第十一話 在りし日の花 case8

 椿姫は屋上の通用口を抜けると、静かに駆け抜けて階段を降り、広い廊下を進み行く。

 軍用ブーツが音も無く、廊下を踏みしめる。教会の礼拝堂にあるようなステンドグラスの窓を通して、穏やかな光が差し込んでいた。


 ふと階下から、微かに物音が聞こえてきた。ガシャン、ガシャン、と硬いものが硬いものにぶつかるような音。


────何かを壊してる?


 事前にインターネットで調べた見取り図を頭に思い浮かべながら、椿姫は注意深く二階に降りていく。美術館全体の建築面積は二五〇〇㎡ほど。六十年ほど前に横浜の実業家の寄付によって作られた歴史ある建物だ。

 この建物は三階建てだ。しかし、造りはやや変わっていて、二階部分が一部だけ吹き抜けになり、そこから上に向けて狭く作られた三階が続いていた。

 隠れることができそうな場所が少ないためか、三階に敵影は見当たらない。


 二階に降りると、分厚い絨毯にブーツの底が触れた。目の前には円形の座席が置かれたロビーと休憩所がある。壁には様々な見学会や有名な画家の個展の予告や、開催中の展覧会の宣伝チラシがやたらと張られていた。この博物館は集客に最近は熱心だったらしい。


────この分だと開催は絶望的ね……。


 白亜で作られた白い列柱の陰から陰へと移動し、姿勢の高さを調整し、絶えず遮蔽に身を隠しながら索敵を続行する。

 特務分室で教わったクリアリングの技術だった。SAT隊員と同等、いやそれ以上のレベルの訓練を幼少の頃から受けている椿姫の身のこなしの俊敏さは、現役の特殊部隊員のそれに勝るとも劣らない。


 ロビーを抜けた。広い廊下の先にはトイレが並び、その右側には入広い展示室があるはずだ。

 廊下を半分ほど進んだところで、ドクン、と心臓が跳ね、全身の血が冷える感覚があった。


(……近い)


 美術館の近くに来たところからずっと感じていた異誕の気配が、急に強くなった。異誕との距離が近くなればなるほど、感じる気配は濃くなる。エネルギーの残滓ではなく、本体の気配を直接感じることになるからだ。


 かつて、討魔の家系の者たちは、化物に対抗するためにより強力な術を作る過程で、自分たちの魔術の効果を、異誕に対してより害を与えることができる傾向に強めていった。

 そしてその過程で、異誕に対して対極的な現象を認知し、操るための感覚が研ぎ澄まされていった。

 結果、そうした家系はますます対化物に特化した魔術を生み出すようになっていく。

 研鑽を積んだ魔術士たちが、そうして研ぎ澄ませたその知覚センスは遺伝的に継承され続けていた。魔術の傾向が、化物を殺すすべへと特化するように進化したからだ。


 その副産物として、自身の性質と正反対の性質を持つ、異誕を察知する感覚もさらに鋭敏になっていった。

 異誕にとって天敵とも呼べる技術を極めた「魔術士」という生物人間にとって、異誕化物はあまりにも自身と違いすぎる存在だ。


 生物には、自身と違う異質なものを察知する本能がある。人外に対する術を極めた魔術士にとってそれがもっとも機能するのが、自身と正反対な異誕生物だった。

 そのため、椿姫のように長く続き、強力な術が使える魔術士ほど異誕の気配を察知する鋭敏な感覚を備えている。

 

 展示室の入口は、手前に立つ太い支柱に僅かに隠されような角度に位置していた。

 椿姫は身を低くして、なるべく身体がはみ出さないように支柱の陰から向こう側に、P30の銃身と共に視線を走らせる。


(……!)


 広々とした展示室には折り重なるようにして人が倒れていた。両開きになった扉の向こうに転がる全員が大量に出血しており、ぴくりとも動いていない。二十人以上にはなるだろう。ガンベルトに括った腰の救急キットに手をやるが、すぐに絶望的な心境になった。今回の事件で、犯人の異誕に襲われたものは誰も助からなかった。


 人間より遥かに高いスペックを持つ異誕が本気を出せば、人間は簡単に死んでしまう。この部屋はあまりに静かで、呻き声すら聞こえない。

 椿姫は確信した。認めたくないが、もうこのフロアで生き残っている者は一人もいないだろう。

 そして、この奥にいる。この惨状を作りだした化物が。近くに。


────弱気になってたまるか……!


