第十二話 在りし日の花 case17

「よし……これがいいわ」

「良いネーミングセンスだね、母さん」

「母親じゃありませんって。ほら、ちょっと来なさい」


「『飼いならすってのはね、仲良くなるってことさ。あまり知られていないことだがね……』え、なんですか?」

「む?わらし?」


 椿姫が手招きすると、居間のソファーの上に腰掛けていた翠と、付喪神の少女が不思議そうにこちらを向いた。

翠の甘くて、穏やかな声が途切れた。

 翠は少女に最近よく本を読んであげていた。

最初は本人の過去の経験のためか、人型の異誕である少女を警戒していたようだが、あまりに悪意の感じられない付喪神を警戒するのが馬鹿馬鹿しくなったのか、途中からは開き直ったかのように少女に普通に接するようになった。


 分室とその運営者にあたる長官との審議の結果、付喪神の少女は分室で管理することになった。人を積極的に傷つける意志が感じられない上に、戦闘の際には椿姫達をフォローして戦ったことから、信頼に足ると判断されたようだった。

 しかし、警察庁の庁舎で養うわけにもいかず、少女が懐いている椿姫の自宅で面倒を見ることになったのだ。


 万が一の場合に備えて、怜理と、その同居人である翠が屋敷に泊まり込んで様子を見ることになっていた。付喪神の情操教育といった面でも、他のメンバーとコミュニケーションをとらせるのもいいだろう。そう判断された結果だった。椿姫と翠が外出している間は怜理が面倒を見ている。変だな、まだ懐いてこないぞ、というのが怜理の最近の口癖となっていた。なんだかんだ、事件からは半年が経過していた。少女は言葉を覚えはじめ、意思疎通もできるようになっていた。まだ分からないことは多いようだったが。


 大きな食堂のテーブルにはなかなかの達筆で文字が記された紙が置かれている。さっき椿姫が勢いよく置いたのだ。書く事は簡単だったが、考えるのはさらに多くの時間がかかった内容が記されている。


『姫山茶花』


 とだけ紙には書かれていた。


「これ……もしかして」

「この子の名前。いつまでも名無しじゃ呼びにくいでしょ」


 異誕とはいえ、放ってはおけなかったし、責任を感じずにはいられなかった。成り行きで仕方ないとはいえ、放逐するのは考えられなかった。敵意が無い以上仕方なかった。おまけに何故か懐いている。


「どうしてこの名前なんですか?ひめやま……ちゃはなさん?」

「ちはな。よ。ちゃはなじゃ呼びにくいし。由来は……誕生花よ」


 付喪神の少女……茶花ちはなが生まれた日は十二月五日だった。その日の誕生花は山茶花。調べてみるとサザンカは、螢陽家の家紋でありシンボルであるツバキの花と見た目がよく似ていた。不思議な縁を感じずにはいられなかった。自分の名前も花からつけられた。螢陽家は女系一族だ。魔術の名門として身を立てた時代、当時の当主の名前が椿だった。魔術の素養を多分に持っていた当主にあやかるために、以降は長女が生まれた時、必ず椿の文字を含んだ名前が付けられるようになったのだ。


 椿姫にとって、名前と花は切り離せないモチーフだった。だから誕生花を調べたのだ。ツバキの花とは似ているが、明確に区別をつける方法はいくつもある。

 それはつまり、はっきりと別物ということだ。人間の魔術士と人型の異誕のように。翠がなおも興味深げに聞いて来る。


「姫、はなんなんですか?」

「私の名前からとったわ。さすがに身内じゃないのに、螢陽の名前はあげられないでしょ。姫 山茶花だと語呂が悪いから、姫山 茶花。まあ、妥当じゃない?」

「一気に強そうになった感じがします」

「あら、分かってるじゃない。あたしも気に入ってるのよ。この字」


 けれど、自分と縁が無いわけではない。だからこそよく考えた挙句、なぜか自分にいっこうに敵意を向けようとしないこの少女に、自分のお気に入りの文字を与えた。


 それはある意味願うような気持だった。どうせ生きるのなら、自分に懐いた以上、決して人を襲わないように生きてほしい。名は体を表す。自分のお気に入りをあげれば、そのように生きることができるかもしれない。いや、そうであってもらわなければ困る。この子が人を襲えば、彼女自身が処分しなくてはならないのだから。それだけは、嫌だった。それに、名前をつけるのは怜理でもなければ、翠でもないはずだった。残されたのは自分だけだった。


「よろしくね、ちはな」

「よろしく、ちはなさん」

「よろしく、ちはな」


「…………ち、は、な」

「そう」


 椿姫達はまるで打ち合わせでもしてあったかのように一斉に茶花を指さす。

 やがて、かなり遅れて茶花が自分自身を指さした。


「ちはなは、ちはな、れすか」


 相変わらず他人事のように付喪神つくもがみは繰り返した。






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