第十三話 西部戦線異誕アリ case6

 人口の光に彩られた繁華街は、帰宅ラッシュの時間帯を過ぎても、いまだに人通りが多い。背広や作業着の男性、派手な服の女性。

 

今は午後九時過ぎだ。ところどころ東京と比べればずっと地味で自分が住んでいた場所と比べればずっと綺麗なネオンが輝き始めている。さまざまな店舗やオフィスが集まって、雑多だが落ちついた雰囲気の街を形成していた。

店舗が立ち並ぶ賑やかな通りを歩いている自分よりも小柄な制服姿の男の子や女の子達が目に入り、白翅は少し驚く。


「……ああいう子達って補導されたりしないんですか」

「ああ。きっと塾の帰りだろう」


 教育熱心な親たちは増えているからな、と不破が答えた。彼女ももしかしたら、ああいう子達の一人だったのだろうか。


(みんな、お仕事や学校が終わったらすぐ帰る人ばかりじゃないよね……)


 白翅は塾に行かず、寄り道せずに帰っていた。だから白翅は夜の街を知らない。


「部活かもしれないね。みんないろいろ忙しいんだよ」


 翠は口の端に笑みを浮かべながらも、目線はビルから離していない。


「……そう、だね」


 白翅達は新神戸国際展示会館の建物の陰に車を停め、周囲の様子を伺っていた。

 先ほどから不破は、無言で双眼鏡で目標の建物の様子を伺っている。二百メートルほど離れた所に幅の広い車道が見え、その向こう側に、真新しい七階建てのビルが建っている。

周囲のビルにはところどころ所有者が間借りさせている店舗の看板が出ていた。

 その建物からはちょうど車内は死角になっている。

「大江クリーニング」と書かれたそこは、コインランドリーやクリーニング店のチェーンを展開する会社だ。関西、関東ともに支店を持っているらしい。警察の調べによると、歴史は浅いが、売上を順調に伸ばしているとのこと。


 ここ数日の捜査への同行で、さすがに眠気と疲れを感じたが、口には出さなかった。自分は丈夫さだけが取り柄だと思っているし、翠に弛んだ姿は見せられなかった。暴力団絡みの事件に関わった事は初めてだった。翠によると、暴力団が異誕生物や、魔術を扱う犯罪者に関与すると分室が駆り出されるらしい。

 不破が双方向無線で他の車両と連絡をとっている。現在、どこも異常なしだった。


 白翅達分室のメンバーは地元警察の協力を得て、慣れない夜の街を奔走し、犯人たちの潜伏先の手がかりとなる場所を探した。そんな中、ある知らせがもたらされた。

 海野会の重鎮やその補佐役、部下たちが警察の監視の目をかいくぐり、少しずつ姿を消しているというのだ。暴力団対策課のメンバー達がその部下たちを締め上げても、情報はでてこなかった。どうやら一部のメンバーしか知らない場所に行ったらしい。他の者達に告げず。

 今回の事件と何か関係があるに違いない。そう推測した兵庫県警は地の利を徹底的に活かし、さらに不破は犯罪組織がらみの公安のネットワークを活用して、ある事実を突き止めた。


『大江クリーニングはおそらく、神戸海野会のフロント企業だ』


 捜査本部の会議室で、波多野と共に書類の束を抱えて現れた不破はその事実を告げた。


『海野会は元々、清掃業者を中心にあちこちにフロント企業を持っていた。資金源や裏金を隠すために使ったり、後は税金対策だな。しかし、暴対法制定後に警察の締め付けが厳しくなると今度は警察の資金の差し押さえを逃れるために、フロント企業の偽装に力を入れるようになった。それでまずい金の流れも隠せるというわけだ』


 波多野がその後を引き継いだ。


『そこの社長は香本潤こうもとじゅんというんですが……十年ほど前、大阪にいたある若者が、海野会とうまくやっていた半グレ組織に属していました。その時仲が良かったのは、大阪にある海野会の下部組織でしたが』


 半グレの中には、今時暴力団も恐れずに諍いを起こす者もいるが、逆にうまく暴力団とのコネクションを利用して、対立する半グレを牽制しようとする者もいる。香本はそんなメンバーのうちの一人だった。


『頭の切れるヤツで、暴力団から援助を受けて留学まで行ってる。アメリカのシアトルだ。その後、現地で行方不明になっている。記録上はだが。当時から暴力団対策課にマークされていた。が……』


『かなり突っ込んで調べたところ、そいつは身分と名前を変えて、日本に帰ってきていたことが分かった。そして、その後も足取りを追った。すると、この神戸に行き着いた。そしてさらに周辺を調べた……すると、どうもその若者は香本潤と名乗っているらしいと判明した。秘密裏に海野会と関係を持つにはもってこい人間だ。早い話が、こいつが海野会を手助けして何かしようとしている疑いがある。こいつの周りだけ、資金の流れが多い。そして、最近まで警察に存在を気づかれていなかった』


