第十話 絡まる糸 case14

 闇の中で、複数の赤く光る単眼が白翅達に殺到した。

 神経が昂り、白翅の華奢な肉体が変動を始める。迫る危機と戦うため、身体機能が急激に向上する。外見の変化は無くとも、大きくステータスが変化したのが、本能的に自覚できた。白翅は底上げした脚力で、迫る敵を避けずに迎え撃つ。


 逃走か。闘争か。相手に逃走の意志はない。なら、迎撃することしかできない。そして、白翅の今の肉体は、間違いなく闘争に向いていた。

 正面に現れた大蜘蛛が牙だらけの口を開いたかと思うと、白い糸の束を大量に吐き出してくる。白翅は利き手で拳銃K100を構えると、速射を叩きこんで応戦する。


 同じ位置に、続けて着弾したPB加工弾によって、糸束は空中で切断され、細い紐のように崩れて散った。静止することなく、足を前に出すと、反対の手で持った銃剣で糸の残りを薙ぎ払った。足元の土を蹴って、跳躍。逃げるいとまを与えず空中から急降下して蜘蛛の頭を先端で突き刺す。突き刺した後、それを捩じり、傷口めがけて追撃の銃弾を放つ。


『ンギギギ!』

「どきなさい!」


 横から壁を突き破って現れた、脚を持つ太った芋虫のような個体が、突進してくる。翠がそれに跳び膝蹴りを食らわせ、勢い余って壁に叩きつけられた芋虫に集弾射撃を浴びせた。虫は横にごろごろと転がりつつも、異様に長い足で翠の顔を狙って攻撃を行うが、翠は素早く姿勢を下げて躱し、前転しながら床に伏せると、そのまま連射の追撃を見舞った。

 痛みのあまりに、跳ね上がった虫を追うように銃身を持ち上げ、片膝をついてとどめの銃弾を撃ち込んだ。芋虫が一瞬で光の粒となって消滅する。


「ちょこまかうっさい!」

「逃がしませんのです」


 椿姫が炎弾と魔力弾を連続で放ち、優実の動きを牽制している。優実はタグの力によって得た人外のスペックで、空中をジグザグに飛ぶようにして椿姫達を翻弄していた。

 椿姫の特大の炎弾を地面に伏せて避け、そのまま壁に向かって跳び、四肢を壁につけて張り付く。その様子は、まるで彼女自身が巨大な虫そのものになってしまったかのようだ。実際それに近いのかもしれない。虫たちの王が、虫以外の何かであるはずがないからだ。外れた炎弾が障子を吹き飛ばしながら、壁に衝突し、火柱を噴き上げた。


「けけ……」


 ぞっとするよな笑みを浮かべて、優実が喉を鳴らす。

 白翅の本能が、頭の中で警鐘を鳴らした。背後に強い敵意が現れた。背後には……。


「ッ!」


とっさに両脚で木の床を思い切り蹴りつけ、後方に現れた気配にあえて背中からぶつかっていった。


『ギイッ……』


 背中からの強烈なタックルを食らった大蜘蛛が軽々と吹き飛び、木の壁を破壊しながら地に叩きつけられた。

 白翅は宙を舞って横回転し、体勢を立て直しながら床に手を付いて着地する。視線を巡らせると、転がっていた五人の少女たちの身体は、いつの間にか壁際まで引き寄せてられていた。攻撃に巻き込まれないように、攻防の隙をついて茶花が移動させていたのだ。

 そのことで安堵した隙を突くかのように、大蜘蛛が近くの床を突き破って現れた。


「地面から、生えてきた……」


 優実は地中で虫たちを作り出し、召喚しているらしい。涎をまき散らす顎を振り上げ、大蜘蛛は、ぐったりと動かない少女たちに襲い掛かる。

 一瞬で距離を詰め、蜘蛛の腹をつま先で蹴り上げてひっくり返し、革靴で踏みつけて動きを封じる。人間離れした膂力に勝てず、蜘蛛は身動きすらとれない。そのまま銃弾を雨のように浴びせる。空薬莢が熱気を放って飛び散り、空になった弾倉マガジンが排出された。

 背後に迫る気配を感じるや否や、振り向きざまに片手に持った銃剣を投擲する。


『ギイイイ!』


 眉間に銃剣が命中した太った芋虫が、金切り声を上げて喚いている。

 白翅は制服のポケットから取り出した弾倉マガジンを一秒足らずで詰め替え、両手で照星サイトに目線を合わせると、五発立て続けに撃ち込んだ。

 頭部を完全に破壊された芋虫が紫色の体液をまき散らして地面に倒れる。そのまま前に向かって走り、芋虫が消失すると同時に、落ちて来た銃剣を受け止めた。

 今まで見たことも無い巨大な虫たちが涎と体液をまき散らして、暴れ狂う。悪夢のような光景を前に、生理的嫌悪が湧き上がってくる。それなのに。それなのに。


 攻撃の手を緩めようという気持ちが全く起こらない。どれだけ虫たちが暴れ、のたうち回ろうとも、少しも恐怖を感じない。自分が生き残るためなら、恐れずに必ず殺せる。

 その隣の床から現れた蜘蛛が突進しようと動き出した瞬間、目の前の木の床に四発の弾丸が命中し、空いた穴に脚をとられて動きを止めた。そして頭部を容赦ない連射で砕かれて崩れ落ちる。獲物を仕留めた翠が右手の銃を口にくわえ、弾倉を押し込んで装填を終えた。

