第十話 絡まる糸 case11

「不破さん、大丈夫みたいですね」

「まだ分からないわ。警戒を続けるように」

「……はい」

「いつでも準備万端なのです」


 不破が円城の自宅に招かれてから十五分が経つ。不破が集音機能のついたインカムを耳にはめこんでいるため、翠達にも不破たちの様子は伝わってきていた。

 なにか飲んでいるらしく、喉が動く音がかすかに聞こえて来た。


 万が一円城が犯人であった場合に、抵抗されたらすぐ対応できるように通信を繋いだままにしていたが、どうやら杞憂だったらしい。

 分室の四人は自宅の塀の周りで、二人ずつ別れるようにして待機を続けていた。制服姿のままで来てしまったことを少し後悔した。

 どこかで着替えてくればよかった。誰かに見られたら目立つだろう。


『……いいえ。ありません。私の周りは、いつもと何も変わらず』


 円城の声はどことなく疲れを含んでいた。翠は内心、円城を疑う気を無くしていた。どう聞いても、事件に振り回され、あらぬ噂を立てられているだけのただ気の毒な人としか思えない。


 ふと、かつて顔裂きの森下麻衣が犯人であることを見抜けなかったことを思い出し、苦い気持ちになった。翠は森下に一度会っている。それも犠牲者がまだ一人だけの段階で。

 もしあの時に彼女が犯人であると見抜けていたなら……。

 翠はぎゅっと目をつぶった。


(そういえば……)


 ほんの数日前に見た悪夢を翠は思い出す。そこに出て来た人間の中に、森下はいなかった。彼女は生きているからだろう。

 ということは、確実に死んだ者が出てきているということだ。

 嫌だな、と翠は心の中で呟く。それじゃあ、まるで夢に出て来た者達が本当に自分が殺した人達の幽霊みたい。


「……翠、平気?」


 澄んだ声で我に返る。目を開けると、白翅が心配そうに顔を覗き込んでいた。


「うん。平気」


 翠は笑いかける。白翅はこくり、とあどけなさを感じる仕草で頷いた。


「しんどかったら休んでもいいわよ。その代わり、なにかあった時の手柄はあたしが貰うからね」


 椿姫が薄くルージュの引かれた唇でにっと笑った。茶花はその後ろで右手で何かを持っているかのようなポーズをずっと維持している。いつでも鎌を呼び出せるようにしているのだろう。


「平気です!椿姫さんこそ、なにかあったら私がお手柄をとっちゃいますよ」

「言ったわね。いいわ、それなら犯人を見つけたら競争ね」


「誰ですか、あなた達」

「ほほう、こちらのセリフです」

「……違う、と思う」


 急に割り込んだ声に翠と椿姫が同時に振り返った。

 茶花と白翅の視線の先に、赤いカチューシャをつけた小柄な影が立っていた。

 小さなリュックを背負った中学生くらいの女の子で、翠より五センチほど背が高い。やせぎすな体型で、いかにも人の良さそうな顔をしている。

 彼女は翠たちに訝しげに視線を送っている。来ているセーラー服には見覚えがあった。連続失踪事件が起きている東麹町中学校のものだ。


「ここ、私の家ですけど……なにか?」


  不審がるのも無理はない。自宅の前でたむろしている他校の生徒たちはどう考えても怪しい。


「違います、私たち怪しい者じゃ……」

「良かった。あなたが妹さんね」


 翠の弁明を遮って椿姫が声を掛け、門柱の近くまで移動した。それと同時に茶花が小走りで近づき、椿姫のすぐ前に移動した。


「初めまして。警視庁の二渡ふたわたりです。あなたのお姉さんに、状況確認のためにもう一度話を伺っているの。よかったらあなたの話も聞かせてほしいわ」


 椿姫が前髪をかきあげ、パスケース状の警察手帳を内ポケットから取り出し、手元でパカっと開いた。夕日に桜の代紋が輝く。

 椿姫が年齢をごまかして聞き込みをする際に支給されるものだ。ちなみに、二渡というのは椿姫がよく使う偽名だった。


 四人の中で、椿姫だけがいつのまにかトレンチコートを制服の黒いブレザーの上から着込んでいた。

 下は同じく黒い生地の短めのスカートのままだが、移動した茶花の躰で、ちょうど死角になっている。

 そして、なにより警察手帳のインパクトが女の子の視線を引きつけていた。

 椿姫の機転に感心しながらも、もしかしたら椿姫さんも、桜の代紋に魂を売ってしまったのだろうかと翠は一瞬訝った。

 翠としては、彼女には健康なままでいてほしい。椿姫の顔立ちはすごく整っていてしかも大人びている。それが、まだ十代の少女だと疑われない理由の一つだ。


「警察の……人ですか」


 目を大きく開いて女の子が言った。


「高澤先生が言ってたわ。円城先生が体調を崩した時電話をくれたって」

「ああ、はい。確かに私です。私のこと、話してたんですね」

「ええ、ちょっとだけね。えっと、円城……」

「優実です。そうですか……ところで、その人達は、なんなんです」


 椿姫は動揺することなく次の言葉を切り出した。


「連続失踪事件の時、現場近くにいた子達なの。五件目でね。話を聞くついでに何かを奢ってあげようと思って待ってもらってるの。警察に行くって勇気いるのよ。そのお礼みたいなものね。それと、あなたのお姉さんには、いま私の先輩が聞き込みしてるわ」

