第十二話 在りし日の花 case16

 「展示品がひとつ見つからないんだってさ」


 美術館の事件の翌日、椿姫は怜理と事後処理について話し合っていた。

 疲労と負傷の影響で、昼近くまで眠っていたらしい。後は麻酔の効き目のせいだろうか。


白いカーテン越しに、病室には明るい陽が差している。聞こえてくる小鳥のさえずりは平和そのものだ。怜理自身も、あちこちに手当の後はあったが、それを隠すようにトレンチコートを纏っていた。椿姫自身も、あまり触れないことにしていた。怜理の様子がいつも通りだったからだ。


「むしろ、他にも見つからなかったもの、あるんじゃないんですか?あいつら、相当派手にはしゃぎまわってたみたいだから」

「いや、それがねえ。跡形も無くなくなったっていうのはないんだってさ。バラバラにされた絵画も、砕かれた彫刻も、乱暴に扱われた剣もみんなあることにはあった。けどね、『大鎌』だけが無いんだってさ。どこにも。綺麗さっぱり」

「……」


 怜理がすり下ろしたリンゴを容器に入れてプラスチックのスプーンと共に渡してくれる。礼を言って受け取ると、彼女のすぐそばに視線を送った。

 背もたれの無い椅子に、昨晩はじめて出会った鳶色の髪を持つ少女が、指を口元に持って行って物欲しげにこちらを見つめていた。ほんのりと、香るように漂う、異誕の気配。今はもう、獰猛さの欠片もない。


「『ここにある』ってことですか」

「そういうことだね。この子が持ってる、というよりかはこの子が鎌そのものだ」


 怜理がずうずうしいね、キミは、と言いながら、持参した袋の中からリンゴを取り出して放り投げた。少女が座ったままそれをキャッチすると、乱暴にそれに食らいつく。


「ハグハグ」

「よく食べるわ。でもセーブしとかんといかんね、これは。あたしらって、食べても食べても栄養がたまるだけだから」

「人を食べるよりかはマシですよ」

「違いないね。大鎌はね、かなり歴史のあるものらしいよ」


 十六世紀ごろの話だ。かつてドイツを中心に大きな傭兵団があった。当時は戦乱の絶えない時期だったこともあり、戦力を調達するために、需要の有る傭兵団の中には、どんどんと規模を拡大していった。

 この少女の存在の核となった大鎌は、そんな伝統のある傭兵団の一つで代々受け継がれていたものだった。


 美術館の解説によると、当時傭兵になる人物というのは、ドイツなどの中欧の出身者よりもその近隣諸国の貧しい地域から職を得るためにやってきた人々が多かったのだという。記録に残されている限り、その鎌の最初の持ち主がそうだった。

 その男は、東欧ポーランドの貧しい農村で生まれた。生まれつき身体が大きく、丈夫だったため、病にかかることもなく成長したが、長男ではなかったため、田畑を相続することはできず、成人する前からそのまま食いつなぐために、傭兵団に入った。


 男は強運でなかなか死ぬことはなかった。幼少の頃から使い慣れているという理由から、剣だけでなく、巨大な鎌をいつも携えていた。だが、それにも終わりが来る。

 男は戦死する事なく、当時の傭兵としては珍しく寝床で息を引き取った。

 当時は、戦国時代といってもいいくらい、死がありふれていた。時代の中、死と隣り合わせの日々を送る傭兵たちは、なんらかの縁起を担ぐことが一般的だった。


 特に、何度危険な戦場に出ても、戦死する事無い者は、強運に愛され、その戦士には特殊な力が宿っていると解釈されることがあった。そしてそんな戦士の所持品を身に付けることで、強運を分けてもらうことができるとも考えられていた。


 この場合はその鎌だった。最初の所有者の持っていた剣は何度も折れて代替わりしていたが、大鎌は壊れることに対して無縁であるかのように健在だった。巨体の傭兵を象徴するものは剣ではなく大鎌だった。

 多くの戦士の血を吸いながら、大鎌は錆びることなく、手厚い手入れと、傭兵の扱いの巧みさゆえに、健在だったのだ。


 彼の跡を継ぐ傭兵たちが真っ先にあやかろうとしたのがこの大鎌であり、それに染み付いた恩恵だった。長く壊れることなく歴史を持ち、主と共に戦い続けた大鎌は、偉大な魔除けとなったのだ。


 本当にその大鎌に魔除けのような効果があったのかは分からない。単なる偶然だったのかもしれない。しかし、確かにそんな効果があるのだと信じられ続けた。傭兵たちに。そして、その継承者達に。

 何代にもわたって継承が続くうちに、大鎌にはある異常が現れ始めた。


 鎌はいつしか、全く刃こぼれしなくなり、多少の損傷ができても、修理する段取りが出来た頃にはすでにそれは修復していた。ますます鎌はいわくつきのアイテムとして知られるようになった。そして、全ての継承者が死に絶えた現在。


 それはどこかの段階で回収され、世界各地を巡り、海を渡って、ついにこの土地へやってきた。それが、今椿姫達の目の前にいる。異誕としての肉体を持って。


「この子が持ってた鎌、確かに写真資料で見たヤツと同じだった。この子の能力はその鎌……つまり自分の分身を操る能力らしい。さすがに保存状態が良かったとはいえ、大鎌の切れ味が他の異誕にあそこまでダメージを与えられるほどのものだとは思えない。鎌の硬度や切れ味を強化することもできるみたいだね。……刃こぼれしなくなった段階から、ちょっとずつ異誕になってたのかな」