 左手の銃は油断なく暗闇の中に向けられている。飛び出そうとしたもう一体が、たちまちのうちに翠に全身を穿たれ、光の粒となって砕け散る。


「生意気じゃない。化物のくせに使い魔を呼ぶとはね。魔術士をさしおいて」


 椿姫が吐き捨てる。炎弾の連射を受けて吹き飛んだ虫を優実が横に跳んで避ける。  

 最後の障子が吹き飛び、廃寺はもはや倒壊する寸前だった。建物全体が攻撃するたびに激しく揺れている。


「喰い殺されてもおなじこと言えるかクソ女!まだまだあ!」


 片手上げた優実が大口を開けて叫ぶ。


 屋根が突き破られ、なにかが飛んでくる。四人全員が散開し、攻撃を回避した。床を尖ったものが突き破る。白翅はその攻撃に既視感を感じた。


「気を付けて!空を飛ぶ虫がいる!」


 翠が屋根に向けて銃撃しながら大声で知らせた。

 かつて狙撃ポイントだったビルの屋上で翠を狙った虫だ。翅のある虫。天井が崩れ、その隙間から不快な羽音を鳴らす二体の虫の姿が確認できた。翠と共に、飛んできた茶色の飛来物をサイドステップを踏んでやり過ごし、二人同時に雨あられと銃弾を浴びせかける。金切り声が夜空から聞こえて来た。


「うううううううぐぐぐぐッ!」


 顔を怒りに歪めた優実が、カチューシャを毟り取ると、苛立ちながら地面に叩きつける。


「なんでなんでなんでなんでなんで!ちくしょう四人で私をいじめやがって!いじめるな!私からこれ以上なにも奪うなあああああ!」


 手下の虫たちとそっくりな金切り声を上げ、髪を振り乱しながら、床と壁を蹴ると、壁に体当たりし、突き破りながら外に転がり出た。


 ついに相手は逃走を選んだ。頭の中がうるさくざわついた。大きな危機が迫っていることを本能が告げていた。次の瞬間、天井からの飛来物の攻撃が、土砂降りのように勢いを増した。これまでで一番大きな振動と軋みが、攻撃が風を切る音と重なった。廃寺の建築構造が、ついに限界を迎えつつあった。崩れる。建物全体が。


「外に出るわ!全員、私の後ろについて!」


 拳銃で威嚇のために弾幕を張りながら、椿姫が全員の意識を自分に向けさせる。


「了解!」

「承知です」


 全員が、建物の外に飛び出しながら椿姫の背後に回り込む。


スリーツーワン0ゼロ!」


 椿姫が半球状の魔力の防壁を展開する。次の瞬間、激しい衝撃が次々と盾に襲いかかった。白翅が顔を上げると、崩れかけた屋根の上を二匹の複眼を持つ巨大な虫を翅を広げながら飛来物を放っていた。やがて一匹が攻撃の手を止める。いつまでも攻撃し続けることはできないらしい。その隙を突いて、防壁を解除し、絶妙なタイミングで茶花が鎌を風車のように旋回させて攻撃を弾いた。白翅達が一斉に散開する。


「私達が追います!」

「わたしも……!」


 周辺はいずれ、警察車両が詰めかけるだろう。しかし、それでも包囲は万全とは言えない。相手は飛ぶことができるからだ。そしてこの状況では、速く追いつけるスペックの持ち主が追跡するのが妥当だ。

 椿姫のステータスは魔力をガソリン代わりにして身体機能を底上げする。が、身体能力の優れた異誕には劣ることもある。それなら、敏捷性に特化した翠と白翅のペアが今回は適している。


「オーケー!任せた!」

「椿姫さんの援護は、専属武器の茶花にお任せください」


 椿姫もそう判断したのか、力強く頷いた。茶花が鎌を投擲する。大鎌は空中を回転しながらブーメランのような軌道を描いて、翅を持つ虫に襲いかかった。身を低くした虫の動きを予測した椿姫が炎弾を立て続けに放ち、虫の身体に火を放っている。茶花が援護しようと動いたもう一匹に、茶花は空いた手で、銃弾をどんどん撃ち込んでいる。

 蜂の巣にされた一匹に椿姫が火炎放射をぶつけた。火だるまになった翅虫は金切り声を上げて暴れ回る。もう一匹が距離をとり、再び飛来物を翅から放ち始めた。二人は再び迎撃を開始する。


「さあ、行きなさい!」

「行こう!」

「うん!」


 一瞬、並走する翠と視線がかち合う。強い意志のこもった瞳が、翡翠色の光を放った。

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