第九話 絡まる糸 case3

 五月晴れの青い空はあまりにもうららかで、窓の外に広がる街にはなんの厄介事も無いかのようだ。窓を閉めた室内に居ても、心地よい昼下がりの風を感じることが出来て、壬織翠はこの清々しさが永遠に続くことを願いたくなる。


 ただ、それが儚い現実逃避であることを翠は充分に理解していた。

 警察庁五階にある、ネームプレートの無い部屋。

「警察庁 異誕対策特務分室いたんたいさくとくむぶんしつ」の特殊部隊用オフィスのデスクには、メンバー全員が城山女子学院の制服姿で着席している。


 翠が今座っているデスクは、三月末に殉職した盾冬怜理が使っていたものだった。

 一度、うっかり間違えて以前のデスクに座ってしまったことがあったが、最近は間違えることは完全に無くなった。ちなみに、以前の自分のデスクは白翅が使っている。彼女がそこに座ることはあまり縁起が良くないと感じた翠が、交換を申し出たからだ。


 分室にあるデスクも椅子も全て同じものであるはずだったが、どこか座り心地が違うような感覚を翠は覚えていた。

 壁に設置されたモニターにはスキャンされた脳画像が表示されており、近くのホワイトボードには注意点がいくつもまとめられていた。

 そして、不破が資料を片手に、口火を切った。翠、白翅、椿姫、茶花、四人の視線が一斉に集中する。


「以前、森下麻衣の供述内容については伝えたと思う。今日は警察病院と科警研の調査で新事実が判明した」

「『黒幕』、についてはまだわからないんですか?」


 挙手して尋ねる翠に、不破が硬い声で返した。


「不明だ。まだ調査中だ」


 森下麻衣の証言から、彼女は認識票を正体不明の何者かから託され、それを用いて犯行を行ったことが判明した。

 おそらく楠原芽衣も似たような状況で認識票タグを受け取ったのだ。

 間違いなく、連続する事件の背後には『黒幕』がいる。そしてその人物が、白翅をなんらかの意図を持って誘拐しようとし、分室のメンバー達に彼女の居場所を吐かせるため、刺客を送り込んできた。

 不破がペン状のレーザーポインターをモニターに向けながら解説を続行する。


「全員、画面の脳画像のデータに注目してほしい。森下の脳検査のデータと楠原の死体のデータを照合した。その結果、通常と比べて、脳の海馬かいば前頭葉ぜんとうように著しく損傷があることが分かった。徐々にではなく、急速に状態が悪化したと見ていいだろう」

「ぜんとうよう?」


 はじめて聞く言葉であるかのように、澄んだ無垢な声で白翅が繰り返した。

 茶花はいたってはきょとんとしている。翠も名前くらいしか知らない。

 海馬なら知ってますけど、と椿姫がばつが悪そうに天井を向いて、制服のブレザーのタイに手を当てた。


「前頭葉はいわゆる脳内のブレーキだ。海馬もそう。物事を分析し、その内容を吟味したりする。脳のある部分、扁桃体という部分だが……そこが危険を感じた時に、そのパニック状態に制限をかけるいわば安全装置。それが著しく劣化している。これにより、強い不安やストレスを和らげることができなくなったというのが妥当な見方だろう。また、前頭葉には衝動を抑える機能がある。それが狂えば、強い欲望を制御することが出来ない。この現象がタグと無関係に起こったとは思えない」

「タグを使ったせいで、ってことですね」

「他に考えられん。つまり、使うことによって、どんどん強いストレスを感じやすくなり、なおかつ欲望のコントロールは下手になるということだ。そう、例を出せば「自分と似た顔の人間をこの世から消し去りたい」とか「もっと妊婦を殺して胎児の未来の可能性を奪いたい。母親の絶望が見たい」とかな」

「頭のおかしいやつに凶器を持たせてゴーサインを出してるってことですか。悪趣味だわ」


 椿姫が吐き捨てる。


「確かに、楠原は異常者だったが、麻衣は精神を病んでる段階だな」

「麻衣もおかしいわよ。普通病んでる人間は自分を治したくて病院へ行くものよ。他人を殺して楽になろうって発想を持ってるやつがイカれてないなら、この世ににアタマの医者はいらないわ」

「椿姫さん、どうどう」

「落ち着いてるわ、あたしの口の悪さを茶花が知らないだけ」


 翠も憤りを確かに感じていた。麻衣が自殺直前まで追い詰められていたのは事実だ。しかし、楽になるために他人を不幸にするという選択を選んだのは言語道断だ。   


「黒幕としてはナイスな人選だったというところだろう。しかし、分からないのはその方法だ。念のため、麻衣が声をかけられたという場所近くの防犯カメラをあたり、そのあたりをよく通る人々に、地元警察と組んで聞き込みに当たったが、時間が経ちすぎているためか手がかりはなかった。防犯カメラも、撮った映像をいつまでも保存しているわけではないからな。もうデータは消去されていた」


 翠は内心歯噛みする。自分の大切な人を殺し、今なお人々を苦しめている得体のしれない何者かが、人ごみの中に消えていき、自分たちを嘲笑っている気さえする。いや、事実そうなのだろう。まるで、ずっと遠くから自分たちがいたぶられているようだ。強い苛立ちと、冷たい緊張をずっと感じていた。その感情をどうにかして翠は今も抑え込みながら生活を続けている。

 ちらっと横目で隣に座る白翅に視線を送る。白翅は目を伏せたまま、なにかに耐えるようにじっと話に聞き入っていた。


「不破さん。敵の意図はなんなんでしょう。私には……敵の意図が変わっているみたいに感じます」

「続けてくれ」


 翠は大きく息を吸い込んだ。持参した小さなメモ帳を取り出して、カンペに使いながら話の内容を補強する。


「一番最初に私達が戦ったタグの使用者の楠原は囮でした。私達をおびき寄せるために、わざとあいつに事件を起こさせたんです。その証拠に、後から刺客が現れました。でも、その後の森下は違う。護衛も居なければ、始末されることもありませんでした。刺客がやってくることも。当然、刺客が現れたのは……白翅さんを捕まえるためでした。理由は分からないけれど」


 白翅の細い肩がわずかに動いた。


「現れなかったということは、黒幕や刺客達にもう白翅さんを捕まえる気がないってことなんでしょうか。それとも、考え方を変えて、別の目的のために森下にタグを渡したんでしょうか」

「今は、違う目的になっているという可能性か」


 不破が顎に手を当てて考え込む。


「ありうるかもしれない。……君達を倒しきれなかったことで、敵が方針を変更したという可能性もあるわけだ」

「ただの想像ですけど……」

「いや、いい意見だ。現段階では憶測でも、判明した手がかりを積み重ねていけば、そのうち黒幕に近づけるだろう」


 不破がスクリーンから離れた。


「狭い道も、同じ志を持った者達が複数いれば、窮屈どころか通りやすくなる。連携を強めて対処に当たるように。今後の方針として、新事実が判明すれば最優先で伝えることにす……」


 その時、不破の机の上で電話機が激しく鳴り出した。翠は不意に嫌な予感を覚えた。






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