第十二話 在りし日の花 case21

 椿姫は隣の茶花と共に、すえた匂いの漂う裏路地のアスファルトを、ランニングシューズを履いた足で音も無く進んでいく。

 営業時間を終えたコンクリートビルの谷間を抜けると、一人の男が硬い地面の上にうずくまるようにして座っていた。

 ここからでも漂ってくる悪臭から、その男が嘔吐していたのだと分かる。しかしそれは、体調が悪いわけではないだろう。


「中尾雄介!」


 後ろ声を掛けると、男が油の切れたねじのように歪な動きで、ゆっくりと首をこちらに向けた。頬骨が出て、眼がやたらとぎらついていた。

 間違いなく、探していた人物本人だった。


 事件発生から二日後。不破たちの捜査により、犯人がハシゴにしていたバーが複数特定できた。そこで、男が座っていた席で指紋の採取を行ったところ、警察庁が管理するビッグデータの中に、同一人物のものと疑われる指紋が記録として残されていた。それを指紋鑑定官たちが照合した結果、同一人物のものと判明。そこから、犯人の個人情報が芋づる式に判明した。


 その男、中尾雄介は殺人犯だった。裕福な家庭で使用人をしていた母親と共に、部屋を与えられて住んでいたが、母が病気で亡くなると、そこを出て養護施設に入った。だが、かつて暮らしていた屋敷での生活との落差に、徐々に疲弊した彼はだんだんかつての母親の雇い主たちに、怒りを募らせたのか、ある日強盗に入る。


 しかし、侵入したところを見つかり、抵抗されたため逆上し、その家の主人夫妻を殺害後、留守番していたそこの長女にナイフを突きつけ、金庫の暗証番号を喋らせようとした。しかし、彼女は暗証番号を知らなかった。そのうち、異音を聞きつけた近隣住民が様子を見に来たため、玄関口に来ていた住民と長女をまとめてナイフで突き刺し、少額の現金と宝石を持って、捜査の手が回る前に逃げ出した。その後は消息不明。今から八年前の事である。幸いにも、長女が一命をとりとめたため、犯行が発覚した。


その後、捜査一課の聞き込みで、都内の公園をあちこち渡り歩き、ホームレスをしていた事が判明した。そして、彼の宿泊先を聞き込みして突き止めると、近くの店で食事をしたところを、帰る途中で待ち伏せていたのだ。


 事件当時の写真を見る限り、かつてはとても痩せていた。ヒョロ長い……というほど背が高かったわけでもないが。それと比べると、今は明らかに肉付きが良くなっている。しかし、少しも健康そうには見えない。いい太り方で無いことは確かだった。


「やめなさいよみっともない。あんたがとったお金で食べたんでしょ?申し訳ないとか思わないの?人のお金を使って、吐くほど食べて飲むなんて、本当に図々しいやつね。卑しいわ、アンタ。あたしが見てきた中ではトップランクの守銭奴よ」


この上なく冷ややかな目つきで相手を睨みつける。それに相手の粘ついた視線が重なった。


「んだ、テメ。お前が俺の何を知ってるんだ?」

「知っているわ。何もかも」

「サツか?テメェ、いや、違うなこのガキ。手先か?サツのパシリか?あ?どこまで知ってる?」

「アンタが人殺しだってことまで知ってる」


 中尾が歯を剥きだした。今にも唸り出しそうだ。


「そしてそんなアンタは前ほど若くなくなった。だからある卑怯者から特殊な認識票タグをもらって、犯行に及んだ。

 自分より弱い人は殺せても、武装した警備員と戦う度胸は無かったから。そうでしょ?返事を聞かせなさいよ。おとなしくするなら大怪我はせずに済むわ」

「わかった、わかったよ」


 ふらふらと顔を紅潮させた中尾が立ち上がった。


「俺は、テメェを今からぶち犯して殺せる。そういう事だろ!?パーティーだぜ今夜は!」

「やっぱり分からず屋だったわコイツ!茶花、援護を!」

「呼ばれずとも!」


 近くに置いてある古びた空調機が、急に大きく動いて宙に浮かんだ。その近くのゴミ箱や、転がっているネジまでがその後に続く。手を使わず物物を動かす、念動力。

一斉に飛んでくる障害物を魔力の障壁を作り出して、すべて弾き飛ばす。茶花が素早く大鎌を呼び出し、手元に引き付けた。闇の中に、鎌の刃が鈍くきらめいて、高速で宙を走った。

 ゴミが弾かれて飛んでいき、空調機がコンクリートに激しくぶつかり、真っ二つになって散らばった。椿姫は炎の渦を放ち、反撃に出る。

 驚愕の叫びをあげながら、中尾はビルの壁を蹴り、壁面をよじ登ると、あっという間に向かいのビルの屋上に消えていく。認識票タグの力で身体機能が向上しているのだ。


「茶花!すぐに追うわよ!」

「化物のニセモノには負けませんのです!」


 椿姫の腰に茶花が手を回し、脚のバネを活用して、一気に跳躍し、ビルの壁面を三角跳びで蹴りつけ、昇っていく。耳の近くを風が通り抜けた。ニセモノ。そうだ、その通りだ。奴は異誕ですらない。その力を使っているだけの人間だ。


