第十七話 ゆりかごを揺らす刃 case16

膝丈のスカートの内側で短い振動を感じた。

リリーナは自室を足早に出ると、ポケットからPDAを取り出した。画面に表示されている警告表示が告げるのは彼女の雇い主がいつも待ち望んでいるものだ。


 そして、主が不在の今、事態の進行を管理し、見届けるのは彼女の役目だった。リリーナはそれだけの信頼を得ていた。


長い廊下を抜け、螺旋階段を抜けた先に広がるのは広く白いホールだ。天井が高く、通路が放射状に広がっている。

 壁と天井の区別も困難に感じるほどの白色はくしょく。まるで、どこまでも続いているかのような錯覚に陥いりそうだ。


やがて、通路の奥へ到達すると、白の中にグレーの頑丈な金属製扉が現れた。


PDAで特殊な信号をパスワード代わりに送り、虹彩認証を抜けた。軽い振動音を立てて扉が開き、部屋中に設置された電子機器が久方ぶりの来訪者を招き入れる。

奥の壁には巨大なテレビモニターが四台、びっしりと壁を埋め尽くしていた。

それらは既に電源が点り、闇の中で冷たい光を放っている。

モニターは警告表示と同時に、起動する仕組みになっており、それは現在管理者権限を与えられている者の端末へと伝わる。


『リリーナよ』

『お留守番は順調か?』


しばらく携帯端末をコールすると、名乗ることもせず不遜な態度で雇用主が応答した。

画面上では大きなマップの中で、複数のマーカーが這うように低速で移動している。そのうちの一つが、赤く、大きさを変えながら点滅していた。周囲には複数のウィンドウが表示され、バイタルをはじめとする様々なステータスが数値となって表示されており、正確な情報を常にデータベースに送り続けていた。


『導火線に火が灯ったわ』

『見届けろ』


* * *







「椿姫です。今の地点で合ってますか?」

『ああ。問題ない。近いぞ。そのまま右折してくれ』

「どうも。ルートからそれたら教えてください」


 口元に固定したマイクに返事を吹き込み、アクセルをふかして加速しつつ、エンジン音を轟かせる。多摩モノレールの下をくぐった瞬間、初夏の日差しが黒曜石のような瞳を直撃した。

 遅れて顔を逸らしながら、椿姫はハンドルを巧みに捌いて方向転換した。すぐ側を、接触寸前の小型車両がクラクションを鳴らしながら辛うじて通り抜けた。


「危ないわね」


 思わず呻くと、後部座席に腰かけている茶花が、ぎゅー、と更に強く腰を締め付けてきた。原付が走り出した時から、茶花はまるでユーカリの木にしがみつくコアラのように椿姫を離さない。


「現場に着いたらちゃんと離してよね」

「もちろんです。茶花は約束を守る鎌ですから」

「アンタは、入ってくるなって言っても人のベッドに勝手に入ってくるじゃない」

「寝ぼけているのはカウントしてはいけないのです」

『前方二百メートル。右折だ。近くに、潰れたパブがある。メロンソーダの瓶が描かれている看板が上がってるはずだ』

「了解」


 しれっと屁理屈をこねる茶花に、全くもう、とため息をついた瞬間、ヘルメットの内側に装着したヘッドセットに不破からの通信が入った。

 椿姫達特務分室の部隊員たちは、全員が地図を見ればそれを短時間で暗記するすべを叩き込まれる。だから誘導無しでもたどり着けない事はないのだが、原付に乗りながら道順が正しいのか確かめるのは困難だったため、やはり有難かった。

 周囲は住宅が姿を消していき、代わりに飲食店などの店舗が数を増していく。やがて入り組んだ細い路地を原付は駆け抜けていく。


 そこは寂れた印象の飲食街だった。多くの店舗がシャッターを下ろしており、ドアも窓も封鎖されている。速度を落としながら路肩に原付を止め、頭のヘルメットを脱いだ。


「十三時二十七分に現場到着。茶花、メモしといて」

「ほい」


 広くなった視界に、現場となった建物が現れた。五階建ての廃ビル。老朽化が進んでおり、外壁も、もう改修工事をしても手遅れなほど傷んでいる様子だった。原付から降りてようやく茶花が腕を外し、鞄を背負ったまま歩き出した。椿姫は原付に括り付けた自分の学生鞄からポーチを取り出して腰に巻いた。




「ずいぶんもの寂しいところですね。本当に東京でしょうか?」

「東京都と言っても、流行っていないところは平気でゴーストタウン化していっているからね」

「おいしくないご飯屋さんと包丁の使えないコックさんは、淘汰されても仕方ないですね」

「あんたたまに残酷よね」


 配置されたパトカーの側を通り抜けたところで、

 頭の先から冷えていくような感覚が背中を走り抜けた。

 椿姫は気を引き締めながら茶花を伴って、張られた黄色いテープをくぐった。

 ビルの入り口で、タブレットを抱えた不破が片手を上げ、椿姫達を迎える。画面に映し出されているマップには椿姫のGPS信号が表示されていた。


「こんにちわ。ナビありがとうございます」

「気にするな。それよりも、補修の途中に呼び出して悪かった」

「構いません。ちょうど終わったところでしたから」

「お昼ご飯を食べ損ねました」

「後よ。そんなのは」


 椿姫達は時々、土曜日に半日授業のような形で科目ごとの課題をこなすことで、出席日数を補っていた。今日がその日だ。学年が違えば、当然教諭たちの都合も変わってくる。今週は椿姫だけだった。