『そしてもう一つ。上海側の組織のトップを突き止めました。今回の連続暗殺事件の黒幕はおそらくこいつです。何人か候補はいましたが、この街で最も防犯カメラや目撃情報で確認された回数が多い人物です』


 波多野が人差し指を立てて、一枚の写真を背広の内ポケットから取り出し、メンバー達の見える位置に置いた。


 そこには粗い画質で三十代前半ほどの男が映っていた。カメラの映像をプリントしたものだろう。白いシャツにストライプの入った紺の背広。ネクタイは洒落たデザインのものだった。整髪料を丹念につけて整えたようなオールバックの髪。表情は不敵そうだ。


『焦 徳昇チアオ・ターション。今回の暗殺を計画したと思われる上海の組織、星未幇シンウエイパンのいわば日本支部長です。

 日本の暴力団で言う、会長格の人物の血を引いています。日本に渡ってきたのはつい去年です。数字に強い男ですが、血の気も多いらしい』


 日本支部のボスが代替わりしたことが原因で、手段も過激化したということだろうか。暴力団のことは分からないが、前の支部長はそれほど欲深くなかったのかもしれない。


『インテリヤクザっていうやつですよね?あんまり抗争とかしないイメージですけど……』


 椿姫が写真を手に取った。茶花が頬が触れそうなほど近くで覗き込む。


『それくらい、縄張りを奪うことがヤツらの利益になるということです。焦は経済の流れをうまく把握しているので、抗争の資金も調達しやすい。幸い、公安とも協力してなんとか資金の流れを突き止めました。で、今回の抗争の計画にたどり着いたわけです』


 淡々と波多野は述べていく。口調は丁寧だが、迫力があった。


『姿を消した連中は、ことによると、香本と共に報復を計画しているのかもしれない。このまま海野会が黙っているとは思えない』


『資金を集めて、そのお金を元手に上海の組織に復讐しようとしている……?』


 翠は首を傾げながら不破に尋ねた。


『そうだ。一番資金を隠しておける場所が香本の口座だ。正確にはその会社の』


 香本の会社の支店は、シアトルにもあった。海外ともコネがあるらしい。まだ警察が把握していないコネがあるかもしれない。


『香本をマークする。もし、やつが何か計画しているなら重鎮やその部下たちが何か連絡を取るかもしれない』



『質問ええでしょうか』


 小夜香、というおでこの広い少女が手を上げた。神戸の魔術士らしい。今回の件を一任されているという。他の家の者は専門外だとはぐらかしているという。白翅は理不尽に感じた。


『なんだね、小夜香くん』

『うちらが今回戦わなあかんのは、中国の魔術士と異誕の殺し屋なんでしょ?日本のヤクザを先に止めてどないするんです?そいつらがなんか計画しとったとして、その現場を抑えて牢屋に入れても、中国のヤクザは倒せんと思うんですけど』

『その通りだ。だからマークするんだ』

『どういうことです?』


『茶花は分かります』


 ぼんやりとした口調で茶花が答えた。


『なんでやの?』

『つまり、漁夫の利なのです』


 薄い胸を張りながら、茶花が答えた。椿姫が本当にわかっているのだろうかと怪訝な顔をしている。


『シカとウシが争っていたら、二匹が弱ったところを捕まえればホクホク、ということです』

『……たとえが全然ピンとこんけど……』


『ところどころ違うが……』


 不破が耐え切れなくなったように口を挟んだ。


『あまり君達にはなじみのない話だが、闇社会の情報網というのは警察をも凌ぐことがあるんだ。つまり、大掛かりな報復を計画しているのならば、海野会は我々も掴んでいない、星未幇のアジト、それも支部長がいるような場所を知っている可能性が高い。事実、重鎮たちが全員動いているんだからな』


『それで暴力団が動いたところを、尾行して上海の組織の拠点を見つけるってことですね』


 翠の答えに、二人の警察官僚が頷く。


『その通りです。そして、できたら両方とも潰したい。成功すれば、神戸はだいぶ浄化される』

『明日から周辺で張り込んでもらう。戦力の増強のため、分室の君たちも全員近くで待機だ。また、別の場所で殺し屋共が暴れた場合、すぐに対応を頼むぞ』



 ……そして二日経ち、今に至る。


「動きがありませんね。ほんとに、暴力団の偉い人たちが来るんでしょうか?」

「……わからん。警戒しているのかもしれない」

「……異誕、見つけられなかったね」


 ぽつん、と白翅は声を出した。


「そうだね。なんでかな?」

「警戒されたのかもしれんな。神戸と京都の二人が現場に出て、交戦しただろう。あの話が伝わって、上海の連中は様子を見ているのかもしれん。だとすれば、面倒だな」


 不破がエナジードリンクを口に含んだ。甘い匂いが車内に広がった。

 白翅は自分用の双眼鏡をそっと覗き込む。窓から見える景色は変わらない、人通りは相変わらず多かった。

今日まで、何度も覆面車両を乗り換え、メンバー達と交代で見張りを続けている。

が、成果はなかなか上がらない。


分室のメンバー達と、京都、神戸出身の魔術士の女の子達は他の候補地や、揉め事が起こりそうな海野会の縄張りを調べている。昨日まで白翅達が担当していたことでもあった。後六時間ほどで交代だ。