「そうかもしれません。後は投げた鎌を手元にすぐに戻したりもしてました。それに鎌の振り方も素人とは思えないし……」


 もしかすると、鎌を今まで操ってきた継承者の技術を覚えているのかもしれない。それなら、あの鎌捌きも納得できる。

 少女は自分のことが話題にされているのが分からない様子で、あちこちよそ見している。立ち上がって、カーテンの外を覗いていた。


「いわゆる、付喪神つくもがみでしょうね……」

「私、生で初めて見たよ。付喪神」


 椿姫は小さい頃、神様はあらゆるもの中にいる、と母が言ったことを思い出した。八百万の神、という言葉があるのだからきっと付喪神であるこの子もそのうちの一人なのだろう、と考えたりもした。


 異誕の複数のカテゴリーに分けられる。自然発生する者が大半だ。

 今回のリサ・ブランとその父親のように、異誕と異誕が子供を作り、その子供として異誕が生まれてくることもある。が、中でもイレギュラーなのが付喪神だ。

 自然発生する異誕とは異なり、付喪神は器物を媒体としてこの世に生まれてくる。


 なぜそんなことが分かるのかというと、実際に付喪神に聞き取りを行った記録があるからだ。螢陽家に一つ、それ以外の家系に二つ。調査対象になった者は人に仇なす者もいたが、そうでなく、人々と共存する者も居た。そして、それらは例外なく、自分が道具だった頃の記憶があった。


 異誕が動物や、人間の様々な感情から生まれてくるという俗説を一部裏付けることになったのも、彼らの証言があったからだ。付喪神の過去の記憶の中で、かつての使用者達がどのような感情を持って、彼らを使っていたかを正確に付喪神たちは記憶していた。そして、付喪神のもとになった器物も、全てなんらかの曰くのあるものや、長く使い込まれたものだった。


 道具がかなりの期間、場合によって数百年にわたって所有者たちの感情のエネルギーに晒されたことで、エネルギーを養分して吸収し人外の化物、すなわち異誕として生まれ変わる。これが付喪神の仕組みというわけだ。


「この子なら、納得ですね。感情のエネルギーには晒されまくってるでしょうから。使用者達の分も……これまでに倒してきた敵の分も」

「何しろ、合戦の道具だからなあ。しかも、大ベテランだ」

「意識が生まれたのは昨日ですけどね」


 少女は、今はカーテンにくるまって、ミノムシのようになって遊んでいた。生まれたばかりだからなのか、次の行動に予測がつかない。今の彼女は赤ん坊と同じだ。精神の元となる、魂が目覚めたばかりだろうからだ。


「あいつらは消えた。跡形もなく」

「そうですね」


 ぼそっと、独り言のように怜理が呟いた。視線は椿姫と共に、くるくると回る異誕の少女に向けられたままだ。


「あのバカ親子にも長い歴史があった。詳しくは分からないけれど。あいつらは弱いからすぐに壊れるんだって言ってた。けど、美術品たちは、古くなっても、壊されても残り続けた」

「少なくとも、消えてなくなりはしませんでした」

「そうだね。運よく壊れなかったこの子は、別のものになって生まれ変わった」

「この子が……生まれてきたのは、今回の事件があったからでしょうか?」

「それしか考えられないね。感情のエネルギーに一番晒されたのが今回の事件だ」


おそらく、今まで所有者と犠牲者の感情のエネルギーを数百年吸い続けた結果、異誕となるための下地は充分にできていたのだろう。そして、今回の事件が決定打になった。美術館の事件で、多くの人々が命を落とした。この世に未練を残して。

恐怖し、苦しみながら。


 そして、一気に膨大な感情のエネルギーを短時間に吸収した。それが一気に大鎌を別の存在へと変化させた。それが原因で今、この少女はいる。

彼女が、椿姫達ではなく、リサ達に攻撃の矛先を向けた理由も、そんな背景があってこそだろう。大鎌が短時間で吸収し、もっとも影響を受けた感情は、「リサ・ブラン達に殺された人々の無念」だっただろうからだ。その感情のエネルギーの影響で、大鎌から産まれた少女は、その怨念にも近い無念を晴らすため、リサ達に襲いかかった。


 怜理が遠い目で続けた。


「昔……うんと昔なんだけどね」

「はい」

「君のおばあちゃん、くらいの時代だったかな。何百年も生きた異誕に出会ったのさ。本当かどうかは分かんないよ。そいつが自分で言ってただけだけどね。仕事の関係で。そいつが言うんだよ。『俺たちは極端なんだ。いつまでも生きて死なないか、途中でぽっくり死んで跡形も残らないか。いつ死んでも『死体だけは残る』人間や動物とは違ってな』って」

「その異誕、どうなったんですか」

「死んだよ。私達が殺した」


 あっさりと怜理が言い捨てた。


「何百年も生きてたから、この先もずっと死なないと思ってたんだろうね」


 死なない生き物なんて、いるわけないじゃん。殺風景な個室に怜理の言葉があっさりと響いた。




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