第九話 絡まる糸 case4

 東京都内で、失踪事件が相次いでいた。翠達が捜査に加わることになったのは、一件目の事件が起こってから、ちょうど十日後のことである。

 一連の事件は全部で五件。その全てに関連性があることは、早い段階で判明していた。

 しかし、異誕事件であるという決め手に欠けていたため、しばらくは警視庁を中心に設置された合同捜査本部で事件の捜査が百人体制で行われていた。


 三件目の段階で、被害者達が同じ中学校に通う女子生徒で、いずれも「邦画研究会」というサークルに所属していたことが判明しており、失踪の間隔は長くても三日しか離れていなかった。

 急ピッチで起こった失踪に、女子生徒達が誘拐されたのか、それとも、自分から姿を消したのか判断できず、最初は両親が捜索願行方不明者届を出したことで、管轄の交番の警官が近所で聞き込みを行った程度だった。また、行方不明者たちの携帯も、電源を切っているのか一切通じず、居場所は判明しなかった。


 しかし、その次には、「いなくなった三人は家出をするような子達じゃない。たぶん誘拐だ」と主張していた少女が姿を消し、四件目の犠牲者となった。

 流石にただごとではないと気が付いた警視庁によって、ここでついに本格的な捜査が始まった。

 四人目の児玉陽こだまようという下級生は、次は自分が誘拐の対象になるのではとひどく怯え、学校に行かず、自宅に立て籠っていた。


 ところが、三件目から二日後の深夜二時、何者かが児玉の自宅マンションの壁を破壊し、窓ガラスを粉砕して彼女を誘拐した。

 犯行のあまりの残忍さからマスコミも、一連の事件に注目するようになったことで、騒ぎは急速に大きくなっていった。


 あちこちに被害者達の顔写真が貼りだされ、捜索の動員人数もどんどんと増えていった。

 が、その効果も虚しく、ついに先日、五人目の被害者が出てしまう。

 誘拐された尾上真子おがみまこは三年生で、長く部活に出席していなかったようだ。彼女に対しても聞き込みも行われたが、当然何も情報は出てこず、捜査本部が悶々としていたところ、真子は友人の坂本百合との下校中に、唐突に姿を消してしまった。現場付近には彼女の鞄だけがぽつんと残されていた。


 警戒を続けていた捜査本部は、坂本百合からの情報をもとに現場付近を捜索した。証拠物件となる、例えば怪しげなタイヤ痕のような、尾上をあっという間に連れ去ることができたような痕跡を見つけようとしたが、ついに手がかりは発見されなかった。