 椿姫にもプライドはある。それだけは譲れない。

 自分が、このあたしが。自分勝手に人を傷つけるような化物ごときに負ける筈がないというプライドが。自分は討魔の家系、螢陽家の現当主なのだから。


「怜理さん、敵が近いです。気配が濃くなりました」

『了解。こっちはまだ出会えてない。警戒を続けて」


 はい、と短く答えて通信を中断する。怜理の冷静な声が今は有難かった。

 入口の手前で身を低くし、そして足音を殺しながら一気に突入する。


 相当広い室内に並ぶ陳列ケースは片っ端から破壊され、中身が床にまき散らされていた。彫刻も絵画も、あちこちに散らばり転がっている。

 強い力で投げつけられたのか、人型の翡翠の彫刻が壁に頭から突き刺さっていた。   

 衝立の陰に身を隠しながら順番に敵の気配を探っていく。

 柄に彫刻が施された剣や、大きな斧が転がっているコーナーもあった。

 どれもこれも犠牲者達が流した血にどっぷりと浸かっている。曲がり角の近くでは、長い槍で壁に磔にされている女性がいた。その足元には腹の一部の肉を切り取られた小さな男の子が。近くには肉片のこびりついた短剣が転がっていた。

 ロビーに貼られていたポスターの一つを思い出す。


『中世・西洋の武器展 ロマンの詰まったさまざまな騎士愛蔵のアイテムの数々を展示しています。みなさんも、ぜひ騎士道の片鱗に触れてみませんか?』


 かつてこれらを使用した者達は、この惨状をどう思うだろうか。もしこの槍や短剣が戦争で使われていたものであれば、「昔と変わらない」と思うだけかもしれない。

 そのまま、近くの小さな出入り口から、隣の展示室に足早に移動する。


 カーテンが全て閉められた暗い室内。その中央に人影が立っていた。

 背丈は椿姫よりも少し高い。縦に植物の模様が入った赤い洒落たデザインのセーターを着こみ、頭には白いニット帽を被っている。グレーのロングスカートは、少女のスタイルのいい体型によく似合っていた。


「あんた……」

『あら……』


 くすくすくす、と少女が笑いながら、こちらを向いた。綺麗な金髪に、グレーの瞳、彫りの深い顔立ちに、服の上からでも分かる豊かな胸。白人の少女だった。


『英語、通じる?それとも、通訳が必要かしら?化物さん』

『驚いたわ。英語が通じる人に、この国に来て久しぶりに出会った。……合格よ』


────少女人型の人外は、椿姫の頭の先から足の先まで、見下すような目つきで見つめる。


なんのお眼鏡にかなったのかは分からないけど。採点官のアルバイトは雇った覚えがないわ。勝手に品定めされるのは不愉快よ。つくづく、アンタたちには遠慮ってものがないわね』

『アンタたち、って言った?前にも同類たちと戦ったことがあるのね?ふうん……ますます驚いたわ。あなた、なかなかいいスタイルじゃない。身体がとても柔らかそうだわ。鼻が高くて、顔も彫りが深くて綺麗だし。この国の人じゃないみたい』

『褒めてくれてありがとう。ちっとも嬉しくないわ。あいにく、私は日本人よ。この国の生まれで、その前の世代もずっとそう』

『魔術士、って大概どこの国の連中もそうよね。思考停止の、世襲で全てを受け継ぐだけの世間知らず』


 椿姫が化物退治の専門家であることに気づいたにも関わらず、相手は臆する様子がない。上等だ。こちらも一切臆してやらない。これで条件は同じイーブンだ。


 椿姫は右手を前に出し、関節に左手で添えて支えた。前後に脚を開いて戦闘体勢に移行する。

 相手が両手を大きく広げると同時に、少女が着ているセーターの裾の端がつられて動いた。奇妙なことに、そこだけが白色だった。そこでようやく気付く。

 あのセーターはもともと白かったのだ。犠牲者たちの流した血で殆どが濡れていただけだったのだ。


『まずます嬉しいわ。憎い魔術士を殺せる。私、あなたたちには恨みがあるの。これで少しはストレスが減る。しかも、こんなに綺麗で美味しそうな子なんて……今日はいい日ね……』


 まるで、感動したように、両目を閉じると、さっと顔を下に向けた。

 そして、次の瞬間、少女の背中から蝙蝠のような翼が突き出した。

 同時に、腰のあたりから爬虫類を思わせる硬い鱗の付いた尻尾が突き出す。広げた  

 両手に針金のような毛が一瞬で生え、マニキュアが塗られた綺麗な爪が、太く長く、鋭く尖った。


 椿姫は即座に魔力を手の先に循環させ、真紅の方陣を目の前に展開する。

 刻まれた解読不能の文字が眩く輝き、火炎放射が放たれた。

 危険を悟った人外の少女が翼で空を切り、天井近くまで飛び上がる。燃え盛る炎が空気を焦がし、薄暗い部屋の中を紅く照らし出した。


『「神は死んだ」とニーチェは言った。「ニーチェは死んだ」と神は言った。「魔術士は死んだ」とリサは言った!完璧ね!あなたはその魔術士になるのよ!』

「勝手に死んだ魔術士にするんじゃないわよ!墓に名前すら刻んでもらえない犯罪物はんざいぶつが!」


 魔術士人間異誕じんがいの開戦の火蓋が切って落とされた。




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