第十話 絡まる糸 case13
† † † †
時は少し遡る。円城家の聞き込みを終えた日の午後六時。翠は、不破が連れて行ってくれたラーメン屋で、ある疑問を口にした。
「不破さん。少し考えたんですけど……」
「どうした」
全員の視線が集中するのを感じながら、翠は続けた。
「高澤先生の誘拐の件、って
「ああ、そうだ。先生方には誘拐かどうかは分からないし、邦画研究会のメンバー達の失踪との関連性も、「不明」と伝えてある。で、生徒たちへの説明もごまかしてもらった」
「学校の子達は、確かそのことを知らないんですよね」
「ああ。確かにボカして伝えさせてるよ」
不破がラーメンを食べる箸を置く。
「自動車事故に巻き込まれて入院とな。生徒たちは誘拐されたとすら思ってないだろう」
「さっき、円城先生の妹さんの、優実さんに会いました。その時にあの子、こういったんです」
『まだ、わかりません。でも、ロリコンの仕業じゃないですね』
『だって今回誘拐されたの大人の人じゃないですか。高澤先生、どう見ても大人だし』
「どうして優実さんは、高澤先生が誘拐されたって思ってるんでしょう?入院してたことになってるはずなのに」
不破の顔が強張った。
「確かか?その時は円城先生の会話に集中してた。すまない」
「言われてみれば、その通りね。ボイスレコーダーありますよ」
椿姫が脱いだコートのポケットを探りながら言った。
「もしかしたら、言葉の綾かもしれません。不破さん、円城先生に、確認とってもらえませんか。ひょっとしたら口を滑らせて、いなくなったってことを言っちゃったのかもしれないし」
「すぐにとる」
円城が失踪を知っているのは当然として、優実が知っていることはあり得なかった。考えられる最悪の可能性は……
そしてしばらくして結果が出た。円城の携帯電話にかけたところ、円城はそもそも高澤の失踪について優実に伝えてすらもいなかった。
† † † †
「優実さん。やっぱりあなたがタグを使ってたんだね」
「へえ……そんなことまで分かるんだ」
まるでこちらを見下すような口調で、翠たちを
「あんたたち、目撃者じゃないんでしょ?なんか鉄砲持ってるし。あれに用があるんだ?ふうん。誰があげるもんか!」
憎々しげにそう叫ぶと、優実は木の床を強く踏み鳴らした。隣に転がっている蜘蛛の死骸が光の粒となって、跡形も無く消えていく。
「なんでわかったの?」
「あなたは高澤先生が誘拐されたことを知っていたからだよ。先生は生徒たちの間では入院してることになっていて、いなくなったことが伏せられてる」
「くっそ。なんだよ」
おそらく犯人でないことを無意識のうちにアピールしようとして、自分の推理を披露したのだろう。そして墓穴を掘った。
憤怒の表情を浮かべる優実の顔は、もはや人が良さそうとはとても思えなかった。
「どうして、円城先生を苦しめるの?」
翠の視線に明確な怒りが宿る。それに常軌を逸した苛立ちを含んだ口調で、優実が応じた。
「そんなこともわかんないの?」
「わかってるのよ、あたし達は。ただ、どうせロクな理由じゃないから呆れてるだけ」
椿姫が腕を組んだ。
「ずいぶん恩知らずなことするじゃない。あんたのこと調べたわ。あんた、円城先生の
「実際それに近いです」
茶花が軽口で応じながら鎌を呼び出し、利き手で握る。白翅が翠の側に進み出て、拳銃を片手で構えた。
「あんたたちに分かるもんか。私の気持ちが。私のストレスが。私がどれだけかわいそうな目に遭ってきたのか!お前たちが私を批判する資格なんかない!私はかわいそうなんだから!」
「知ってるよ。確かにかわいそうかもしれない。でも、今回の事は許されないよ。あなたは人を殺した。絶対に私達が許さない」
自分の声が微かに震えたのを翠は感じた。会長の里中はすでに息絶えていた。ひどくやせ細った姿で。
「ああ、誰だっけ?会長のこと?あのお山の大将?いっちょまえに『他の子達には手を出さないで!』なんて言うからムカついたの。だから食事は一番少なめにした」
椿姫が舌打ちした。高澤が呻くような声を出し、力無く項垂れた。
「この疫病神」
ぼそっと茶花が呟く。白翅が隣でこくん、と唾を飲み込んだ。
円城巴と
円城の父は横浜市内で画商を営んでおり、かなりのやり手で知られているようだ。
そして、仕事で付き合いのあった当時小さな会社を経営していた女性と結婚し、巴が生まれた。しかし、不況のあおりで巴の母の会社が倒産すると、彼はあっさりと妻を捨てて別の女性と結婚した。相手の女性は非常に優秀な予備校講師だったらしい。
その女性との間に生まれたのが優実だ。巴の母はその後、鬱病をわずらい、アルコール依存症になった。その結果、巴が高校生の頃に腎臓を壊して亡くなった。
ただ、一方で優実の家庭も上手くいっていたわけではなかった。近所の人々の話では、頻繁に怒鳴り声や優実を叱る母親の声が聞こえたらしい。特に教育熱心だった父母は過剰に勉強を優実に押し付けた。そのストレスが祟ったのか、小学校、中学校ともに受験に失敗したらしく、その影響で洲波の両親自体の中も険悪になった。