 その犯行の素早さや、証拠の見つからない異常さから、捜査本部長となった警視庁の刑事部長が念のため特務分室の協力を、仰ごうと警視総監に依頼した。


 そして、翠たちがようやく捜査に参加することになったのだ。

 捜査は困難を極めた。今のところ、被害者は一人も見つかっていない。

 娘達の行方を案じた被害者達の家族から、警視庁に捜索の結果について抗議の電話がかかってくる事も何度かあったという。

 現在のところ、多人数による人海戦術で捜索は行われている。

 本来、捜索願が出たからと言って、大勢の捜査員が、事件に割り当てられる事はない。


 しかし、凶悪な連続誘拐となれば話は別だ。

 が、人海戦術にも限界がある。近隣の廃墟から、郊外の林の中まで探したが、成果は上がらなかった。

  五件目の現場近くの国立市の山林で、ひと段落ついた頃、翠がようやく口を開いた。


「ダメです、見つかりません……」

「こうなれば、下水道にでも潜るか」


 不破が冗談とも本気ともつかない口調で言う。

 額に滲んだ汗を小さな手の甲で拭う。喉がひどく渇いており、持参した水筒で喉を潤した。


「こうなればどころか準備を進めていますよ」


 翠が顔を見たことのない中年の鑑識課員がタオルで顔を拭きながら報告した。


「私なら、どこにでも探しに行けます!」


 翠は張り切って挙手する。が、すぐに


「けど……」

「白翅さん、身体大丈夫?無理してない?」

「うん、平気……」

「……」


 一見しただけでは分かりにくいが、白翅の声には力が入っていなかった。人並み以上に体力があるとはいえ、やはり慣れない激務に堪えているらしい。

 やはり休ませた方が良さそうだ。白翅の華奢なガラス細工を思わせる容貌には、深く疲労の様子が見て取れた。


 白翅は利き手を庇うようにして、もう片方の手で押さえ、背中を近くの木にもたせ掛けている。

 分室の特殊部隊員達は、万が一、主犯が潜伏していた時のために、あちこちの現場に同行の捜査員を変えつつ付き添っている。このスケジュールで捜索を始めて、もう四日目だ。

 探索作業も同時に行い、怪しい場所を次から次へと移動していることで、睡眠時間もかなり削っている。疲れるのも仕方がないだろう。


「長めに休憩をとろう。椿姫達にも伝える」

「でも……」


 不破が携帯端末を取り出しながら助け舟を出した。端末の液晶から放たれる光が、夜のとばりを照らし出した。

 明日は学校に行けるだろうか。ここのところ、翠達は欠席が続いている。

 後見人となってくれている不破や螢陽家の後押しがあるとはいえ、こうも長く休むと少し勉強が心配だった。


 進展と呼ぶべくもないが、五件目の現場付近では、だいぶ曖昧になってはいたが、確かに異誕がなんらかの行動を行った気配の痕跡を感じ取ることができた。


 人間や動物は生きているだけでエネルギーを使う。それは異誕も同じことで、異誕を構成するエネルギーは、彼らが攻撃など大きなアクションを起こした際に多く排出される。

 それを、特殊な『現象』に関する感覚が鋭敏な、化物退治を生業なりわいとする魔術士や、同族である異誕の因子を持つ者はそのエネルギーの残滓を『気配』として感じ取ることができる。


  現在、そのような『気配』を計測する装置などが無いため、実際に人員を動員してみなければ、異誕犯罪かどうかは分からない。

 そのあたりの技術水準は、アナログなまま進歩していなかった。魔術士の家系に、保安機関が依頼する形で異誕の起こす犯罪に対処していた頃からそこは変わらない。

 また、時間が経てば気配の残滓は消えてしまうため、異誕の関与が疑われた段階で早急に対処する必要がある。

 したがって、今回間に合ったのは五件目だけということになる。他の場所からはすでに気配は消え失せていた。


 椿姫達に連絡を入れている不破をよそに、翠達は茂み近くの路肩で停車している指揮車両に入り、その後部座席で休憩の準備を始めた。

 任務中によく持ち歩いている砂漠カラーのメディカルバッグを開けると、夜食として用意したライ麦パンのハム・サンドウィッチをタッパーから取り出した。

 魔法瓶の中に入れたホットミルクを紙コップで三人分用意する。車両の座席は広く、食事をするに充分なスペースが取れるのがありがたかった。


 サンドウィッチには、少量のバターとマヨネーズを塗った表面に薄切りしたハムとレタスを沢山挟んでいる。栄養があって、素早く摂れる食事として準備しておいたものだった。


「どうぞ」

「……ありがと」


 白翅がそれを小さな口を開け、そっと頬張った。瞳を閉じて、慈しむかのような食べ方は思わず翠の胸をどきっとさせる。静かに美味しそうな雰囲気が伝わってきた。


「怜理さんが言ってたんだけどね。私が分室に入った頃くらいかなあ」

「うん」


 白翅が靴を脱いで、シートの上で膝を抱えて続きを待っている


「『根性ってのは常日頃からいつもいつも張るもんじゃない。ここぞという時に負けないために張るもんなんだ。ずっと気張り続けてると、肝心な時に弱ってブチってすぐ切れちゃうぞ。大事な時まで、その糸は大事にしとくもんだよ』って。だから休める時に休んどかないと、いざって時に頑張れなくなっちゃうと思うの。白翅さんが一生懸命になってくれるのは嬉しいけど、リラックスするのも大事だよ」


