第十二話 在りし日の花 case10
「…………」
『さあ、まずはその銃からよ』
どうすればいい。武器を捨てても自分には魔術がある。しかし、それはさっきまで戦っていた相手も承知の上のはずだ。相手はけっして油断しない。レッグホルスターから銃を抜く。そして、それをゆっくりと頭の上に掲げた。
『もし投げつけてきたら、コレを盾にするわ。それでもやりたければどうぞ』
「……」
腕の中の女の子をこれみよがしに見せつけ、リサが勝ち誇る。女の子が苦しげに咳き込んだ。焦燥感が椿姫の心を焦がした。
どうする?人質ごと攻撃するなんて論外だ。それに、今さら人質を殺されても平気であるかのようなふりはできない。……怜理のようにはいかない。彼女と自分では役者が違い過ぎる。
それに、もうさっきたじろいだのを見られてしまっている。そもそも、敵がここまで逃げてくるのを許しさえしなければ、こんなことは起こらなかっただろう。
女の子だって、後から現場検証の時に見つけられたはずだ。それができなかったのは、全て自分の実力不足のせいだ。椿姫は歯噛みする。それに、相手の方がダメージを負っているとはいえ、確実に有利だ。どう考えても。
周りが静かなせいか、自分の鼓動が耳に直接聞こえてくるほど
打開策が無い、なんて考えたくはなかった。認めたくなかった。
……仮にここで無抵抗でいたところで、おそらく敵は言葉通り自分の手足を食いちぎり、失血死させた後に自分もろとも女の子を殺すだろう。そして、その死体を食べるだけ。
そんなの冗談じゃない。それからは、階下に降りて怜理を仲間の異誕と共に二体で殺しにかかるだろう。なおさら冗談じゃない。
考えろ。考えろ。この状況を打開する方法を。
その結果、椿姫はついに覚悟を決めた。
こうなったらもう仕方がない。最後まで抵抗してやる。自分がどれだけ攻撃を食らおうとも、女の子の盾になって、死ぬまで戦ってやる。捨て身で相手に突っ込めば相討ちにまで持ち込めるかもしれない。
リサは椿姫がショックで思考停止していると考えたのか、焦れたように声を上げた。
『さあ、早くしなさい。これ以上固まってるのなら、十秒ごとにコイツの指を噛み千切って、お前の目の前で食べてやるわ』
増長した相手は、どうしても許せないことを言い出した。けれど、これで腹は決まった。上等だ。
自身の躰の中央に、一気に魔力を集中させようと両目を閉じ、精神を集中させる。その時……。
「おい、化物。グダグダ言って凄む前にこいつの心配しな」
凛然とした声が、膠着を裂いた。椿姫は目を見開く。
展示室へ続くドアを通り抜け、怜理が中年の男の襟首を左手で掴み、引きずるようにして近づいて来るのが見えた。彼女の足音は全く聞こえない。
男の足取りには酷く力が無かった。男はレインコートを切り裂かれ、その下のモーニングが血で染みだらけになっている。右腕はあらぬ方向に曲がっていた。上品に整えられた口髭のある顔は斜めに痛々しい傷跡が何本も走り、それが唇を通して、顎の下まで流れていた。
こいつは……確か防犯カメラにリサと共に映っていた男だ。
怜理の右腕に握られた氷柱が男の脇腹を貫き、こちら側に突き出していた。薄暗い闇の中で氷柱の先が鋭く光った。
『すまない、リサ…………。不覚をとってしまった……』
『お、お父様⁉なに捕まってるのよ!信じられない!人間ごときに遅れを……』
リサがはっと、なにかに気が付いたように怜理の顔を見上げた。切れ長の一重瞼の舌で、黒い瞳が、冷たく光っている。リサもようやく合点がいったらしい。全身から漂う気配は、確かに異誕が放つそれだ。
『あなた……私達と同じ
『ほんの一部だけね。でも、実力はアンタ達と一緒だ』
怜理さん、英語喋れたんだ……。急に緊張が解けたからか、どうでもいいところに反応してしまう。
『どうする?お前、
怜理が有無を言わせぬ口調で迫りながら、突き刺した氷柱をいきなり捻った。グジュ、という音と共に、回転した氷柱がリサの父親らしい異誕の体内を切り裂いた。
『返答が三秒遅れるごとにこいつを切り刻む。女の子を傷つけようとしたら、すぐさまコイツを殺す。そしたら、こっちはアンタを二人がかりで殺す。さあ、どうする?』
怒りに震えるリサが歯を軋ませた。
立場が逆転する音がした。そう感じられるほどに、怜理の存在は頼もしかった。
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