 大江クリーニングの前を通る車はまばらで、ビルの駐車場に入る車も無い。社用車が何台か止まっている程度だ。

 安全運転で、国産の目立たない落ち着いた色合いのワゴン車が路肩に止まった。

 歩道に、背の高い男がゆっくりと降り立つと、まばらな通行人のそばをゆっくり通り抜けた。そして、そのままうつむき加減で歩きだし、七階建てのビルのすぐそばを歩き去る。


「……あ!」


 ぞわっと白翅の背筋が寒くなった。隣の座席の翠が首を傾けて、窓から外をのぞいた。それからは一瞬だった。男は十メートルほど離れたところで立ち止まると、男はさっと顔を上げ、いきなり跳躍すると、近くのビルの外壁をものすごい勢いスピードで蹴り登りはじめた。


 翠が小さく叫んでボルスターに手をやるのが、気配で分かった。


「なんだあいつは!」

「不破さん、あいつ異誕です!気配でわかります!」

「クソっ!捜査本部へ通達!聞いているもの達はすぐに対応を!殺し屋が出た!」


 不破が叫んで無線にとりつく。白翅は翠と共に車外に飛び出した。


 男はすぐにビルの屋上に到達すると、屋上の手すりを蹴り、大きく跳躍する。そして横に転がるような動きで隣のビルの屋上に到達し、どんどん屋上から屋上へと飛び移り、最後には大江クリーニングの壁に到達する。壁を蹴り、最上階の窓を簡単に破壊すると、中に侵入した。

 白翅は自分の拳銃K100を素早く抜いた。すでにSIG226 を構えている翠が先を走っていく。


「先に行くね!」


 目にも止まらない速さで人が少ない箇所を走っていく。自分の体質は、自分に生命の危機が迫らないと身体機能を向上させられない。だから、今の自分の速さは翠の半分以下だ。赤信号を無視して、車を避けながら走っていく。


「うわ!危ないな!」


 大きなカバンを持った茶髪の中年女性が悲鳴を上げる。


「何や?」

「さっきの女の子、ピストルもってた……?」

「エアガンでしょ?」


 いくつかの言葉が耳に入る。翠の小さな背中が大江クリーニングの前で急に立ち止まった。


 近くの広場で座っていた男が手に何かを持ってビルに足早に近づいている。

 大江クリーニングの向かいに立つオープンカフェから野球帽をかぶった中背の人影が、周囲の建物近くから現れた複数の男女が素早い動きでビルの前に姿を現した。


 息苦しい。心臓の鼓動がすごくうるさい。とにかく翠の近くに行くことしか考えていなかった。なぜなら。


『……!』


 耳の中にはめこんだイヤホンに、翠が息を飲む気配が伝わってくる。

 ジーンズとフランネルの縞の入ったものを着て、足にはスニーカーと言った軽装の男が、いつの間にか現れ、翠のすぐ近くを通り過ぎようとした。ビルを見上げ、しばし迷ったのち、翠が男を見据えた。ようやく追いついた。ビルの前にばらばらに集まってきた人々の視線が集中する。

 緊張が背筋を駆け抜け、ドクン、と鼓動が激しくなる。体中を流れる血液の濃度が濃くなったような感覚があった。

 フランネルの青年が鋭い眼光が翠を見据える。両手で翠が拳銃を男に向けた。


『動かないで!』


 距離が近くなれば、自分以外に向けられた殺意も白翅は敏感に感じ取ることが出来る。かつて白翅が地元で巻き込まれた殺人事件の時のように。あの時、窓から殺した知人を放り捨てた男が相手を殺す直前の殺意を感じ取った。だから、白翅は同級生の安西の腕を掴んで止める事ができた。


 青年は、一般人に上手く擬態したつもりのようだった。しかし、男は明らかに普通ではない速度で現れた翠に。

この場で一番強い殺意を向けていた。


『貴様……』


 青年が低い声で何かを呟き、素早く身構えた。

 集まってきた一人の女性が、するりと上着の内ポケットに手を突っ込み、前に歩き出した。

 その瞬間、瞬時に照準を合わせ、女の心臓めがけて白翅は二回引金を引いた。

 破裂音のような銃声が、街角に響き渡った。





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