第十二話 在りし日の花 case11

『先にその子を解放しな。そのまま下ろして、こっちに走らせろ。その後フェアに勝負しようじゃん。ちょうど二対二だ』

『そっちの方がフェアじゃないわ。二人同時よ』

『ダメだ。そっちが先だ。断るならこのエセ紳士を即座に殺す。変わった能力みたいだけど、私がこいつの心臓を潰す方が早い。仮にお前と速さが同じでも、いずれにしろあんたの親父は死ぬ。見捨てたきゃそうしろ。そして人質も殺せばいいさ。そうすれば、後はそこの相棒と二人で、独りぼっちのお前をなぶり殺しだ』

『ハ、はあ⁉最悪、人質を見捨てるってこと⁉できるわけが……』

『できるよ。私は楽なのが好きだ。人質ごとあんたを殺せたらどんなに楽か。早くしてくれ。でないと、楽な方を選びたくなるでしょ。さあ、早くしろ、スリーツーワン……!』


怜理が非情な声でカウントを始める。椿姫は足のバネに力をこめ、いつでも走り出せるように準備する。


『分かったわ……』

『その子の躰を投げたら、私がアンタのお父様を焼き殺すわ』


 観念したように女の子を床に降ろすリサに、意趣返しするかのように椿姫は宣言した。そのまま背中を軽く押す。女の子が呻くような泣き声をあげてこちらに走ってきた。脚が恐怖でもつれているのか、ひどく遅い。

 椿姫が思わず両手を広げて抱き抱えると、女の子は火がついたように泣き出した。

 どんぐり眼でお団子頭の女の子の、活発そうな顔が恐怖に歪んでいる。


「よし、もう大丈夫よ……」

『さあ、これでいいわね?お父様をこっちへ連れてきて。人間の味方をするできそこない化物モンストル


 自分よりずっと背の低い女の子を抱きしめる。得体の知れない化物に襲われ、狭いところに押し込められ、たった独りぼっちだった。

 きっとこの子の両親はもう殺されてしまっているだろう。無事に両親が生きているのなら、こんな小さな子を放って逃げるはずがない。

 いったい、どれほど怖かっただろう。椿姫自身が同じ目に遭ったことはなくとも、その気持ちは痛いほど理解できた。

 それに、椿姫は同じくらい酷い目にあった女の子を知っている。


 その子がどんな風になっていたのかを。ひどく痩せ細った、翡翠色の目の女の子。  

 自分の新しい後輩の、壬織翠と初めて出会った時の姿が、意識の片隅に浮かび上がった。

 怜理が人質の解放を見届けると、紳士風の男の身体を盾にするようにして移動し、椿姫の位置を通り過ぎた。


『歩きなよオッサン。いい歳してよたよたするんじゃない』

『ぐ、誰のせいだと……ぐうう!』


 怜理が男の異誕の脚の関節を軽く蹴った。男が大きな声で呻いた。おそらく、そこにも氷柱が突き刺さっているのだろう。 


「さあ、早く逃げて……」

「お、ね、え、ちゃ」

「?」


 女の子がやっと言葉を発した。が、その声は苦悶に満ち、ひどく途切れ途切れだ。 

 小さな顔が急に充血したように赤くなり、体全体が激しく震えだす。怖いのだろうか。いや、それにしては何か妙だ。


「へ、ん、なの。せなか、おなか、熱いの。せなかが、さっき急に、痛くて、な、にこれ?」

「背中……⁉ちょっと見せて!」

「うああああああ!いたい、いたいよおおおおお!たすえて、たすえてまあま、ぱぱあああ!」


 女の子が身体を折って、絶叫した、次の瞬間……。

 跳ね上がった女の子の顔が破裂した。ものすごい量の血が内側から噴き出し、顔を突き破って何かが飛び出してくる。赤く光る眼に牙……敵の異誕が操る蛇だった。


 視界がたちまち真っ赤になり、両目に激しい痛みが走った。飛び散った血液と体液が目に飛び込んだのだ。咄嗟に腕を交差させて防ごうとするが、勢いに負けてバランスを崩し、背中から床に叩きつけられた。利き右腕に激しい痛みが走り、顔に温かいものがかかった。自分の血だ。


「このーー!」


 叫びながら、左手の銃で、ろくに狙いもつけずに、襲い来る蛇を銃撃する。手ごたえがあり、ばたばたと近くで、引き裂かれた体が暴れた。


「死ね……!」

『くそ、ぐおおおおお!』

『こっちよ!お父様!』


 怜理が駆け寄ってくる気配がした。そのまま抱きかかえられ、後方に二人の身体が飛び退る。目を乱暴に擦り、ぼろぼろと涙がこぼれるのも構わず、両目を無理やりこじ開ける。


 守れなかった。あと一歩だったのに。無力感に苛まれながらも、辛うじて目の前の光景を見据える。

 ぼやけた視界の端で、顔を内側から食い破られた女の子の躰が痙攣していた。

 その背中からはどくどくと血が流れ出している。

  少し離れた場所に立つリサがこちらを睨みつけていた。そして、傍らには左腕を切り落とされたリサの父親らしい異誕が、荒い息を吐いて立っていた。


 一杯食わされたのだ。女の子はおそらく、椿姫が喫煙室に突入した時に、もう既に攻撃を受けていたのだ。背中から体内に蛇を入れられていたのだろう。

 人質を抱き抱えている時に、敵は出血を圧迫して抑えていた。だから女の子の異常に気づけなかった。初めから敵は女の子を殺して、反撃のための囮にするつもりだった。

 怜理はすぐに父親を殺そうとしたが、椿姫を助けるために対応が遅れ、その隙に父親は逃げ出そうとしたのだろう。だから片腕は奪えても、急所を外してしまった。


「ごめん、トドメ刺し損ねた……」

「いいえ……ありがとうございます」


 なんとか絞り出した声は震えていた。頬を伝う涙に止まって欲しかった。

 救えなかった。あの子を。痙攣していた身体はもう、ぴくりとも動かない。

 翠の時とは違って。助けられなかった。叫び出したくなるのを、必死に奥歯を噛みしめて堪えた。加減しなければ、そのまま奥歯が砕けていただろう。

 救急キットを空いた手で探り、取り出した止血帯を腕の付け根に巻きつけて締め上げた。


『生意気にも攻撃を当てたわね。このできそこないどもが!お父様の腕の分を償ってもらうわ!今すぐ死になさい!』

『お前は……優しい子だよ……そんなところもお前の母親にそっくりだ。さあ、覚悟するがいい、下等動物ども。われらブラン家の家族の絆の力を味わいながら食われるがいい』


 彼らの背中や、腰、両手、肩が様々な猛獣の部位に変形し始める。


「家族の絆を、コロシなんかで発揮されちゃたまらないね……いける?椿姫」

「いけます」


 迷いなく椿姫は答える。こいつらに後悔させてやる。人質の女の子を殺したことを。そして、自分をここまで怒らせたことを。胸の中を満たすのは怒りの炎だ。烈火のごとく怒る時が来たのだ。大量に分泌されたアドレナリンが燃え、朦朧とした意識が鮮明になるのを、椿姫は感じた。




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