第十三話 西部戦線異誕アリ case4

「遠路はるばる、ようこそお越しくださいました。警察庁特務分室の方々ですね?」


 バスを乗り継いで一時間。

 翠達が通されたのは合同捜査本部ではなく、本部が設置された隣の小さな会議室だった。窓も小さく、四メートル四方の正方形の部屋に、四つ組み合わせた事務机を囲むようにして、六つのパイプ椅子が置かれている。

 ここは、かつて「神戸市警察署本部」だった建物だ。地味な色のタイルで固められた壁は異国の匂いをほんの少しだけ感じさせた。


 ホワイトボードの前に立つのは、捜査本部でさっきまで指揮をとっていた波多野管理官だ。所属は兵庫県警本部の生活安全部暴力団対策課。

 かなり若い。おそらく三十五歳前後だろう。肌も若々しい。そしてきちんとしたスーツを着込んでいる。貿易会社の社員のような見た目だが、彼の目つきはカミソリのように鋭かった。


「はい。確かに。分室長の不破です。お初お目にかかります。今回はどうぞよろしく。

 お恥ずかしい事ですが、なにぶん、不慣れな土地ですので、ご助力いただくことになります」


 不破が口元を緩めた。不破は翠達とは別のルートを使って所用を済ませてから来たらしい。彼女はいつ寝ているのか翠は心配になった。


「いいえ。こちらも力を貸していただくという事に関して、立場は同じです。

 こちらも本件に関しましては、「専門家」の方々の人手が足りず、閉口していたところで、お互い様です」


 警察は縄張り意識が強く、地方ごとに分断が大きい傾向がある事は、翠も学んでいた。

 が、今回は例外ということらしい。

 不破が壁際に立つと同時に管理官が説明を始める。事前に簡単に不破から聞いていた内容よりも詳細だった。


「上海系の犯罪組織が関西圏で暴れているところまでは既に知らされているとは思いますが……今回は早急に手を打つ必要があります。上海系の連中の相手は神戸に本部を持つ、神戸海野会です」


 元々、今回警察からマークされている組織は、八十年代に日本に渡ってきた時から、関西系暴力団と小競り合いを続けていた。時に小規模な抗争もあったのだという。

 しかし、二年前、強い権力を持つ海野会トップである前会長が病死し、海野会内部でも対立が目立つようになった。現代になると、下部組織の数も増え、組織の経営方針で揉める事も多くなっていったのだという。実際、何度か内部抗争も起こり、死者も出ている。


「そのさなか、今回我々がマークする上海系組織も別の組織に吸収され、トップが変わりました。そのあたりからやり口がどんどん過激になっていっています」


 二つの組織の対立は激化した。翠も少しかじった程度だが、海野会の内部抗争には暴力団対策法が関わっている。この法律は何度も改正され、暴力団に対する規制は厳しくなる一方だ。そのため、日本では多くの暴力団が弱体化している。

 海野会も例外ではなかった。そして、弱った隙を突かれたのだ。


「海野会は腐っても、関西指折りの暴力団です。近畿一帯に広い縄張りを持っています。上海の連中が狙っているのは間違いなくそこの売り上げでしょう。しかし、海野会も黙ってはいなかった。海野会は組織の一部を少しずつ看板無しヤクザへと変えていました。そこでフロント企業や非合法の商売を行い、着実に資金源を増やしていたのです。これで、上海系の連中とも資金面で渡り合えるようになりました」


 後は聞かなくても分かる。財力で海野会を倒すことはできなくなった。それでも、縄張りを奪いたい。なら、実力行使しかない。


「看板なしヤクザ?」


聞き慣れない専門用語に翠が首を傾げると、不破が補足した。


「いわゆる、地下組織だ。ヤクザが看板を下ろして、その組織はもう無くなったことにする。が、かなり後で一部のメンバーが合流して、新しい組織になる。こうすることで、組織の実態を警察が把握しにくいようにするんだ」


