第十話 絡まる糸 case15
藪の中を駆け抜ける。寺の裏側には鬱蒼と茂った樹木の乱立した雑木林が広がっていた。足場はでこぼことして、ひどく不安定だ。
翠は前方の夜の闇に向かって、ゆるぎない視線を向けている。白翅は健脚を最大限に使って、追跡を続行する。
翠の後から走り出した白翅だが、今は彼女の横に並んでいた。
異誕は、同種である異誕の放つ気配を、『違和感』という形で認識することができる。
特に対象が大きな挙動を起こす時、その気配は濃く噴き出る。これは異誕が行動を行う時に使用する、体内のエネルギーの量に関係しているのだという。
そして、その動きは消費量が大きいほど察知しやすい。
翠はその気配の痕跡を頼りにしているため、標的を見失うことなく、追跡を継続することができるのだ。
首の後ろが急速に冷えた。瞬間、翠が急ブレーキをかけて立ち止まる。
六メートルほど先の木々の間で、優実が肩をいからせて立ち止まっていた。歯の隙間から漏れる獣のような歯ぎしりの音が、白翅の感じる戦慄を研ぎ澄ませる。
「逃げると思ったあ?思ってたんでしょ?私を弱虫だと思ってるから。そうなんでしょお。逃げはしないよ」
「どういうこと……?」
翠が油断なく両手で銃を向けたまま尋ねる。彼女も荒い息をついていた。白翅もすぐ横で銃口を同時に突きつけた。
「だって私、逃げ場なんかどこにもないんだもの。お母さんを邪魔もの扱いするあのお父さんのところには帰れない。それでお母さんは私を邪魔もの扱いする。誰からも邪魔もの扱いされた私はどうすれば良かったと思う?」
喉をくっくっくっ、と鳴らしながら優実が言う。
「どうすればよかったと思う?」
「あなたは……今回の事件を起こすべきじゃなかったの。あなたはお姉さんに助けを求めたよね。お姉さんはちゃんとあなたを助けたでしょ?。なのに、どうしてこんな仕打ちをするの。あなたのせいで、お姉さんがどんな思いをしているか……」
胸の底が軋むように痛んだ。円城先生に対する同情だけではない。胸の内にある感情の中には、目の前の少女に対する憐れみも含まれているのかもしれなかった。
「知ってるよ。でもおかげで私達もっと仲良くなれると思う」
「「私達」…?」
「そう、私とお姉ちゃん。何故だかわかる?わからないの?わからないんでしょう?」
こちらを弄んでいる。優位に立っていると錯覚しているのか。
「こうすれば、お姉ちゃんも一人になる事の辛さを分かってくれる。それがどれだけ辛いことか。分かち合える!そうすれば、そうすれば……」
熱に浮かされた口調で、彼女は続けた。
「邪魔ものがいなくなった環境で、お互い孤独を知った環境で、もっともっと私達は分かち合えるの!すごくない?」
「……正しくない……」
白翅は思わず呟いた。目の前の少女はただただ自分の都合しか考えていない。元からそのような傾向の持ち主だったのかどうかはわからないが、もしそうなら、タグの影響でそれが増幅されているのだろう。円城の苦しみなどお構いなしといった様子だ。
「わからないなら、いいよ。わたしはわかる。だって私はアンタ達より賢い」
昏い狂気に浸食されきった笑みを浮かべて、自分を誇示するその姿を、円城が見ればどう思うだろうか。これがタグによる影響なのか。あの認識表はそこまで人を狂わせるのか。何の罪も無い人を殺してもなんとも思わないほどに。
『ギイイヤアア!』
近くの土を突き破って現れた大蜘蛛が現れ、毛の生えた前脚による刺突による猛攻を繰り出してた。優実の姿が闇にまぎれ、黒い影となって、木々の表面を蹴り、腕を振り上げて迫り来る。
大蜘蛛達は、不気味な単眼と、醜悪な肢の全てで白翅達を捉えようとする。翠が制圧射撃を行っている間に、白翅は全身の感覚を研ぎ澄ませた。
別方向からも敵意を感じて、白翅は視線を向けずに脅威の場所を推測する。十時方向。
虫達の眼が闇の中から翠達を凝視していた。別の大蜘蛛が二体、猛然と迫りつつある。
すかさず、白翅は銃口を真っ直ぐに構えた。
「そっちをお願い!」
「うん……!」
人間のスペックを超える複数の敵と混戦状態になった時、照星で狙いをつけている余裕はない。
銃身を顎の先まで下げ、前に両腕と共に突き出すと、ポイント射撃に切り替えて撃ち続ける。
大蜘蛛が八本の足を使って回避しようと足掻いた。が、逃れる軌道を読んだ白翅は、そのルート上に狙いをつけ、空間ごと連射で撃ち抜いていく。
二発の銃弾が蜘蛛の胴体にめり込み、別の脚から繰り出される攻撃をあえて前進して横にずれ、時には飛び越えて躱し、再度銃弾を放つ。
脚を弾丸にちぎり取られ、機動性が落ちた蜘蛛の頭を追撃の銃弾が破壊した。
苦しげな声と共に、目の前の蜘蛛が土に倒れ伏す。
「あのさあ……あんた達自分の立場分かってる?ここまで喋ったのは……」
白翅が右足を下げる。排出された弾倉を手で受け、即座に交換。腰を落とした体勢で、敵の追撃に備えた。
「あんたたちを生かして帰さないからだよ!」
「このお!」
翠が叫び、P226を撃ちながら、縦横無尽に動く優実を牽制している。
相手は加速し、突っ込んでくる。それと同時に、優実自身の口から大量の白い糸が吐き出された。
