのままに、突進する。叫びながら、カウンターの男が発砲する。走る軌道上に飛んだ弾丸を、ナイフで弾き飛ばした。そのまま横に飛んで次の銃弾を避け、距離を詰めてカウンターを飛び越えた。


「あっぐあああああ!」


 ナイフの柄を拳銃を持った右手に叩きつける。骨が砕ける感触が伝わってくる。思わず身体を折った男の鳩尾と腹の真ん中に膝を叩き込み、首の付け根を柄で一撃した。がくん、と男の体が膝をつく。頭を掴んで引き倒し、銃を持っていた左右の手の甲を強く踏みつけて手の骨を破壊した。これで引金は引けない。

 敵の二人が、拳銃を荒々しく構えた。


「なんだガキこのや……」


 轟音と共に、翠の背中に銃を向けた男が崩れ落ちる。白翅が横向きに身を投げだし、立て続けに四発引金を引いた。五発目がもう一人の手の拳銃を吹き飛ばす。続く銃弾が両膝を貫いた。



「こっちだ!女の子は撃つな!味方だ!」


 いつの間にか正面のドアを開けて不破が現れた。拳銃を構えながら、一瞬だけ手を放し、負傷した捜査員達を手を動かして外に誘導した。捜査員の一人が不破の言葉に頷きながら、二発、三発と男達に牽制の銃弾を放った。

逃がすまいと動き出した男が、ろくに狙いもつけず、撃ちまくり、弾があちこちに飛び散った。天井の電灯が砕け、雀卓が転がる。それに便乗するように、ニット帽の若者が発砲する。

 開いたドアの陰から、椿姫が走り出たかと思うと、金属音にも似た響きと共に、弾丸が跳ね返り、部屋の奥に飛び散った。魔力による障壁が、赤い輝きを放ちながら鉛弾を阻んでいた。


仁王立ちで銃を構えるニット帽が、叫び声を上げてひっくり返った。跳弾が命中したのだろう。

 不破が伏せながら狙いをつけ、なおも撃ち続ける男の腹に二発撃ちこんだ。

 男は腹から血を撒き散らし、奇声を上げながらも拳銃を離さない。それどころか、大股で走り出そうとすらしていた。薬物でハイになり、痛覚が麻痺しているらしかった。


「クソッ!このヤクやくちゅうが!」

「止まりなさい!」


 カウンターから身を乗り出し、ちょうど背中が見えている男の腰に通常弾を三発撃ち込んだ。撃たれた体が前のめりになって床に叩きつけられる。カウンターを再び飛び越えると、白翅に撃たれた男が起き上がろうともがいていた。その腰にも銃弾を撃ち込みながら、銃弾を部屋の奥に放ち、動きを牽制する。


壁際に後退しながら、ナイフを取り出した男が、絶叫しながら突進を開始する。

その瞬間、斜め後ろの窓が破壊され、飛び出た大鎌が弧を描いて、男の前に回り込む。走る勢いが強すぎたためか、男の腹部が刃の餌食となった。噴き出す血と、食い込んだ鎌を信じられないとでも言うかのように見つめている。


ひょっこりと窓から身を乗り出した茶花が素早く男の体を引き寄せて、後頭部に手刀を叩き込んだ。前のめりになりながら吹き飛んだ身体が地面に叩きつけられる。


 残るは二人。部屋の奥にいた一人が、あきらかに無茶な動きで、雀卓を持ち上げている。顔を紅潮させ、飛び出さんばかりに目を剥いていた。

 投げつけられた雀卓を、前に飛び出しながら前蹴りで吹き飛ばす。吹き飛んだ雀卓がカウンターを突き倒し、その後ろで失神している敵を押し潰した。


 部屋の中央にいた男が、拳銃を撃ちながら、身を屈めようとする。同時に床に膝をついた白翅が男の鳩尾を撃ち抜き、臍にさらに二発叩き込んだ。血に染まって体が倒れる。

 翠に接近された男が、口の端から泡を吹きながら、大ぶりな登山ナイフをポケットから引き抜いた。二十センチの刃渡りが身を屈めた翠の頭上を通り過ぎる。

縦、横、横、縦、突き、と素人特有の散漫な動きで繰り出される斬撃を優れた動体視力で難なくいなす。


翠は床を蹴って、ナイフを持つ腕の内側に飛び込んだ。左腕を跳ね上げながら、ナイフを突き出した腕に巻きつけ、右肘を相手の顔に叩き込んだ。五メートルほど吹き飛んだ男が頭から壁に叩きつけられ、鼻血を噴き出してそのまま白目を剥いて失神した。


「……はい、不破です。はい……間違いありませんか?そうですか……」


 部屋の中が静かになると、不破が携帯を取り出して電話を受けていた。僅かに狼狽が伝わってきて、翠は不意に嫌な予感がした。


 椿姫が茶花を伴って、片手を上げながら部屋の中央に集合する。そして、不破の様子を見て、翠と同じように動きを止めた。


「残念ながら休んでいる暇は無い」


 些か青ざめた顔で不破が電話を切った。


「おそらく二件目が出た」

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