第十話 絡まる糸 case7

「ほら、翠、早く来なさいよ」

「よちよち歩きだった茶花も、いまや歩幅が翠を超えました」

「……どうしたの、翠?」


「あれ?」


 ぼうっとしてしまっていたようだ。前を分室のメンバー三人が歩いていく。翠は我に返り、いつの間にか自分が立ち止まってしまっていたことに気が付く。私たちはどこをいるんだっけ?

 周りに見覚えがある気がする。そうだ、ここは近所のショッピングモールだ。昼間なのに、なぜか誰もいないけれど。今日はみんな定休日なのかな。そういえば、店舗のシャッターも全部閉まってる。


「ほら、早く」


 椿姫、茶花、白翅、の三人が促してくる。三人とも笑顔でとても楽しそうだ。翠も笑いかける。歩き出す。今日は、仲のいい子達とお出かけだ。気持ちが弾んでくる。

 けれど、どれだけ歩いても三人には追い付けない。どんどん先に行ってしまう。


「待って、みんな」


 待ってよ、なんで追いつけないんだろう。私、もしかして疲れがたまってるのかな。ダメだなあ、私はもっとしっかりしなくちゃいけないのに。だって……


「もう、みんな早いよ」


 なんでしっかりしなくちゃいけないんだっけ。まあ、いっか。だって私、今はこんなに楽しいんだから。大丈夫。だって、今はこんなに晴れてるんだもん。きっと道にも迷わない。だから、大丈夫。翠は手を更に伸ばす。


 あたりが、急に真っ暗になった。


「えっ」


 三人の姿が前に見えない。そして、伸ばした右手の先には


「よお、久しぶり」


 褐色の肌の顔と、その後ろから伸びる黒く長い三つ編み。

 獰猛な目つきの生首が眼の前に浮かび、それが自分の右手の先にあった。


「リヨン……」


 生首が口を開けた。赤い口と、歯並びの悪い口が自分の右手に食らいついた。

 

「あ、ぐっ!」


 激痛に堪えながら、自分のスカートの下に隠したレッグホルスターからP226 を左手で抜き、その頭を撃ち抜こうとする。


「ほら、こんなふうに撃つのか?」

「ッ!」


 いつの間にか左手を強く掴まれていた。痺れるように痛い。

 濃い化粧をした女がいつの間にか、まるで地面から急に生えて来たかのようにそこに立っていた。人種のよく分からない肌の色をした、老獪な印象の女。


「ガラド……」


 自分の両親を殺した、長寿の異誕。自分を誘拐して弄び、ひたすら痛めつけて監禁した。自称コレクターの悪趣味な物好きの異誕。なんでここに、なんで。

 左手の銃を奪われる。


「きゃはあ!あの時のお礼だぜ!」


 リヨンの生首にいくつも風穴が空き、そこから血が噴き出した。翠の顔や体にそれが振りかかった。吐き気を堪えながらも、翠は反撃の糸口を探る。銃が無い。それならナイフを。


「……!」


 いつの間にか両手、両足に太く、頑丈な鎖が巻き付いている。

 翠は大きな冷たい檻の中にいた。翠はその場所に見覚えがあった。

 ここは、ガラドのコレクションルームだ。猛獣用の檻の中に、翠の身体はいつの間にか入れられていた。


「どうして……ここは……」


 いつのまに、自分はこんなところにいるのだろう。私は、確かにみんなと出かけていたのに。

 汚れた薄い肌着のような格好で、冷たい檻の中で自分はひとりぼっちで拘束されている。みんなは、どこ?心細さで胸の中が急速に冷えていった。寂寥感が押し寄せ、喉元まで胃液がせり上がってくる。


「白翅さああああん!椿姫さああああああん!茶花さああああああん!誰か、誰か、いないのおおおおおおお!」


 声の限りに、叫び続ける。必死に手足を振り回した。けれど、鎖がジャラジャラと音を立てるだけで、身体が動かない。


「怜理さあああああああん!」


 途端に、胸が締め付けられるように苦しくなった。目頭が熱くなって、涙が零れ落ちていく。どうしてこんなに悲しいんだっけ?怜理さんが、どうして?

 どうして怜理さんの名前を叫ぶとこんなに悲しいんだろう。

 どうして、みんないないんだっけ?


