第十二話 在りし日の花 case15

 椿姫の前で頭を吹き飛ばされたリサが、よろよろとふらつきながら吐血した。

無くなりかけた頭からも血が噴出する。無防備になった腹部に、大鎌を携えた少女が闇に閃く刃を叩きこんだ。またも血飛沫が舞う。リサの肉体が輪郭を失っていく。悲鳴を上げる事も無く、リサは光の粒となって消滅した。


「リサ、リサはどうなって……ごがああああああああああああ!」


 代わりに断末魔の叫びを上げたのはリサの父親の方だった。椿姫と異誕の少女が見つめる先には、太い氷柱で串刺しにされたリサの父親の姿が映った。


「そんなに大事なら……」


 怜理がジグザグに走り、脚のバネを最大限に使って距離を一気に詰めた。


「『人は食っちゃいけません』ってしっかり伝えるために口使えよ!メタボ野郎!」


 顎にアッパーを叩きこみ、顎の骨を破壊する。腹に更に氷の槍を突き刺し、下がってきた頭に氷の剣を叩き込む、そして素早くねじって引き抜くと喉を真横に切り裂いた。


 異誕の全身から力が抜け、膝から崩れ落ちる。怜理のミドルキックが顔面に炸裂し、後方に吹き飛ばされ、大きな身体が壁に叩きつけられた。娘と同じく、その身体は跡形も無く消滅する。


「バイバイ、クソ親父」


 手際よく異誕を殺し、ふうー、と長く息を吐いて怜理が椿姫に目を向けた。あちこちにダメージを受けながらも、ふらつくことなく自分の脚で立っている。

 にっと怜理が微笑んだ。椿姫も笑いかけた。


「お疲れさん。助けにいってやれなくてごめんね」

「いいえ。怜理さんこそ」


 お互いの健闘をたたえ合いながらも、椿姫は無視できない懸念が残っている事を理解していた。もちろん、怜理も。それを解決するべく、椿姫はその原因に目を向けた。つまり、いまだに大鎌を携えている異誕の少女へと。


「ふ────……」


 なぜかフマンげに唸りながら、怜理の方を睨んでいる。そして、横目でチラチラと椿姫の様子を伺っている。意図が読めない。しかし、少女の様子から、さっきまで感じていた怒りのオーラはすっかりと消え失せていた。むしろ、なんとなく弛緩したぼんやりとした雰囲気が伝わってくる。

 怜理が緊張を解きながらも、大股でこちらに近づいてきた。少女が鼻を鳴らし、片手を軽く振った。まるで、初めから何もなかったかのように、大鎌は消滅した。


「なにがそんなに気に入らないのよ」

「む──」


 猫のようにつぶらな目で今度は椿姫の顔を少し背伸びして見つめて来た。それこそ穴が空くほど。じー、と瞬きもせずに見つめている。確かにすぐそばから異誕の気配がする。けれど、危険は感じなかった。気配から敵意が全く感じられない。彫りの深い東欧系の、どこか暢気ささえ感じる顔立ちは、とても人外の化物とは思えない。

 それ以上、なにかするでもなく、ただ見つめている。怜理も少女の意図を図りかねたのか、ついに立ち止まって困惑の表情を浮かべた。

 沈黙に耐え切れなくなった椿姫が、ついに口を開きかけたその時、その少女がきょとん、と首をかしげた。

 そして、そのまま、すすす、と距離をつめてくる。


「⁉」


 少女の虚を突いた行動に思わず後ろに飛び退きかけるが、その前に身体に少女が抱きついてきた。そして、そのまま、椿姫のすっきりとへこんだ腹に鼻をくっつけると、ふんふんと音を立てて匂いを嗅ぎ始める。ちょっと、としがみついてくる腕をはがそうとするが、少女の腕の力は強く、そこまで力を込めているわけでも無さそうなのに、いっこうに離れようとしない。


 これは不思議。とでも言うかのように、少女は首を傾げて、そのまままた、むぎゅー、と抱きついてくる。


「離れなさいったら。なんか喋りなさいよ。どうしたいの?あんた。あたしに何の用よ」


 返事は無かった。意味がわからない、というようにきょとんとしている。ようやく、こちらの言葉が分かっていないのだ、と気づいた。おそらく、言葉を喋ることもできない。まるで生まれたての赤ん坊のように。

 あり得ない話ではない。実際に彼女は何の前触れもなく、突然この場に気配と共に現れた。それは彼女が、この建物の中で急に生まれたことを意味している。


 けれど、なぜ?なぜこのタイミングで?出血と、突然の事態に思考がまとまらない。

 異誕との戦闘に疲れ切った上に、なぜか突然生まれた、異誕の少女にしがみつかれているというこの状況の意味を誰かに分かりやすく説明して欲しかった。


 思わず天井を仰いだその時、ぐうう、と大きな音がすぐ近くで鳴った。視線を落とすと、東欧系の少女が片手でお腹を押さえている。もう片方の手は椿姫の服の裾を握ったままだ。


「お腹、減ってるのかな?」


 困ったように笑いながら怜理が尋ねた。


「笑ってないで助けてくださいよ。この子、全然離れないんだから、こら、いい加減、離しなさいっての」


 空腹な上に、自分から離れたくないらしい。少女はいやいやをするように首を振っている。ひょっとすると、この少女は自分のことを大きな食料だと思っているのではないだろうか。だから、自分から離れないのでは……一瞬恐ろしい考えが頭をよぎる。弱っているところを不意を打たれたらたまらない。同じことを考えたのか、怜理の目つきが鋭くなった。おそらく、いつでも氷柱を発射して串刺しにできるように身構えているのだろう。


  腕に力を込めて突き飛ばしかけるが、その時、ふと椿姫はあることを思い出した。

 なんとか、救急キットの中を探り、目当てのものを取り出す。ストッカーズ。チョコとピーナッツをたくさん使った携帯食料。カロリーが高く、抜群の腹持ちだ。


「これ、あげるわ。あたしもよく食べるの」


 そっと、目の前に差し出すと、少女が大きく口を開けた。包装を椿姫は口で破き、口の中に入れてあげる。


「ほら、美味しいのよ」

「ハム………ハムハムハム」


 少女は至福の表情を浮かべ、一気にそれを平らげてしまった。ご機嫌な様子で、さらに椿姫に抱きついてくる。いつまでたっても自分に食らいついて来る様子はない。人間の肉よりも、チョコ菓子の方に興味を示した。まだ人間の肉が豊富な栄養を持った食物であると気づいていないのだ。


「さて……どうしたもんかね。ほら、離れろ。ねーちゃん困ってるでしょ。好きなら迷惑どうかも考えなきゃ。みんな疲れてんだ。わかってやりな」

「好きなんですか、この子?あたしが?」

「でも懐いてるってことは好きってことさ」


 フマンそうな少女は怜理の言葉には従わなかったが、椿姫が頭を撫でながら宥めると、むきゅー、と変な声を出しながら、ようやく離れた。


 事態を収拾した後、地元の警察署の食堂で着替えた後、異誕の少女はまた腹を鳴らし、そこの食堂の丼もののメニューを全制覇してようやく眠りについた。これは後から椿姫が怜理から知らされた話だ。椿姫は破壊された美術館を出るなり、救急車で病院に運ばれたからだ。

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