第九話 絡まる糸 case5
五月八日 東京都 千代田区 東K町第一中学校 グラウンド
「刑事さん、若いねえ。いくつ?」
「二十歳です」
「マジ?それで刑事に?エリートじゃん」
堂々と真顔でついた嘘を、その教師は感心しながら受け入れた。
二人がいるのは、日中まだ人気のないグラウンドの、その片隅に置かれているベンチだった。一時間目の体育の授業に使用するクラスは今日は無いらしい。背後にそびえる学校の校舎の影が二人の上に覆いかぶさっている。
椿姫が睡眠不足であくびが出そうになるのを辛うじて堪える。昨晩は、茶花と共に邦画研究会最後のメンバーである、
この聞き込みの後には被害者達の捜索の手伝いが待っている。そう考えると気が重いが、なんとか現状に集中することで椿姫は自分の精神を奮い立たせていた。
現在は翠達が警備を担当してくれている。
そしてふと、翠がたまに作るケーキが食べたくなった。お腹が減っているからだろう。甘いものが食べたい。できたら今すぐに。
「
「それが事実なら私たちも嬉しいんですけどね。他の人に円城さんについて尋ねると、『何を考えてるか分からないとか』『愛想が悪い』とか言ってましたけど」
「そーれーはー。あいつの事をよく知らないやつが言ってんですって。現に、サークルの顧問を何の義理も無いのに、嫌がりもせず長く続けてたんすよ?いいやつなんですよ。断り切れなかった、ってのもあるんだろうけど」
今高澤に聞き込みを行っているのには理由がある。今回の事件で、邦画研究会のメンバーが集中的にターゲットにされていることから、犯人がいるなら、研究会に深く関わりのある人間が怪しいと捜査本部は睨んでいた。
椿姫が来る前にも、別の捜査員から聞き込みが行われたようだ。そして顧問の
写真で見る限り、大学を出て二年という情報だったが、円城自身は顔立ちも幼く、まだ中学生といっても通りそうなほど小柄だった。分室のメンバーで最も小柄な翠といい勝負といったところだ。よく見れば美人なのだろうが、全体的に野暮ったい印象の女性だった。
彼女は生徒たちからもすごく好かれているというわけは無い。口数もとても少ないそうだ。しかし、人が良いというのは事実かもしれないと椿姫も思っていた。
元々邦画研究会は予算の都合上、メンバーが不足していたため、廃止される寸前だったが、会長の
そのため、里中は懸命にあちこちを当たったが、これ以上仕事を増やしたくないと考えた教師たちに断られ続けていた。最初は戸惑っていたものの、事情を説明すると二つ返事で引き受けたのは円城だけだった。
本当は、今日は円城にも事情を伺うつもりだったのだが、今日は学校を休んでいた。
「確か。風邪をひかれたんでしたよね」
「そうそう!今日、妹さんから電話がかかってきて……喉をやってるらしいんです。それもぜったい無理が祟ったんだよ。あいつ、個人的にいなくなった子達を探してたんすよ。ったく、無理するから。でも普通はそこまで無理しないもんなんすよ。これでも疑います?」
「疑うなんてとんでもない」
椿姫はとびきりの営業スマイルを大人びた顔に浮かべる。
「ただ、事情に詳しい人達のお話は重点的に聞くように義務付けられているんです。全体を見通せる人の意見は貴重なんですよ。特に被害者の方々の身近な先生方のような」
「それなら仕方ないけど……あ、いいすか?」
マイルドセブンの紙箱を取り出して、高澤が言った。もう片方の手には百円ライターがすでに用意されていた。
「どうぞ」
「…………いや、やめとこ。あいつも止めて来たし。あたしも喉やりたくないから」
いそいそと煙草を高澤はしまった。
「高澤さんも手伝ったんですか?円城さんの個人的な捜索に」
「うん。あいつ、闇雲に探そうとしてたからさ。それこそ、繁華街の危ないところまで。危ないっしょ。あいつのなりじゃあ。変な連中に絡まれて殴られるかもしれない。あたし、結構この辺の界隈に顔効くんだよ。だから、あたしも調査に乗り出すことにしたわけ。ま、結局手ぶらだったんだけど」
「高澤さん、このへんの有名人なんですか」
「昔、結構やんちゃしてたんですよ。別にクラスメイトぶん殴ったり、カツアゲしてたわけじゃないけど。まあ、ほどほどのチャラいやつだったんです。そりゃまあ、殴りかかられたら殴り返すことくらいはしてましたけど、そんくらいフツーっしょ?もう時効だよね」
「強盗したり、誰か殺してない限りは」
「うはは、ないない。絶対ない。あたしは殴られたら人を殴れるだけのチキンだったから。売られないと、喧嘩の買いようもないし」
確かに、陽気ではあるがどことなく崩れた雰囲気のある高澤はそんな過去があってもおかしくはなさそうだった。
指で形を作り口元に持っていくと、空煙草をふかした。そしてその視線が宙で急に止まる。
「……あれは、メンチを切られてるのか?」
視線を追うと、学校の門柱の陰から、なにかが半分ほど顔を出してこちらの様子を静かに伺っていた。大きな猫目が瞬きもせずにこちらを見つめている。ふわり、と風が吹いて人ならざるもの特有の気配が伝わってくるのが分かった。
「なんのつもりなんだろ。遅刻して入り辛い生徒か?いや、でもあれ、外人だしなあ……」
「あの子、私の知り合いです。手持ちぶさたになってるから退屈してるんでしょう。抗議のつもりかもしれません」
「なぬっ?あれも刑事?」
「それは違います」
正確に言えば、自分も刑事ではないのだが。階級が与えられていない以上、絶対に刑事ではない。そして、おそらくいつかなることも無いだろう。
椿姫が手招きすると、茶花がこっちにトコトコと走ってくるのが見えた。よく見ると左手に何かの袋を持っている。すぐに距離を縮め、茶花が椿姫の腹のあたりに鼻をくっつけた。
「お土産です。近くの屋台でたまたま見つけてきました」
「何これ⁉変わったの買ってきたわね」
茶花が取り出したのは果実に直接ストローを突き刺したココナッツウォーターだった。
「疲労回復に良いらしいのです。横浜に本店があるらしいですよ」
「ありがと。でもずいぶん寄り道したみたいね」
「シフク」
茶花はそれ以上答えるつもりがないのか、ストローでごくごくと中身を幸せそうな表情で飲み干そうとしていた。
「なんてこった刑事さん」
片手で頭を抱えながら、高澤が言葉を漏らした。
「はい?」
「ここにとんでもない不良がいた。まさか、その歳でこんなに大きな子供が……」
「違います」
椿姫は即答する。冗談、冗談。と高澤がはにかんだ。この人は授業中もこんな感じなのだろうか。確かにこれだけノリが良ければ生徒からも好かれそうだ。そして、高澤と円城の授業風景はおそらく正反対なのだろうとなんとなく予想した。
「それでは、そろそろ失礼します。円城さんが来られましたら、またご一報ください」
「うん。病み上がり早々の友達を警察に売るのもなんか嫌だけど」
「だから違いますって」
「分かってるよ。形式上の確認なんでしょ?」
椿姫は一礼して、立ち去ろうとする。その背中に声が掛けられた。
「公務員同士、きついこと沢山だろうけど、頑張ってな!アンタ出世するよ、きっと!」
「ありがとうございます」
椿姫は後からついて来る茶花と共に、校門まで歩いていく。ストローに薄い唇をつけた。最後まで疑われなかったということは、自分の成人の演技も板についてきたということだろうか。
ココナッツのサラサラとした液体の食感が喉に心地良かった。
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