第十二話 在りし日の花 case20

 港区六本木の繁華街は、不破にとってはなじみの薄い場所だった。色とりどりのネオンが寝不足の目に眩しい。

 光球店から外れた通りには、メジャーな全国チェーンの居酒屋や、コンビニ、カラオケボックスが立ち並んでいる。しかし人通りが多いのはどこも同じだ。


「もうじき着きますよ」


 前を行く矢島警部が振り返って声をかけてきた。年齢が二十以上違う相手に敬語を使われる感覚はどうも慣れなかった。矢島警部は警視庁捜査一課で頻繁に異誕事件に関する捜査を受け持ってくれている。殺人犯八係の係長。通常、異誕事件が起こった時は分室の捜査員たちと合同で捜査を進めることになっている。その時の縁で、よく顔を合わせる人だった。


「情報が集まる所といえば、やはり酒のある場所ですか」

「口が軽くなりますからねえ。軽くするために来てるってのもあるんでしょうが」

「よくそこに飲みに行くんですか?」

「いやあ、俺は基本家で飲みますよ。余計な事を言いたくないんでねえ」


 矢島は頑丈そうな角ばった顎を持ち、人相はあまり良くない。ごま塩頭の髪型は入庁以来変わっていないそうだ。彼は『妊婦殺し』の楠原芽衣の事件の捜査にも関わっていた。楠原を銃撃したのは彼の部下だった。確かその時は、自分じゃなくて良かったかもしれないと言っていた。

 自分なら殺してる、とも。不破もそれには同意できた。


 やがて、広い駐車場を持つ、ビリヤード場にたどり着く。堂々と表から入ると、そのままバーのあるコーナーへ向かっていた。カウンターのあるブラックライトポスターの貼られたコーナーは色とりどりの照明が弱く絞られ、あやしげな雰囲気を醸し出していた。かなり多くの客が入っていたが、彼らは皆、静かにグラスを口に運んでいた。


「よう、やってるかい」

「ここに、そのセリフと共に入ってくるにはあなただけですよ」


 バーテンの若い男が笑顔で応対する。脱色した髪と端正な顔立ちが、まるでホストのように見えなくもない。体つきは女性的にも見えかねない顔立ちに似合わず、がっちりとしていた。


「注文をお聞きしたいのですが、答えは決まってますね」

「悪いが」


 矢島が表情を緩めた。


「勤務中だ」

「お連れの方もですか?」

「この人はなおさらだ。警察庁のキャリアだぞ。こいつは、昔ボクシングやってたんです。といっても、やめちまって、その後タチの悪い連中と色々ね……」


 上品な物腰といい、とても元ボクサーには見えない。矢島警部の話によれば、彼は八百長がバレて追放された先輩の後を追って、その男と共に暴力団の用心棒をしていた事があったようだ。一度逮捕された後は足を洗っている。

 そして今はここに勤めている。暴力団自体も解散してしまったが、今はかつてのネットワークを使い、警察の役に立っていた。すなわち、闇の世界の情報屋だ。


「前会った時よりも、体格良くなってないか、お前」

「さすがにこの仕事はあまり動きませんので。運動不足を解消するのに最近は趣味で登山をね……」

「登山か。冬山は気をつけろよ?遭難しても、いかに天下の警視庁に俺がいるとはいえ、他県の山岳救助隊にまで、俺が便宜を図ってやれるかわからんぞ?」

「いえいえ。こちらも慎重なんで。それに、身体を温めるものはたくさん持っていってますから」

「そうか、なによりだ。ところで、本題だが……最近、飲み屋や盛り場でやたら金遣いが荒い男はいないか?東京の繁華街付近でだ。ギャンブルの会場でもいい」


 不破がついに本題に入った。


「身長は百七十五センチ前後。肌は色黒、おそらく上品な雰囲気ではないはずだ。鼻の形はどちらかと言えば高いほうだ。目は一重で、茶色がかった黒。全体的に痩せていて、顎は尖っている」


 防犯カメラの映像を解析して得た、目出し帽の男の特徴だった。バーテンの男は、それを聞いてしばし考えこんでいたが、


「同業者の情報っていうのはね、よく入ってくるもんなんです。確かに条件に一致する男が」

「よくわかるな」

「記憶力が良いんです。あちこちに現れてますよ。六本木にはもういません。その次は銀座と場所を変えて飲み歩いています。何をやったんです?」

「銀行強盗だ。最初の事件は四日前。その二日後に二件目をやった。何か高価なものでも買おうとしてるか、よほど金がいるらしい」

「そりゃまた豪勢なこったな」

「いささか、時代錯誤な飲みっぷりですね。それほどまでに鬱憤が溜まっているのか……。やたら金を使うようですが、いい酔い方ではないようです。身なりもかなりいいとのことです。ただし、全く似合っていないらしく、そこも胡散臭いところだったとか。犯人でしょうか」


 バーテンが眉を曇らせる。これは服屋も調べる必要がありそうだ。


「くそ、酒の話ばっかり聞いてたらこっちまで飲みたくなった。勤務中なのが身に堪えるよ」

「お飲みになればよろしいのに。そちらの女性のお二方も」


 にやりと笑って矢島が言う。


「今度は俺たちの弱みを握ろうってのか?そうはいかねえよ」

「バレてしまいましたか」


 そう言って笑い合う。刑務所から出たばかりの時、矢島はよく食事を奢ったりしていたらしい。当時の彼は組織犯罪対策部で、暴力団関係の捜査に関わっていた。

 もちろん冗談なのだろうが……不破の公安歴は長い。もちろん、矢島の刑事人生と比べれば半分以下の年数ではあるのだが。


 公安警察官の常として、仮想敵国の諜報員に内通者を作ることや、時として苛烈な取り調べを行うこともあった。ましてや、収容した者達と友好的な関係を築く事などできなかった。

 被疑者を更生させたことも一度としてない。

 しかし、この二人は対価というよりは、恩で繋がっている。

 もう矢島に彼は便宜を図るメリットはないはずだ。それなのに協力してくれている。

 刑事人生の長さ以外にも、得なければならないことはまだまだあるようだ。


「裏をとりましょう。該当の盛り場付近の宿泊施設を洗い直す。それでハズレなら、次はタクシー。乗せたのなら運転手が覚えているかもしれない。

 そして、あの子たちに連絡する。いつでも出れるように準備しておくようにと」

「俺もすぐに部下に連絡します。忙しくなりそうだ」

「すぐに手配しますよ」


 捜査用のスマートフォンを取り出して、矢島がすぐにコールした。

 それと同時に、不破も端末を取り出して、リーダーである椿姫を呼び出す。次は分室のスタッフ達だ。

 あの子たちは曲がりになりにも警察官である自分の部下だ。

 ならば、せめて自分は、自分を慕ってくれている部下達を上手に活かし、信頼に答えるだけだ。


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