 何より他人の利益を無理やりとりあげて、喜ぶ醜悪さが許せない。自分が得をすることしか考えていないという点では、人食いの化物達と同じだった。

 彼は他人から貰ったタグを使って、躊躇いなく凶行を繰り返していた。その醜悪さは、椿姫が異誕を討つ者として見過ごせないものだった。



 追跡の果てに、敵は撤退した大きな雑貨屋の跡地に、塀を飛び越えながら侵入した。いつまでも追いすがってくる椿姫達を排除するために、大きく肩を上下させながら、中尾が中に飛び込んでいく。奥に走りこむ中尾を拳銃で追撃しながら、茶花と二人で突入する。

 打ち放しのコンクリートが剥き出しになっている、その部屋は工具や古びた家具などの商品がそのまま放置されて転がっていた。


「俺の力を見せてやる!俺のーーーーーーー力アアアアアアーーーーーー!」


 廃屋の中にある古いソファーや角材、そしてバールなどの工具が一斉に念動力によって飛んできた。椿姫が術式を編み、半球上の魔力の防壁を出現させた。工具が弾かれ、あさっての方向に飛んでいく。


「ワンパターンなやつね!」

「弾いたら終わりじゃねえっつの!終わりじゃねえっつの!」


 調子の外れた声で中尾が叫び、弾かれた工具に、どんどんと障害物を新たに追加して投げつけてくる。茶花と椿姫は並走し、一気に加速して走り出す。


 魔力で肉体を強化した椿姫が茶花と横に並んだ。障害物を炎弾を次々にぶつけて撃ち落とし、取りこぼしを茶花が大鎌を閃かせて叩き落とした。少女の身体に見合わない膂力で、飛来した物体全てがあっという間に叩き落とされた。ひたすら走る。距離をすぐさま詰めると、椿姫が中尾の足元に炎弾を放った。それを横に飛んでかわしたところを、椿姫は、魔力のよってブーストされた脚力を活かし、跳躍かのように走って距離を詰める。顔面目掛けて裏拳を放つ。相手が腕を振ってガードした。


 間を空けずに、茶花が鎌を振り回して接近する。中尾は必死にそれを避けながら、背後に回り込もうとした椿姫を障害物を再び投げつけて牽制した。飛び上がった茶花が回転回し蹴りを放つ、頭を下げてかわしたところを鎌を振って足元を切り付けるように茶花がフェイントをかけ、怯んだところを椿姫の炎が襲いかかる。

 ヤケになった相手が念動力で投げつけてくる障害物を、茶花は片っ端から叩き落とした。


「ちぃっきしょうがあああああああ!」


 激昂する中尾が地面に転がって炎弾をかわす、茶花は飛んできた飛来物を避け、こちらに向かって突っ込んでくる鉄パイプを真っ二つに切断し、大鎌を回転させて投げつける。中尾がその場から飛び退いた。

 ガキン、という硬い音を立てて壁に鎌が突き立ち、ビリビリと振動する。


「ばーか!自分の武器捨てやがって!」


 下品な笑い声をあげながら、中尾が鎌に念動力をかけて操ろうとする。大鎌を投げ返そうというのだろう。しかし……


「ハァ?」


 次の瞬間、鎌は跡形もなく消え失せていた。そして、鎌が茶花の手元に戻っているのを見てさらに呆けた顔になった。

 その隙に椿姫が火炎放射のように炎の渦を発射する。


「うひゃあああああああ!燃える!燃えちまう!俺が燃えちまうウウウウうう!」


 全力でその場を逃れようとする中尾が、炎の軌道上から逃れようとがむしゃらに走り出した。


「逃がしませんよ。ドロボウさん」

「強盗だっての!」


 茶花が床の上を跳躍しながら移動し、中尾の身体が壁の近くに来た瞬間、動きを牽制するために絶妙なコントロールで鎌を投げつけた。壁の近くスレスレを飛んだ鎌に当たらないために、思わず急ブレーキをかけて止まり、後ずさった。さっと振り返り、必死の形相でまた近くのものに念動力をかけようとあたりを見渡した。


「逃げるのがヘタね。アンタ」


 椿姫の姿が間近に迫っていることに気づいた中尾が驚愕に目を見開いた。思わずストレートで拳を突き出した中尾の攻撃をギリギリでかわし、カウンターで強烈なボディブローを右手で腹の真ん中に放つ。


「はぐっ」


 さらに左手に炎弾を生成。先ほど殴ったのと同じ箇所に思いっきりぶつけた。


「ごがあああああ!」


 内臓が確実に破裂した手応えを感じ、一気に椿姫は畳み掛ける。


「仕上げよ!」


 振り回された手を弾き、鳩尾にミドルキックを打ち込み、顎を掌底で力強く跳ね上げ、下がってきた頭を渾身の力で肘打ちする。

 床のコンクリートに、中尾は顔面から叩きつけられた。

 鼻が潰れ、血が床に滲んでいく。そして、椿姫はその後頭部をサッカーボールのように蹴り飛ばした。


「良かったわね。殺されなくて」


 椿姫はパンパン、と手を払った。

 身体の中央から血と共に、鈍色のタグが飛び出し、地面に耳障りな音を立てて転がった。


「お疲れ様です」


 茶花がトコトコと近づいてくる。椿姫が右手を上げる。茶花も右手を上げた。


「あんたもね!」


 ハイタッチがかわされる。ぱしん、と小気味のいい音が響いた。


「これです。これ」

「何がよ」


 この感触が好きなんです、と茶花が言った。


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