聞きこみによると、噂話に敏感な人はどこにでもいて、当時の様子に特に詳しかった者から話を聞きことができた。特に印象的だったのは「ちくしょう、なんでお前と再婚したんだろう。前は会社を潰すような無能な女だった。でも巴は優秀だった。お前は確かに有能だ、頭もいいし、金もよく稼ぐ。けど、産物があれじゃ話にならないだろ!なんのために離婚したかわからない!」
という父親の理不尽な怒声だった。巴たちの父は優秀な妻と、その間に生まれた優秀な子達と優れた家庭を築くのが夢だったようだ。だからこそ、プレッシャーに負けた優実は気に入らなかった。
後に、巴に電話で話を聞いた不破によると、その過程の状況に耐えられなくなった優実は、自分の住所を父の持っていた記録を漁って探し出し、家出して巴を頼った。
巴は玄関口で泣きわめく優実を放っておけず、自宅に居候させていた。実家とも連絡をつけたところ、「返せ」と言われる事もなく「気が向いたら引き取りに行く」とだけ返事があった。それが一年半ほど前のことだ。いつまでも向こうの両親は現れなかった。近くの公立校に転校した優実は、巴の家で昔からそこで暮らしていたかのように過ごした。そして、巴はそのまま、
『あの大きな虫を操るのが犯人の能力なんだとしたら、あれに被害者を捕まえさせて空を飛んで運ぶこともできるはずです。車が無くてもこの方法なら運べます。被害者達は結構遠くにいるのかも』
これは翠の立てた仮説だ。もしそうなら、優実が都内ではなく、自分の土地勘のある場所の周辺に被害者達を隠しているという可能性がある。
そこで、不破は方針を変え、捜索場所を優実の以前住んでいた神奈川の自宅周辺に変更したのだ。そして、普段人が立ち寄らない場所を順番に探していった。
そして、何人も人を隠せそうな場所を探り当てた。それがここの廃寺だった。優実の自宅から六キロほどしか離れていない。
誤算だったのは、翠達とほぼ同じタイミングで優実が人質たちの様子を見に来たことだった。
「……どうして」
ぽつり、と白翅が呟く。
「お姉さんのこと、ほんとは嫌いだったの?だから……」
「違うよ、バカ。好きだからだよ」
白翅がきょとん、としている。
「好きなら、どうして苦しめるの?円城先生はたくさん陰口を叩かれた。先生を犯人だと思ってる人もいるんだよ!一番先生が苦しんでいるのはあなたのせいだよ。どうしてそれで好きなんて言えるの⁉」
「バッカだなあ。ちっちゃいけど小学生?勉強できないでしょ、あんた。私の天才的な作戦なのよ、これは」
きつく問い質す翠に、勝ち誇ったように優実が笑う。その躰から流れ出す異誕の気配が一気に強くなった。
「これでお姉ちゃんの周りには誰もいなくなる。孤立するの。そうしたら、お姉ちゃんは私に頼るしかない。私達はそうすることで、はじめてほんとうに分かり合えるのよ!私はかつて孤立した!お父さんも、お母さんも、友達も、みーんな私から離れていった!けど、お姉ちゃんだけは私を受け入れてくれた!お姉ちゃんも私と同じように孤立する!そして、その時気が付くの。私と同じように、「私にはもうこの子しかいない」って!私達はそれで初めて同じになるの!分かり合えるのよ!私にはお姉ちゃんしかいないのよ!」
自分に酔ったように頬を紅潮させ、両手を広げる。
「それなのに、あの映画?研究会だかなんだか知らない奴らが割り込んできて、お姉ちゃんはそっちに時間を割くようになったの。いつもいつも楽しそうに、その話を家でする。夜遅くまで家でメッセージアプリで会話してる。高澤も家に来るようになった。お姉ちゃんは私以外好きになったらダメなの。だって、はじめて私を何の見返りもなく大事にしてくれた人なんだから!ほかに大事な人ができたら私を大事にしなくなるかもしれない。だから……」
唇を歪ませ、醜く優美が笑った。
「思いついちゃったの、邪魔者を消して、お姉ちゃんが私だけに頼るようになる方法。そして、それができるようになる魔法を、私は貰った!」
翠達の踏んでいる、傷み、劣化した木の床のあちこちが、大きく軋みを上げた。
「みんな、下がって……!」
翠の警告と同時に、いち早く危険を察知した白翅が銃剣を素早く抜きながら、K100を構えた。
床の木材を突き破って、何体もの大蜘蛛や、翅を持つ巨大な虫が室内に姿を現した。そのうちの一体に、翠の放った
湧き立つような怒りで顔が熱くなるのを感じながら、翠は駆け出し、銃撃を継続する。
「不破さん、周辺を封鎖してください!白翅さん、援護をお願い!」
「わかった…………!」
『既に手配した。狙撃班にヘリも導入する』
「あいつらを鎮圧するわ!優先して司令塔を潰す!」
「了解です」
分室の制圧部隊が、一斉に己が役割を果たすため、行動を開始した。
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