「来るわけねえだろ」


 低い声がした。右手が急に激しく痛み出す。

 叫び声を上げそうになった。右手にリヨンの頭が食らいついていて、自分の拳をばりばりとむさぼっている。


「う、うああああ!」


 痛い。痛くてたまらない。なんでこいつが、だってこいつは私が──────。


「よくもあたしを殺したな。殺してやったぞ、お前の相棒を」


 生首が口を血だらけにしてにやりと笑う。


「よくも私を殺したな」


 拘束された左手から血が噴き出した。ガラドの頭がリヨンと同じように自分の左手を食べている。むさぼっている。


「やめ、て、やめて!離れてよおおおおおおおおおお!」


 叫び続ける、叫び続ける。痛い、痛い、どうしよう。私の手が無くなっちゃう。手が無くなったら、私はだれのことも助けられない。私は異誕を殺すんだ。苦しめられている人たちを助けなきゃ、他のみんなを守らないと。


「白翅、さん」


 そうだ、あの子を助けないと。私が支えないと、だってそうしないとまた。

 脚を懸命に振り回して、なんとか立ち上がろうとする。重い鎖を押しのけようとした。


「………!」


『よくも殺したな』


 足元から何重にも重なった声がした。暗い色の迷彩服を身に付けた、血まみれの男たちが何人も折り重なるようにしてひしめきあい、翠の両脚を引っ張っていた。両脚をついた金属の檻の底は男たちの身体から流れ出る血で水浸しだ。


「殺してやるよシラハもあいつらもみんなみんなお前の惨めな親どものように」

「どうやって撃つんだよ?その両手で」

「殺してやったぞみんなみんな」

「あの女も同じにしてやる」

「お前の命はあたしたちのものだ」

「これから生きていてもどれだけ得ようとも、最後には全部あたし達のものにしてやる。お前の命にはあたしたちがもう唾をつけちまってるんだ」


 口々に生首と男達が叫ぶ。


「お前が手に入れるもの全部全部あたし達のものだ。楽しみだなあ。あたし達は口開けて待ってるだけでお前の全てが手に入る。お前を噛み砕ける。はやくちょうだいよ。お前の命。お前が生きた果ての命。お前が手に入れたみんなみんな。全部あたし達にちょうだいよ」


 げらげらとリヨンの首が笑い出す。鼻の先で、笑っている。とても楽しそうに。


 銃がない。私の手元には何もない。みんなはどこ?お父さんとお母さんは?怜理さんは?白翅さんは?


「はやく死ねよ。お前から全部ぜんぶ奪ってやる。お前はデザートだ。お前の仲間の命もみーんなあたしたちのものだ」


 両目から涙が流れ落ちる。逃げられない。両手も両脚も動かせない。はやく動かなきゃ。


 真っ暗闇の中から、黒い二本の腕がぬっと現れた。それに頬をはさまれ、ぐっと固定される。冷たい、金属のように硬い腕だ。顎を掴まれ、もう一本の手が、なにかを宙に掲げてみせた。真鍮のような色をした、楕円形の認識票タグ


 顎を掴む手に力が加わり、骨が砕けそうになる。


「んーーーー!んーーーーーーーー!」


 翠は絶叫する。『タグ』を持った手がこっちに伸びてきて、翠の口の中に認識票を無理やり押し込んだ。


『キャハハハハハハハハハハハハハハハハ!』


 周りの血まみれの生首と、死体のような男たちが哄笑を上げた。

 翠は全身で抵抗する。泣き叫んだ。助けを求めて。閉じようとした口の歯が折れ、歯茎が裂けて血が流れ出した。喉の奥に、冷たい金属が無理に押し入ってくる。


『ほら、はやくこっちに来い。お仲間も連れて来い』


「なにせ、てめえは人殺しだからなあ」


 リヨンが嘲笑う。


「仲間も敵もみんなお前のせいで死んでしまう。わたしを殺したやつもようやく死んでくれたっけなあ」


 ガラドがせせら笑う。怜理の顔が頭をよぎった。

 迷彩服の男達が声を揃えてよくわからない言葉を叫んでいる。その折り重なる体の奥には、様々な服装の男女の姿が何人も見えた。たくさんの声が聞こえてくる。あらんかぎりの呪詛を、翠に向かって吐き出している。


