第十二話 在りし日の花 case19

 SAT特殊急襲部隊はいつも二十四時間営業だ。それと同じく、日本唯一の異誕の駆除を行う少人数制の特殊部隊である分室も、事件が起こればいつでも呼び出される。それは不変の真理だった。


「一大事だ」


 電話口で開口一番そう言われた時、椿姫はせっかくの休日が半分ほどしか味わえなかったことを悟った。今日は電話に縁のある日らしいと半ば悟ったように椿姫は覚悟した。

実は椿姫は寝る前にも国際電話で通話していた。

椿姫の父親からだった。彼はいわゆる近況報告を聞きたかったらしい。


椿姫の父親は外交官で世界中を飛び回っている。そのため、一年の間に一日も帰ってこないことさえあった。

しかし、一人娘の置かれている状況に関しては、心配しているらしく、こうして定期的に連絡をくれていた。


父自身は魔術は継承していないものの、彼の実家はかつては魔術士を輩出していた。その時代に手掛けた事業を成功させ、資産家として名が通っている。椿姫の母である椿貴とは縁談を通じて結婚した。

螢陽家も、かつては東京のあちこちに広大な土地を所有しており、渋谷新宿を中心に数多くの広い駐車場や、貸しビルを経営していた。元からそこそこの資産は持っていたが、地価が値上がりを始めてからは一気に土地成金の名をほしいままにした。


 しかし、それもバブルが崩壊するまでのことだった。かろうじて全滅は避けたものの、事業は大幅に縮小され、大金持ちとは言えなくなってしまった。

 が、それでも家賃収入は未だに定期的に入ってくるし、椿姫の父の収入も、自分の警察庁から得ている収入もある。見る影もないほど没落するよりはマシというものだった。

 父親の方は父親の方で、最近椿姫達がきな臭い事件に巻き込まれていることは薄々気付いているのか、彼女を気遣っていることが言葉の端々から理解できた。


『出てくれてありがとう』


 国際電話を掛けてきた時、彼はいつもこう言う。なぜかといえば、出ない時は大抵椿姫が仕事中か、入院している時だからだ。異誕討伐は怪我とは無縁ではいられない。当然、死とも。椿姫が出れば、それは娘が健康で健在である証拠だからだ。

 かつて、まだあまり言葉が喋れない頃の茶花が出たことがあり、要領を得ないことを答え続け、数十分にわたってひたすら父親を困惑させたことがある。

 彼は間違い電話を疑い、もう一度かけ直したが、


『はい、ちはなです』

『螢陽さんのお宅かな?』

『……?ですので、ちはなはちはなです』

『君は……近所の子かな?』

『?ちはなです。ごよううけたまわります』


 というやりとりを繰り返すことになった。その後は留守にしていた椿姫が返ってきて電話を交換した。この時になって、椿姫は初めて、父親に茶花を居候させていたことを伝え忘れていたことを思い出した。


 現在、茶花は周囲には父の仕事の同僚の娘という扱いにされている。父親の仕事の関係もあって、あり得ない話ではない。


 満腹になり、幸せそうに居間の高価なソファで眠る茶花を叩き起こし、ナイトキャップを頭から引き抜くと、櫛を鳶色の頭に高速でかけ、大急ぎで仕事着であるジャケットとサテンのスラックスを身に付けると、トレンチコートを羽織り、茶花の着替えを光の速さで手伝った。


 最近気に入っているらしい、上品な白いブラウスに紺のスカートを身に付けさせ、茶花がいつの間にか口に咥えていた赤い花のコサージュを胸元に装着した。

 椿姫は日付が変わる寸前の夜道を原付で走り出す。

 補導される事なく、闇に沈む警察庁ビルの前まで辿り着き、五階へ向かった。ネームプレートの無い部屋にたどり着き、ドアを開けると、立派なデスクの上で、エナジードリンクをがぶ飲みしている不破と目が合った。 


「こんばんは」

「ああ、こんばんは。これはほんのお詫びだ」


 そう言ってエナジードリンクを足元に置いた箱から取り出して差し出してくる。ところどころ髪が乱れており、憔悴していることが伝わってきた。彼女も大急ぎでやってきたらしい。切れ長のいかにも頭の切れそうな眼が少し充血していた。化粧気も無い。

 それを指摘すると、


「いいだろう、どうせこの時間帯はだれも見てない」

「万が一ってこともありますよ」

「あるだろうな。しかし、あまり自分の魅力をアピールしたい相手はたいていこんな時間帯に働いていない。ただ、犯罪者やお礼参りに来た奴は別だ。そいつにだけは見られたくない」

