第十三話 西部戦線異誕アリ case8

 翠は爪先に神経を集中させ、ビルの壁面を駆け上がると、最上階である七階にあっという間に到達する。さっきまでマズルフラッシュの輝きが窓から見えていた最後の場所だった。


 上体を引き上げて安定させ、拳銃のグリップで窓ガラスを割ると、窓の縁を飛び越えて、床に銃を構えたまま、脇腹を下にして転がる。フロア全体は静寂に包まれていた。

が、訓練された翠にはその奥に存在する人の気配を敏感に感じ取った。足音を殺して、廊下を進んでいく。


少し歩くと、次の曲がり角にたどり着いた。

とたんに、ものすごい刺激臭が鼻をついた。不快感に顔をしかめながら、奥へと進んでいく。廊下の曲がり角の側で背広姿の男が死んでいた。赤い絨毯の上で、うつぶせになっている。肩の上に上げられた手の先には拳銃が落ちていた。その先にも何人もの黒服の男達が倒れている。一番奥の死体だけが仰向けになって転がっていた。


 その顔を見た途端、うっ!と声が洩れそうになるのを翠はなんとか抑え込んだ。


 その顔はザクロを割ったように爛れ、割れた皮膚の隙間から真っ赤な肉が覗いていた。皮膚が溶けてその周りからこそげ落ちている。


 今回の事件で、溶解液を浴びせるといった方法で異誕は暗殺を行っている。そのことを翠は思い出した。同時に、これほど沢山の死体があって、なぜ血の匂いがしないのかという答えにもたどり着いた。刺激臭が強すぎるからだ。

 錦野が、なぜ翠達に死体の写真を見せたがらなかったのか合点がいった。


 頭を軽く振って、死体を跨ぎながら、奥へと進む。

目の前に見える廊下の突き当りに、大きなスペースをとった部屋の扉が見えた。

 その両側には左右の曲がり角が見える。くぐもった声が奥から聞こえてきた。


「……」


 翠は意を決して走り出す。一気に加速すると、曲がり角の直前で床を蹴り、跳躍すると、空中で前転する。視界が反転した。

 曲がり角の両側に二人ずつ男女が立っていた。そのうちの二人には見覚えがあった。

 外で魔術士が突入させた組織のメンバーの中にいた連中だ。


 見覚えのない一人が自動小銃を向け、もう一人の男がやたらと弾倉の長い拳銃を叫びながら向けて来た。


 急降下し、放たれた弾丸をかわしながら、その弾倉に銃弾を撃ち込む。銃身が跳ね、相手の弾丸がそれた瞬間に、その胸に二発撃ち込んだ。自動小銃の男が大声を上げながら、引金を引いた。ライフル弾が放たれる。


しゃがみながら、一気に相手に近づき、右手の銃で相手の銃を叩くと、左手で銃の奥を握りしめた。そのまま相手の腹部を思いっきり蹴りつける。相手の身体が吹き飛び、壁に叩きつけられた。翠の左手には、奪った相手の自動小銃があった。背後で銃声が轟く。


 同時にその場に素早く転がり、背後に向けて、奪った自動小銃をフルオートで発射する。

 銃弾を放っていた二人があっという間に血まみれになって倒れた。自動小銃を投げ捨て、倒れていた一人の眉間に拳銃を向ける。泡を吹きながら、蹴られた男がポケットを探っている。

 そのまま引金を引くと、男の手の先から拳銃が転がり落ちた。


 どうして、白翅を置いてきてしまったのだろう。なぜか、そんな疑問が浮かんできた。自分は白翅の先輩のはずなのに。彼女を援護し続けなければならなかったのではないか。


殺し屋を逃がすわけにはいかない。けれどもし、その間に白翅達に何かあったら?私はなぜ、任務を優先したのだろう?分室のメンバーだから?いや、それだけではないはずだ。

 死体に近づき、上着のポケットからバナナ型の弾倉を取り出すと、さっき捨てた自動小銃に装填する。そして走り出すと、ドアを蹴破った。


 会議室のような部屋には大きなデスクが置かれている。それを取り囲む椅子は全てひっくり返っていた。部屋中に死体がバラバラな向きで転がっていた。

 銃口を前に向けながら翠は前に進み出た。

部屋の奥の左の隅に、背の高い男が立っている。

 その手の先には人の体があった。しかし、その頭は異様に小さかった。


「お?なんだよ。もう来たのか。でも遅かったな。残念。あんた達はいつも後手後手だ」



 背の高い人影が手を放す。高級そうな背広の身体が崩れ落ちた。バチャ、と水音が響き渡る。

頭が溶け崩れた体の側には、髪の毛や歯、そして細かな肉片が散らばっていた。その中には舌が溶けてちぎれ落ちたものまである。


「そうがっかりするなよ。良かったじゃないか。仕事が減って」


 白いパナマ帽を被り、仕立ての良い背広の上に薄い上着を羽織った、俳優のような二枚目の男だった。髪は金色で、色合いからして染めているわけではないとわかる。

 青い目の白人の男。少し発音がおかしいが、日本語だった。


「……」


 翠が何も答えないでいると、男は苦笑した。そのままけらけら笑って、足元の肉片を爪先で蹴る。


「こいつら、何の話してたか知ってるか?中国のやつらの次は、新しい縄張りでコカインをどう売るかだってさ。面白いよな?こいつも、脳みそをとろけさせた事はあっても、自分がされんのは初めてだろ。なあ」


 男の下がった両手の表面から、ゼラチンのような透明の膜が溢れだし、彼の丈夫そうな手全体を覆っていく。

 部屋に入った時から感じていた異誕の気配が一気に強くなった。


「どうだろう?脳みそ溶かされんのって気持ちいいのかな?あんたは丈夫そうだから、きっと感想教えてくれるよな?」


 二人が同時に動く。翠のフルオート射撃をかわしながら、相手もこちらに突っ込んでくる。両手を翠に向かって突き出すと、そこから球状の溶解液が放たれた。翠はそのまま横に走り、弾幕を張りながらデスクの上に飛び上がる。弾丸が部屋のあちこちに突き刺さった。

 さっき避けた場所の後ろの壁には、虫に喰われたような大きな穴が空いていた。相手が片手を振る。その先から、溶解液の飛沫が飛んでくる。

空いた手で拳銃を取り出して撃ち続けた。男が難なく弾丸をかわし、距離を詰めてきた。球状の溶解液が目の前に迫ると同時に、翠は引金を引いた。



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