第十一話 在りし日の花 case7

『県警より各局。横浜船舶記念美術館にて事件発生。通報の内容から殺人事件と断定。ただちに現場に急行せよ、繰り返す、ただちに……』


パトカーが行くのはまずいわ。現場に立ち入れば警官の死人が増えるだけ。応援はうまく調整するから、誰よりも先に行って頂戴』


 骨伝導のインカムから伝わるやや高飛車な声が、車内に響く緊急無線の音声と交じりあった。椿姫達は所轄署の捜査員たちと共に現場周辺の目撃情報を集めながら、防犯カメラの映像をもとに異誕達の足取りを掴むため、追跡を続けていた。


 ついさっきまでは途中で休憩がてら食事を買おうと、地下鉄駅付近を走っていたところだった。

 ここ数日は捜索で忙しく、朝も携帯食がわりにチョコとピーナッツで作られた「ストッカーズ」を一本食べたっきりだった。

 そしたらこれだ。もはや腰を落ち着けて食事を摂っている場合ではない。椿姫は仕方なく、二本目のストッカーズを口に含み、令嬢にあるまじき慌ただしさで咀嚼する。


「驚いたな。すぐ近くです!これなら、イライラさせられずに済むね」

『あらあら。随分と熱心じゃない。褒めてあげるわ』

「一刻も早く奴らをぶちのめしたいと思ってたところなんでね。村瀬さん、SATは?」

『対応が遅れてる。神奈川県警の警備部長がゴネているの。おそらく、異誕生物との戦闘で、大事な部下が傷つくのを恐れてるんでしょうね。出動させるのを渋っているわ』

「ま、無理も無い。ちょっとでもミスれば殉職者の五人や六人は普通に出ますからね。どうやら、私たち、あんまりここの警備部長に好かれていないみたいだね」

『彼は自分の損になること全てが嫌いみたいだったわ』


 警視庁と神奈川県警は、担当地域が近いことが原因で、何かと仲がよろしくない。  

 しかも、SATはあくまで、所属する地方警察の直轄であるため、警察庁が要請してすぐに動かすことは不可能だ。

 長官のお膝元である東京首都に存在する警視庁とは違って、簡単には融通が利かない。警察庁長官が、強制力を働かせることも容易ではないのだ。仮にできたとしても、すぐには無理だろう。増援は期待しない方がいいかもしれない。


 しかし、それがどうした。SAT隊員の精鋭より、自分螢陽椿姫の方がもっと強い。援護が無い事なんて、大した問題ではない。


『なんとか急がせるわ。では、いつも通りに。あなた達も怪我のないように』

「怜理、了解。怪我する前に殺してくる」


 それ以降、無線は途絶えた。現在の村瀬分室長が高飛車なのはいつもの事だったし、また、怜理が犯罪を犯した異誕達に冷酷なのもいつものことだった。


 椿姫はその一方で使命感に燃えていた。ショッピングモールで、そして住宅街で何の罪も無い人々の生活を破壊した異誕達。防犯カメラの記録で見た異誕達は人の姿をしていた。が、今の彼らを同じヒト人間分類カテゴリーに含めることは到底できないと椿姫は感じていた。


 犯罪を行う異誕、即ち自分が許せないと思った異誕はもはや生物じゃない。「モノ」だ。犯罪者はんざいしゃじゃない。犯罪物はんざいぶつだ。

 誰が身分を保証しようが、椿姫だけはそいつらの生命いのちの尊厳を認めない。


 隣では怜理がカーナビに視線を送りながら、アクセルギアを絶妙な強さで踏んで加速した。

 青色の案内板の下に表示されている赤信号を無視し、怜理がライトバンの屋根に赤いランプを置くと、サイレンを鳴らしながら道路上を矢のような速度で疾走する。

 椿姫も素早くニーパッド膝当て軍用コンバットブーツを装着。

 太腿のホルスターからH&K P30を抜き、少しスライドを引いて、弾丸が装填されていることを確かめた。そして白いプリーツスカートの裾でそれを隠した。


「美術館……?なんでそんなところ選んだんでしょうね!」


 唇を噛みながら、椿姫はサイレンに負けないよう声を張った。


「ショッピングモールの次は美術館。いろんな人が集まりそうな場所だね。性別も、年齢も」

「好きな獲物を選べるってことですか」

「そんなとこ。人を喰う奴の行動原理なんてそんなもんだよ。最初はひとのないところで、誰にも見られないように人を襲うんだ。野良猫みたいに。いや、これは野良猫に失礼かな。ともかく、だんだん大胆になってくる。そのなれの果ては今回みたいなやつだよ。知能の無い猛獣みたいな見た目のやつなら仕方ないけど、人型のやつも傲慢になるとこうなるのさ」

「最初の段階でやつらが人を喰う前に殺しておけば……ここでは誰も死にませんでした」

「……そうだね」


 流れていく景色に強い視線を向ける。いずれ対峙しなければならない化物達を今より強く睨みつけるために。

 脳裏に住宅街で殺されていた人々の姿が急に思い浮かんだ。それは頭の中をぐるぐる回り、最後には頬を食いちぎられた女の子の顔になった。

 喰い残された片目から流れ出る涙。泣き叫ぶこともできずに、ただ殺された。他の家族ともども、何もできずに。そのことを想うと、椿姫は目元が熱くなった。


 怜理の見事なドライビングテクニックと赤色ランプの効果で、横浜船舶記念美術館には予定時間の半分ほどで到着する。現場近くに来た時点で、すでに濃い異誕の気配が伝わってきていた。

 ライトバンのタイヤが路面を擦り、軋むような音とともに、歩道のすぐ近くに停車する。すぐさま車内から飛びだし、美術館の正面に駆け出た。

 綺麗な青空の下にそびえ立つ美術館は灰色の石材を組み合わせて作られており、正面のアーチ型のガラス扉は無傷なものの、飛び散った血で濡れていた。明らかに中で異常が起こっていた。


「私が正面から行って注意を引く。椿姫は屋上から行って。挟み撃ちにしよう」

「了解しました」


 椿姫は全身に力をこめる。瞬時に自分の心臓が激しく脈打つのを感じた。

 全身の血液が熱くなり、ランナーズハイにも似た高揚感がやってくる。自身の体力と精神力を引き換えに体内で魔力を生成し、体中に拡散したそれをガソリンとして循環させ、自らの身体機能をブーストさせたのだ。


「行きます!」

「敵にぶつかったら呼んで。すぐに助けるから」


 椿姫は力強く頷くと、建物を見上げた。外壁の高い場所には黒船をモチーフにした彫刻が刻まれた石板が埋め込まれている。

 そのすぐ上の屋根に向かって、椿姫はまっすぐに左腕を伸ばし、その関節を右手で強く掴んだ。生み出された赤い炎が、鞭のような形状となって、腕に巻き付くようにして、形を成していく。

 一瞬のうちに、真紅の手甲しゅこうが形成された。そこから魔力で編みこまれた真紅のワイヤーロープが勢いよく射出され、先端が屋上の縁に巻き付いた。続けて体内から少量の魔力を動力源として流し込み、ワイヤーと手甲の間に、エネルギーの流れを作り出す事で、動きを操作する。

 柔軟性の高い強靭なワイヤーロープは、正確に椿姫を屋上に導いていった。

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