白翅を背中に庇うようにして、翠が突進する。二つの銃口が火を吹き、糸の網を銃弾が直撃する。素材不明の硬質の糸。人質達を解放する際にも、外すのにかなり手間取ったものだ。一撃で破るのは困難。ならばと二人は弾幕をなるべく同じ箇所に集中させ、糸の繊維を引きちぎる。
そのちぎれた網の向こうから、優実が狂ったように加速して飛び出した。狂気に取り憑かれた瞳が赤く輝き、尖った犬歯を剥き出しにして、人外と化した少女が襲い来る。
「翠……!肩貸して!」
「うん!」
翠が軽く腰を曲げて右足を踏ん張り、銃撃を続行する。
翠の左肩を踏み台に軽やかに跳躍、銃剣を右手に構えて、相手の頭上を飛び越えながら空中で一回転、さらに横に身を捻り、敵の首を掻き切ろうと刃を走らせた。
とっさに優実が身をひねって、刃を避けた。白翅は着地した瞬間、低く伏せながら、優実の足首を狙って切りつける。
翠の銃撃の援護に対応しながら、優実が高く飛び上がり、近くの木々を蹴りながら、空中で大量の糸を吐いた。二人は銃弾を放ちながら、左右に分かれて距離をとる。まとまって硬くなった糸束が、地面を激しく打ち、土塊が飛び散った。
跳ね返った大量の糸が空間に広がり、視界の一部が覆われる。
「……!」
『ジイイッ!』
その死角を狙い、大蜘蛛が飛び出してくる。翠には優実が襲いかかった。
翠が目の前まで近づいて来た優実に銃弾を放つ。横に避けて躱した優実が、細い足で蹴りを放った。空気を震わす一撃を、翠が頭を反らしてやり過ごし、向かってきた拳に銃身を叩きつけた。そのまま右手の銃のグリップを顔に叩きつける。相手が頭突きでそれを迎え打った。またも翠が銃弾を放ち、後ろに跳び退って距離をとる。
大蜘蛛の脚が、顔の近くまで迫ってきた。視界に旋回する脚が飛び込んだ一瞬を狙って、白翅は右拳に握った銃剣を閃かせる。切断された脚が、闇の中で宙に跳ねた。紫色の飛沫が飛び散る中を、白翅は疾風の如く速さで駆け抜ける。アドレナリンの大量分泌による脳内の処理速度の向上のおかげで、次の動作が、ひどく緩慢に視界に映った。
(どう動くか、見える……)
『ギ、ガ、……!』
そして、
光の速さで繰り出される刃が、虚空を飛び回り、闇を引き裂き、夜に紛れようとする超常の軌跡を阻んだ。あっという間に残り七本の脚は切断され、受けた威力を殺しきれず、様々な方向に回転しながら吹き飛ばされた。
一瞬にして機動性を奪われた大蜘蛛の肉体が地面に沈み込み、それと同時に宙を舞う脚の一本を左手でキャッチする。持っていた
「はあ⁉」
困惑の叫びを上げながら、優実は尖った蜘蛛の脚で突き刺され、勢い余って近くの木に叩きつけられた。肩を貫通した蜘蛛の脚が木の表面に刺さり、優実を
木の床や土を突き破ることのできる脚だ。相当硬いことは想像が付く。その効果を確認すると、白翅はまた振り返り、身体を引きずりながら体当たりを繰り出す蜘蛛の胴体を、相手の勢いを利用して、逆手持ちの銃剣で真っ二つに切断した。
そして踵を返し、援護へと移ろうとした時────白翅は瞠目した。
「うがああああああああああ!」
優美が喚き散らし、血が噴き出すのも構わず、無理やり木の表面から身体を引き剥がした。そして、がむしゃらに突っ込んでいく。翠の身体がある場所へと。
「止まりなさい!」
翠が銃を両手で構え、手足を狙って銃撃する。四発が命中し、疾走する優美の躰が衝撃で歪に傾く。しかし、四肢の筋繊維を引き裂かれても、優実の勢いは止まらない。
「ごあああああああ!」
「くっ!」
翠が体当たりで突き倒され、手の中の銃が地面に叩きつけられた。艶やかな黒髪が土の上に散る。
「食ってやる!喰えば治る!喰えば治る!んんんんんんそんな気がするうううううう!」
その上に大きかぶさった優実が真っ赤な口を顎が外れそうなほど大きく開けた。
翠の眼が大きく見開かれる。
「危ない……!」
迷っている暇は無かった。食らいつこうとする優実の横顔がひどくゆっくりと視界に映った。銃を構える。照星に目線を合わせ、狙うべき場所を正確に見据えた。
鋭い銃声、そして、べちゃッという水音が響き、照星の奥で優美の頭が弾けた。小柄な身体が横に傾く。白翅を狂気を孕んだ目が呆然と見据えた。
白翅は、引鉄を立て続けに絞った。迫る銃弾が相手の顔の肉を穿っていく。銃創から血が噴き出し、優実の顔があっという間に潰れたトマトのように崩れ、真っ赤に染まった。
「翠……!」
白翅は駆け寄ると、痙攣している優実の身体を横に突き飛ばした。
血と脳漿の混ざった液体が、土に吸い込まれていく。出来上がった血溜まりの中に、いつのまにか鈍く輝くタグが現れた。青白い炎が上がり、それはすぐに燃え尽きてしまう。
ゆっくり翠の身体を引っ張り起こした。
「はあ、はあ、ありがとう……」
翠は激しく息をつく。薄い胸が、呼吸に合わせて上下していた。
白くあどけない頬に一筋の汗が伝う。
「……大丈夫」
白翅はそっと、翠を抱きしめた。翠が
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