「あ、あ、げほ、げほっ」


 翠は激しく咳き込む。思わず身体を折り曲げた。


「ママ。パパ。わたし、死んじゃう、死んじゃう、よお」


喉の奥から声を絞り出す。


『呼んだかね?翠』


 下から声がする。足元の血だまりには自分の姿だけじゃなくて、ガウンを着た優しそうな男の人が写っていた。


「パパ……?」


 その隣にはエプロンを付けた女の人が寄り添っている。女の人は首から上が無かった。


 右肩が急に重くなった。肩の素肌に生ぬるい感触が伝わる。それがなんなのか確かめたくて、ゆっくりと、ゆっくりと右に首を回す。


 誰か分からないくらい傷だらけで、血まみれになった首が右肩に乗っていた。


『翠……』


 ずたずたに裂けた唇が開いた。


『おかえりなさい……』


 ママ。


「いや、やだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」






「わあああああああああああああああああああああああああ!いやだ、やめて、やめて!ああああああああああああああああああああああああああああ!」


 激しく跳ね起きる。手足を振り回した。視界が、手振れを起こしたカメラのようにぐちゃぐちゃに角度を変える。

 固い床に体が叩きつけられた。木の床の生ぬるい感触。ベッドから墜落したのだとようやく気付いた。両手を動かして頭を抱えて声を押し殺す。


「うう、ううううう」


 激しい嘔吐感が込み上げてくる。身体を前に折り曲げて、それを必死に飲み下した。ごくん、と喉が鳴る。喉元まで響いてくるほど、心臓の音がうるさい。

 胸が張り裂けそうなほど強烈な不安が襲ってくる。身体中が汗でびっしょりと濡れていて、寝てる間に水につけられたかのようだった。心臓の音がなおも響いてくる。


 居なくなった五人の少女達の写真が順番に頭をよぎった。そこに両親の顔、さまざまな表情、目を閉じた怜理の死に顔が覆いかぶさるように頭に浮かんだ。


  血塗れでぐちゃぐちゃになった母の顔が怜理のそれと重なり、頭の中に強いイメージとなって浮かび上がる。胸が激しく苦しい。どうしてこんな気分にならなくちゃいけないんだろう。わかってる。私が手がかりを逃してしまったからだ。あいつらを倒せなかったからだ。そんなことはわかってる。


「はあ、はあ、はあ」


 喉がとても渇いている。周りは真っ暗だ。電灯を消しているのだから当たり前だ。


 なんとか深呼吸する。吹き上がる嘔吐感は消えてくれない。あらんかぎりの力でそれを飲み干した。咳き込む。飲み干す。それを何度も繰り返す。


 あたりを見渡す。正確に状況を把握するために。そうだ、今は戦っているのと同じだ。


 自分のいる小さな木製のベッドに、本がぎっしり詰まったスチール製の本棚。シンプルなデザインの電気スタンド。勉強机。そこに附属している蔵書よりはるかに少ない教科書と参考書。


 ここは自分の部屋だ。翠はようやくしっかりと自分の状況を把握する。ベッドに背を持たせかけ、床のカーペットに尻もちをついたまま薄い胸を上下させた。汗を吸ったキャミソールはひどく乱れていた。寝ている間に胸を激しく掻きむしったのかもしれない。


「う、ううううううう」


 嗚咽をこらえることができない。目の奥から後から後から、涙が出てくる。 悲しみに暮れている暇なんて無いはずなのに。ただただ悲しかった。


 翠達の待ち伏せは失敗した。あの虫のような異誕が、今回の連続失踪事件の犯人と関係があるのは間違いない。けれど、二匹のうち一体は急に消えるようにいなくなった。逃げられてしまったのだ。翠は二匹目が現れた時、二匹目をわざと逃がして発信機を取り付けようと考えた。


 あれを犯人が操っているにしろ、あれが犯人そのものにしろ、必ず潜伏場所が分かるはずだ。そう考えたのに。

 今回の件は明らかに人為的な匂いがする。共通点のある人々を誘拐している以上、なにか理由があるはずだった。そして、人為的である以上、顔裂きの森下麻衣と同様、認識票タグが関わっている可能性は非常に高いはずだ。そして、上手くいけば今度こそ黒幕の手がかりを得る事ができるはずだった。そのはずなのに。


 今も、誘拐された五人の居場所は分からない。不破たち分室のスタッフ達は、合同捜査本部の捜査員たちと共に、現場付近を徹底的に捜索した。しかし成果は上がらなかった。


 もしかしたら、犯人が近くで様子を伺っているかもしれないと考えたが、それらしい人物は見つからなかった。防犯カメラも現在チェック中だが、不破はあまり期待していないようだった。