「どうしてですか」

「自分の弱みを気に入っている奴になら見られてもいいが、嫌いなやつに見られると心底嫌になる」

「フクザツなのです」

「じゃあ、見られたらどうするんですか」

「そいつを東京湾に沈めて、全てを無かったことにする。そして、もう少しで私が生で一番会いたくないやつをお披露目することになる」


「遅れました!」

「……失礼します」

「訂正する。もう少しじゃなくて今からだ。いや、遅れたも何もない。よく来た」


 翠と白翅がゆっくりドアを開け、足音を殺しながら姿を現した。翠は学校の制服を身にまとい、白翅はいつもの黒いパーカーに黒いショートパンツだ。そこから伸びるしなやかな手と脚は、まるで新品のコピー用紙のような白色だ。それでも不健康さは全く感じられない。正直、同じ女性としては羨ましい色だった。

 壁に設置してあるモニターの電源を無線で入れ、タブレットでデータを送信しながら、不破は話し出した。


「電話で言った通り、都内で新たに異誕事件が発生した。場所は港区の銀行。犯人は人型だ」


 映像が画面上を流れていく。防犯カメラのものらしい。画像はかなりクリアだ。犯人は黒いスキーマスクをかぶっており、上に黒いスウェットを身に付けている。下も同じく黒いズボン。自分が強盗であることを説明する手間を省こうとしているようにしか思えなかった。犯人が何か怒鳴りながら、大きなボストンバッグを振り回している。


 制止しようとした体格のいい警備員が次の瞬間、吹き飛んだ。カウンターから離れた場所に置いてあるテーブルが、急に飛んできて彼にぶつかったのだ。まるで見えない糸にでも操られているかのように。もう一人の警備員が警棒を構えて身を低くして応戦しようとするが、目出し帽の男は目にもとまらぬ速さで距離を詰めると、警備員の顔にアッパーを食らわせた。腰の入っていない、下手くそなパンチ。


にも関わらず、次の瞬間には警備員の首はあり得ない方向にねじれていた。そして男が大きく口を開けると、その首に食らいつき、血が噴き出す中、口だけで警備員の身体を振り回すと、カウンターの向こうに投げ飛ばした。悲鳴が上がる中、誰かが投げつけた灰皿が、男の後頭部にぶつかった。


 男は少しもダメージを受けた様子はなく、なにかを上を向いて叫んだ。

 次の瞬間、男の近くのテーブル、椅子、果てはペンまで、あらゆる物が浮き上がった。蹂躙という名の凶行が始まった。

 支店のカウンター近くには、椅子やテーブル、大きな灰皿や衝立などの備品が散乱しており、行員たちが揃って地面に倒れている。壁や床には血が飛び散っていた。


 手足が捻れたように曲がっており、動きがないと分かる女性行員。首が前のめりに折れている男性もいた。身体の近くに引きずったような血の痕があり、よく見ると棒金が左目の四分の三ほど突き刺さっていた。片目を潰された状態でもがき、這っているところを後ろから蹴られでもしたのだろうか。そして、ある女性行員は、顔に針山のようにペンやカッターが突き刺さっており、悶え苦しみながら泣き叫んでいた。

それが気に障ったのか、犯人の男が大股で近づき、カウンターを飛び越えると、女性の手を踵で踏み潰した。折れた手から何かが転がり落ちた。おそらく指輪……だろう。それをポケットにねじ込むと、その顔に刺さったペンを一気に顔ごと踏み潰した。


 隠しようもない悪意を感じ、椿姫の中の不快指数が著しく上昇する。

 画面の外に目を向けると、茶花は普段より顔から表情が乏しくなっている。真剣になった証だ。

 翠は薄桃色の唇を硬く引き結び、瞳には強い感情の光をたたえていた。それは怒りか、執念か。

 白翅はじっと画面を見つめている。感情は読みとりにくいが、何も感じていないわけではないことは分かっていた。彼女なりの解釈がその表情の内側には存在することも。


「閉店後の銀行の支店での出来事だ。だから客に被害は出なかった。現場の異常さから捜査一課と所轄署がしばらく調べていたが、分室への報告が遅れたらしい。異誕が強盗に入るケースは滅多にないからな。……この男が何者かは調査中だが……明らかに普通の人間じゃない。異誕だとすれば混血か、純血か、それとも他の何かなのかは分からないが……」


 部屋の中の空気がさらに張り詰めた。不破が言いたいことはわかる。認識票タグだ。あれを使えば、普通の人間でも人外の力を使うことができる。


「念のため、現場にこれから向かって、気配を検知してもらう。それから捜索だ。通報を受けて現場付近を封鎖していたが、いまだ誰も引っかかっていない」


 現在判明している事実を不破は端的に述べていく。事件の発生時刻は、椿姫達が、フードホールを楽しみ、ショッピングを終えて帰宅した、そのわずか三十分後のことだった。


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