「異誕反応があります」

「……やっぱりか」


 低く唸ると、不破は眉間のあたりを指で揉んだ。椿姫は腰のポーチから、白手袋と使い捨ての足カバーを取り出して、靴の上から装着した。茶花が、隣でそれにならう。


「やっぱりってことはかなり酷いみたいですね」

「ああ。それだけじゃない。食われていなかった。どこかの腹を空かせた化物がランチを食べに来たわけではないということだ」


 嫌な予感がした。思い当たる可能性はそう多くない。


認識票タグの使用者が現れたんでしょうか」

「かもしれん。で、どうする?現場を見ていくかね?それとももう帰るか?」

「見ていきます。その代わり、後で現場写真を見なくてもいいですよね」

「無論だ」


 ビルの外側に取り付けられた金属製の階段を、音を立てることなく昇っていく。二階に到達したあたりで、隣を行く茶花が露骨に顔をしかめた。


「なんだか変な匂いがするのです」

「血液かしら?」

「それは別に嫌な匂いじゃないのです。すごく臭いです」

「鼻が良すぎるのも、あまりいいことばかりではないようだな」


 薄汚れたビルの最上階フロアには、異様な臭気が立ち込めていた。まるで唾液が腐ったかのような匂いだ。

 電気系統が完全にストップしたビル内は昼間だというのに薄暗い。椿姫はこらえきれずに掌で口と鼻を塞いだ。表情を歪めても、その顔は少しも色褪せることのない美しさを保っていた。茶花は先ほどから仏頂面のままだ。


「冗談じゃないわよ」


 思わず長い指の隙間から悪態を突きながら、ここに来た自分の判断を呪った。そして、ここに来る前に食事を摂っておかなかった過去の自分を称賛した。


「死体は全部で七体。どれもこれもひどい有様だ。滅多刺しにされて首がもげかかっている者や、体が壁に叩きつけられて潰れている者もいる」

「被害者はどういう人たちなんですか?」


 死体にはどれも毛布のようなものが掛けられていた。確かに七体ある。壁や床のあちこちに掛かった血の飛沫は時間経過で赤黒く変色していた。

 なんでわざわざこんなところに集団でやってくるのだろうと疑問に思いながらも、椿姫は気を取り直して質問する。


「わからん。ただ、タトューを入れていたり、明らかに学生じゃないのに平日にブラブラしていたらしき人間もいるから、どこかのチンピラかもな」

「平日ってことは殺されたのは昨日かそれよりずっと前ですか?」

「まだ正確には断定できない。遺体の腐敗が進んでいる。初夏だというのに、異様に熱いだろう。最近」


 椿姫は顎を引いた。確かに今年は五月くらいからもう夏かと思えるほど熱い日がたまにあった。おまけに今も、建物の真上から照り付ける太陽にビル全体がかれているかのように暑い。身に着けている夏用の制服が今は心底ありがたい。


「三日は経っているでしょうなァ」


 二人の会話が聞こえたのか、床に屈みこんで集光ライトで照らしていた年配の鑑識員が声をかけてきた。ひどく埃っぽい床の上にはこげ茶色の粉のようなものがあちこちに散らばって、ひどく汚れている。砂……いや、土だろうか?場所によっては、血を吸ったのか、湿って泥状になっているものもあった。


「ありがとう。……それなら周辺の捜索は無意味だな」

「それじゃ、一旦は帰れますね」

「現地解散なのです。皆さんお疲れ。帰るまでが現場なのです」


 三人は軽く一礼して、また階段の近くまで戻った。急に視界が明るくなったせいか、さっきよりも日差しが強さを増した気がする。


「第一発見者は被害者たちとと同様、不良予備軍みたいな男だ。現在、捜査一課が話を聞いている。これを機に更生してくれると嬉しいがな」

「週末にこんな所まで遊びに来るような人ですからね。犯人はどんな能力なんでしょう?」

「遺体の損傷具合についてもう少し調べてみないとわからんな。ただ、ひどく床が薄汚れていただろう。他のフロアはあんな風になっていなかったんだ」

「犯人が能力を使った代償ってことですね」

「ああ」


 いつの間にか、三人は階段を降りていた。私用のスマートフォンをいじり、茶花が翠達に「待機」の旨を伝えている。

 原付を止めてある場所まで戻り、座席に腰をかける。


「どうぞ」

「うん?何よこれ」


 茶花が鞄の中を開けて、水筒を取り出すと椿姫に押し付けてくる。魔法瓶の蓋を開けると、ひんやりとした冷気と、カフェインの匂いがした。

 アイスカフェオレです、と茶花が答えながら、水筒をもう一本出して、くぴくぴと飲んでいる。中身を口に含むと、喉の奥をさらさらとした感触が流れた。氷を沢山入れすぎたからなのか、少し薄く感じる。だが、その冷たさが今は有難かった。


「ありがとう。そういえば、先週の日曜日、翠達が美味しいお店に行ったらしいじゃない」

「オープンカフェテラスですね」


 先週、学校で会った時に、翠達がそのことを話題にしていた。新しい服を白翅が買ったらしく、翠も大層気に入ったらしい。

 二人で食べたスイーツの写真も見せてくれた。


「今度二人で行きましょうか」

「今度と言わずに今行きましょう。他に何か食べ物も売ってるはずです」

「今から?混んでなかったらいいわよ」


 声を弾ませる茶花に、椿姫は苦笑した。不思議な心持がした。先ほどまで血生臭い話題ばかりしていたのに、今は友達と同じ嗜好品を食べることを話題にしている。

 まるで同じ世界の出来事ではないかのようだった。しかし、先週、楽しいひと時を過ごしたであろう翠達も、そして自分たちも、確かに同じ世界の住人で、同じ組織の一員なのだ。





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