『もしかしたら、犯人は虫どもをラジコンか何かのように遠隔操作しているのかもな。かなり離れたところから操れるのなら、無駄足かもしれん』


 これまで、失踪事件の起こった現場の近くでは、不審人物は見つからなかった。おそらく理由は防犯カメラの性質上のものだろう。防犯カメラは空中を浮遊する物体を映すようには設置されていない。たいてい下向きに設置されている。

 そして、あの巨大な虫は飛ぶことができる。

 四件目でマンションの三階からよじ登った形跡もなく、窓から飛び込むことが出来た理由もそれで説明が付く。


 あの後、水崎家の人々を、隣県のビジネスホテルに移送し、とりあえず居場所を移して安全を確保した。すぐには突き止められないはずだ。それでも、不安は残る。


 なにより心配なのは、いなくなった五人の少女たちが今どんな目にあっているか分からないということだ。失踪のもっとも怖い所はそこだといつも翠は思っていた。  

 それは、被害者が既に死んでいるという事実よりも恐ろしい。死ぬより辛い目に遭わされているのかもしれないからだ。

 無限に嫌な想像が膨らんでいく。自分はそんな人たちを助けなくてはいけないのに。敵を取り逃がした後も、懸命に翠達は捜索を続けたが、不破がついにストップをかけた。


『君達は少し休め。帰って寝ろ。また必要になれば電話をかける』


 彼女自身もほとんど寝てないというのに。そのことについて翠が言及すると、


『心配するな。私は基本デスクワーク専門だ。身体が資本の君達の不眠より、デスクワークの不眠の方がまだマシなんだ。さあ、理解できたなら寝ろ。すぐに帰った帰った』


 そして、白翅と共に自宅に戻り、すぐにベッドに横になったのだ。そして今に至る。椿姫達は無事に帰れただろうか。ローテーブル上の電気スタンドまでよろよろともつれそうになる足で歩いていき、捜査用のスマートフォンを起動する。


 新しい通知はなにも無かった。念のため、私用のスマートフォンを起動するが、こちらも何の報告も無かった。進展は全然無いということだ。一気に全身の力が抜け、ベッドの上に座り込んだ。


「うっ」


 頭が痛い。さっき見た悪夢がフラッシュバックし、頭の中に広がった。なぜあんな夢を見たのかは分かっている。


 いまだに被害者達の居場所が分からないこと。そして、怜理を失った悲しみ。

 そして。新しく相棒になった白翅がいまだに正体不明の何者かに狙われているという事実。これら全てが翠の心を強くむしばんでいた。極度の疲労も、その不安を打ち消してはくれなかったのだ。


「うう、っぐ」


 涙が止まらない。必死に自分に泣き止めと言い聞かせる。早く、早く泣き止まないと。大丈夫、悲しいことなんかなにも無い。だから。


 大丈夫。誰かを殺したのも、これでは初めてじゃない。ただちょっと久しぶりだっただけだ。射殺された迷彩服の男達の血塗れの死体が頭に浮かんだ。自分の手で、撃ち殺した。リヨンは?リヨンも人間だった。異誕生物の気配があったのに。だけど、人間だったから死体は残ったままだった。


 その時。コンコンコンコン、とドアが強くノックされた。


「……!」


 思わず飛び上がりかける。声を出そうとする。


『翠?だいじょうぶ?』


 けっして大きくはないが、よく通る声がドアの向こうから聞こえて来た。


「あっ」


 声が喉に引っ掛かり、涙声が出てしまう。


 鍵のかかっていないドアがゆっくりと開いていく。


 白翅がそこには立っていた。身に着けた部屋着の白い薄手のキャミソールが、彼女の淡い輪郭を浮かび上がらせている。

 眼の前に佇む痩身はあまりにも淡く儚げで、今にも闇の奥に溶けて消えてしまいそうだ 。

 地味、というよりは素朴な印象を与える飾り気のない美しい顔立ち。いつも無表情なその顔は今はとても心配そうだ。


「すごく、大きな声が聞こえたから……」


 抑揚のない声が耳に届く。長い睫毛に縁どられた紫色の瞳が見開かれた。翠は自分の頬に反射的に触れる。温かい涙が細い指先を濡らした。

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