ヤクザもいろいろ考えているらしい。それなら、合法的に賢い商売でもすれば良いのに。


「そこで、今回の事件です」


 一か月前、大阪梅田にある劇場で観劇していた、海野会の重鎮夫妻が殺害された。現場に来ていた他の観客も巻き込まれていた。死者は二十六名。


「現場写真は見ない方がいいでしょう」


 現場は凄惨なものだったという。広いホールのあちこちに濃硫酸のような溶解液がまき散らされ、それが犠牲者たちの身体を爛れさせ、死に至らしめていた。

 瞼の裏に最悪なイメージが浮かびそうになるのを翠は懸命に堪えた。

 そのあまりに異様な現場から、京都、神戸の魔術士に依頼がなされ、異誕事件と認定された。しかし、本来であれば、そのまま地元で完結するはずだった事件はどこまでも拡大していく。


「その後も、海野会の他の重鎮や、下部組織のトップが殺害されていきました。他には、違う手口で、鋭利な刃物で身体をバラバラにされるといったものです。こちらは、異誕の気配は出ませんでした。しかし、京都神戸の御二方によると、魔力の反応が出ました。犯人は魔術士、です」

「世も末ですね。魔術士と異誕がコンビを組んでヤクザの抗争に参加か」


 椿姫が不機嫌そうに言った。叶と小夜香は驚いたような眼を椿姫に向けていた。



「ええ。まったくです。私も刑事部長と本部長から伝えられるまで信じられませんでした。ですが、もう認めるしかありません。普通の人間にこの犯行は不可能です」

「犯人は、ほんとに上海の組織のメンバーなんですか?」

「調査中です。ですが……殺害された被害者達の顔ぶれから、ほぼ間違いないでしょう。そして、少なくとも上海の組織に専属で雇われているメンバーではない」


 波多野が断言する。不破がでしょうね、と言葉を続けた。


「構成員にそんな戦力が元からいたなら、もっと早く動いているはずだ。今回の実行犯は外部の戦力だ、ということでしょう」

「おそらく殺し屋のような連中です。現場付近の情報も照合してますが、上海のメンバーがヒットしない。我々が把握していない犯罪者でしょう」


 その後も抗争は拡大し続けた。海野会が報復に動き、上海の組織のフロント企業にトレーラーで突っ込み、大口径の拳銃を乱射して何人も殺害したのち、袋叩きにされて死亡した組員までいるらしい。さらに、そのチンピラのたまり場にバイクで走行しながら爆弾を投げ込んだ猛者までいるという。それに対する報復で、海野会の麻薬の売人グループが盛り場で、店内の客ごと自動小銃で殺害されるという事件まであった。


「先日、派手に暴れとる現場があったから、噂の殺し屋が現れたんとちゃうか、と思って、刑事さんたちと同行したんや。けど、行ったら、でかい銃持ったオッサンらがヤクザと撃ちあっとるだけやった……銃撃戦に巻き込まれてな」


 不服そうに、小夜香がぼやく。真ん中で分けた前髪からのぞく、少し広いおでこを爪で掻いた。頬には湿布が貼ってある。


「大丈夫なんですか」

「軽くぶつけただけや。けど、流れ弾で携帯が潰れた」

「ちなみにあたしはそいつの股間を潰した。女子供に銃向けたらそれくらいはしていいだろ」


 叶が長い脚を勢いよく組んで叶が言った。

 こほん、と波多野が咳払いする。


「今回は、危険人物が何人も参戦してきている上に、銃撃戦になることが予想されます。そこで、異誕犯罪にも銃撃戦にも優れた特務分室の方々に応援を要請したというわけです」

「長官も関西の闇社会の浄化には関心がおありのようでした。これを機に一気に畳みかけるとしましょう」

「ええ。今は検挙したメンバーから情報を引き出そうとしているところです。明日にでも、殺し屋たちと上海の連中がコンタクトをとりそうな場所を重点的に調べていきましょう」


 波多野がきびきびとした口調で告げた。

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