「……ずいぶん気前がいいんですねえ。警察の人って」


 優実が初めて笑顔を見せた。やはり人が好さそうだった。


「ねえ婦警さん、ラーメンまだなのですか。茶花はお腹すいちゃったんですう」


 茶花が椿姫の顔を見上げて軽く背中を椿姫にぶつけ、演技過剰なくらい甘えた声を出した。


「ええ、もう少し待っててね。お姉さん、今からこの子にお話聞かなくちゃいけないの」


 椿姫が少し強張った顔で笑みを浮かべながらそれをスルーした。


「……わ、わたし、はあっさりしたのがいいな」


 隣から聞こえたか細い声に驚く。白翅まで乗った。自分も乗るべきだろうか。


「どう?優実さん。あなたから見てお姉さんの様子は。変わったところとかない?」

「あるわけないじゃないですか。あんまりお姉ちゃんのこと疑わないであげてください。お姉ちゃん、繊細なんだから」


 笑みを浮かべたまま優実がフォローを入れる。椿姫からの情報によると、円城先生が休んでいるときには、自分も学校を休んで献身的に看病していたらしい。高澤には何度か話を椿姫は聞いていた。その時手に入れた情報なのだという。


「疑ってるわけじゃないのよ。むしろ、警察としては彼女が心配なの。彼女だって研究会の一員じゃない。顧問なんだから。だから、狙われたりしないかって」

「そうなんですか……」

「どう、あなたの周りでなにか変わったことは無い?誰かに跡をつけられてる気がするとか、不審者を近くで見かけたとか」

「なにも……でも、不安なのはほんとうです。なにか、警察のかたは手がかりとか見つけてないんですか?誰々が犯人かもしれないみたいな情報は無いんですか?」

「具体的なのは何も。それに詳しくは守秘義務があるから教えられないの」

「守秘義務……。でも、お姉ちゃん、疑われて迷惑してるんです!学校でもいろいろ噂されてるし……私だって迷惑だし……でも、別にいじめられてたりするわけじゃないけど……とにかく、なんとかしてほしいです」

「分かるわ。私も申し訳ないと思ってる。悪い噂って本当にストレスよね。ところで……」


 優実は懸命に訴えている。苦しんでいる家族を持つ者としては当然の反応だろう。翠もその気持ちは理解できた。

 椿姫が大きく頷きながら、質問を続けた。


「学校ではどういうことになってるの?相変わらず円城先生が怪しいって?」

「はっきりとはみんな言いません。でも、やっぱり噂は広がってるみたいです。その証拠に、いつまでたってもお姉ちゃん自身が失踪しないじゃないかって……犯人だから狙われないんだろって、遠回しに言ってるんです」


 優実の声は悔しそうだった。


「クラスのあの人たち、なにも分かってません。お姉ちゃんはいい人なのに……。私もお姉ちゃんの疑いを晴らすためにいろいろ調べたんですけど、あまり分からなくて……」

「へえ、あなたなりに調査してるんだ」

「邦画研究会の噂話を調べたりしてる程度ですけどね」

「偉いけど、危険だからやめた方がいいわ」

「でも、やめられないです……お姉ちゃんが心配だし。犯人像が絞り込めればなあ……」


 若干遠い目をして優実が言う。確かに、このまま捜査に首を突っ込みすぎるのは危険だ。どこで犯人の怒りを買うか分からない。


「本当に誘拐だとしたら、どうせ、どこかのロリコンの仕業かなって、私も思ってたんです。最近は違うかなって感じですけど」


 顎で手を当てて優実は考え込んでいる。自分なりの見解まであるのか、と翠は驚く。小さい頃、ホームズに夢中になって探偵ごっこをしたことを思い出した。しかし、今はそれよりずっと危険な話だ。


「ちなみに、あなたの推理は?」


 椿姫が興味深げに尋ねた。


「まだ、わかりません。でも、ロリコンの仕業じゃないですね」

「あら、それはどうして?」

「だって今回誘拐されたの大人の人じゃないですか。高澤先生、どう見ても大人だし」

「ほんとだわ……難しいわね……」

「……!」


 その時、玄関のドアが開いた。姿を現したのは不破だった。


「どうだ。聞き込みは順調かね。二渡君」


 状況を把握した不破が椿姫をねぎらった。


「はい、あらかた聞いてしまいました。もう終わりです」

「そうか、こっちもだ。そろそろ引き上げるぞ」


 それじゃあ、と手を振って、椿姫は聞き込みを終える。


「絶対に犯人捕まえてくださいね!」


 優実が手を振りながら、叫ぶように言った。



 翠も応えるように手を振る。上手く言葉が出てこなかった。

 分室の五人は、車を停めてある路肩まで徒歩で移動し、一斉に車に乗り込んだ。


「情報は後で共有しよう」


 シートベルトを締めながら不破がエンジンをかけた。


「で、ラーメンがなんだって?」

「おお、聞こえてたんですか」


 茶花が声を弾ませる。


「まだ奢ってもらえると決まったわけじゃ……」

「双方向無線だからな。聞こえてるよ。なかなかいい芝居だった。労をねぎらって今日は私が奢ろう」

「ありがとうございます」

「……嬉しい」

「ホントですか。ごちそうになります!」

「もう口の中が涎でいっぱいです」


 口々にメンバーが喜ぶ中、車は走り出した。翠は窓の外に向ける。景色が流れていくなか、優実の声が頭に蘇ってきた。


『クラスのあの人たち、なにも分かってません。お姉ちゃんはいい人なのに……』


 車窓に映りこむ翠の鮮やかな緑の瞳に、遠くに見える夕日が重なった。



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