 死んでしまえば、何もかも台無しになってしまう。どれだけ鍛え上げた技量があろうとも、どれほど磨かれた経験があろうとも、必要な時に真価を発揮できず、ましてや命を落とすようなことがあれば、全てが無意味になる。


「……そっか」


 それでも、白翅の顔には影が差したままだ。

 それは、白翅が彼女自身を責めている証のように、翠の瞳に映り込む。 


 仕方が無いことなのかもしれない。

 『妊婦殺し』の楠原の事件も、『顔裂き』の森下も、明らかに白翅を狙ってきた黒幕によって用意された事件の犯人だ。そして、それがまた起こるだろうということは、充分に予測できる。

 今回もそうなのではないかという疑惑は当然、分室のメンバー全員に付きまとっていた。しかも今回は、誘拐された全員に共通点が有る、という点が人為的な匂いを感じさせている。


 邦画研究会になんらかの関わりがある者の犯行と見ていいだろう。

 認識票タグを使用している人間の仕業だったとしても不思議ではない。

 現在は、疑わしい人物を探っている段階だ。だからこそ、白翅は休むことに罪悪感を感じていたのだろう。

 自分が関係しているかもしれないのに、楽をすることを後ろめたく感じてしまっているのだ。

 かといって、不眠不休で働いても、事態が好転するかどうかは分からない。

 その一方で、こうしている間にも、失踪者の誰かが傷ついているかもしれないという焦りが脳裏にこびりついている。けれど、闇雲に疲労することも意味があるとは思えなかった。


「ちょっと出てくるね。おかわりもあるよ」

「……いってらっしゃい」


 自分のパンを利き手と反対の手で持ちながら、翠は外で栄養ドリンクを飲んでいる不破に声をかけた。


「これ、不破さんの分です。少ししかないけど……」

「わざわざ用意してくれたのか。すまないな」


 切れ長の眼を大きく開け、不破がコップとサンドウィッチをありがたそうに受け取る。


「ここのところ、お仕事をご一緒する機会が多かったから、お腹空くだろうなって思って」

「嬉しいな。今日は鮭弁を持ってきていたのだが、これだけで食事を終えるのもいいかもしれない」

「コンビニのですか?栄養偏っちゃいますよ」

「警察官になるやつは、その時点で健康志向を桜の代紋に売ってしまったのさ」

「そんなものでしょうか」

「そうなんだ」


 不破が夜空を見上げた。時刻は午後八時を過ぎている。空には星々が瞬いていた。

 雲一つ無い空に浮かぶ、街の灯でかき消されない瞬きは眩しく力強い。

 

「我々は呪われてるからな」

「え?」

「警視庁付近で昔、殺人事件があった。大量殺人だ。その呪いを受けてるから我々は不健康に激務を強いられているのさ」

「初耳です。なんていう事件ですか?」

「君も聞き覚えがあるはずだ」


 不破が飲み終えたカップを、指揮車両の屋根におもむろに置いた。


「桜田門外の変」

「そんなに遡るんですか……」


 翠は思わず冗談に噴き出してしまう。

 不破はにこりともせずに、サンドウィッチを頬張り、うまいと呟いた。


「……どうしたの」


 突然近くで声を掛けられて、翠は思わず後ろを振り返る。

 白翅のグレーの髪に、白い顔がすぐ近くにあった。闇に紛れることの無い白い肌が、くっきりと夜に浮かび上がり、彼女の存在感を際立たせた。


「不破さんとおしゃべりしてたの」

「……わたしもここで食べていい?」

「どうぞ?」

「うん」


 齧りかけのサンドウィッチを口に運び、白翅が翠のすぐ傍らに立った。

 不破を交えて、学校の勉強についていけそうかなど、他愛のない話を続ける。

 話が一区切りついた段階で、不破の私用の携帯端末がアラームの音を立てた。


「交代だな」


 不破が長く息を吐き、捜査用のスマートフォンを取り出した。疲労を吐き出そうとするかのような、静かで力も籠った息だった。


「君達には水崎玲菜みずさきれなの警備に行ってもらう。邦画研究会に所属する六人目の部員だ。我々の捜査に同行するのは椿姫たちに変更する」

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