第八話 常人には向かない職業 case15

「おかえりなさい」 

「ただいま」

「……お疲れ様」

「そんなに。空の旅は快適でした」

「ヘリ乗るの久しぶりだったんでしょ?」

「いかにも」

「オフの日だったら爽快だったかもね」


白翅にとっての初任務となった事件は無事幕を閉じた。上出来と言っていい成果らしい。

 役に立てるのは嬉しかった。何もしないでいると、自分が本当に薄情な人間になってしまったような気がする。自分が本当に生ける災厄になってしまったような。そんな気分に。だから、義務を果たすことができたような気がして、心から安心していた。


 二人で、誰もいない家に帰宅した。

先日決めた食事当番の通りに、今日の夕食は白翅が料理の腕を振るうことになった。

翠は手伝いたそうにしていたが、そこまで甘えてしまうのは気の毒に思えて、白翅はあえて一人で調理を行った。


「おいしい!」

「……よかった」


 だし巻卵に、鮭の切り身を塩焼きにしたもの。ほうれんそうのスープ。白翅は簡単なものしか作れなかったが、翠は喜んでくれたようだ。


「和食も、好きなの」


翠の明るい笑顔を見ていると心が温かくなった。理不尽に人々が殺される。そんな悲惨さに対峙した苦しみを彼女の笑顔は感じさせない。

そういえば、お母さんもこんなふうに辛いことは決して表に出さなかった。気を遣ってくれるのは嬉しい。でも、もっと自分も強くならなければ。一人で暮らしていたころは、食事の味を気にする事はなかった。母を亡くして、団欒を楽しむことが無くなった。

 そのせいか、味にも鈍感になっていた。


「あっさりしてて、私、この味好き!」

「……うん」


 でも最近は、母と食べていた頃の美味しさが戻ってきた気がした。




 その夜、翠はベッドの中で、今日の事件を反芻していた。薄暗い部屋の中で、枕に頬を押し当てる。横に転がると、沢山の文庫本やハードカバーをきちんと整理して収納したスチール製の本棚が目に入った。

 資料写真の一枚を思い出す。横転した車両に残されていた、一冊の文庫本。死亡した乗客達と同様、血だらけでぐちゃぐちゃになっていた。かろうじて表紙のタイトルが読み取れた。

「骨散るハイウェイ」。


 誰の持ち物だったのかは特定できなかった。きっとまだ時間がかかるだろう。

 その人は読みたかった本を全部読む事ができただろうか。それとも、読んでいる途中だったのだろうか。読まれなかった物語はどこへ行くのだろう。

 きっと自分なら死んでも死にきれないはずだ。

 本当に、ある日急に命を奪われてしまったのだから。異誕による事件は往々にして公にされない。今回の事件は大型トレーラーを暴走させた危険人物による一種の無理心中事件として扱われる事になった。被疑者は身元不明。顔や指紋が潰れていた事にされた。

犯行に使われた車も、盗まれたものだったという事になる。そんな車両は実は存在していないのに。


目撃された「怪物」については、パニックや、生き残った乗客達の頭部の負傷による幻覚を見たことになる。病院にもそれ相応の診断をすでに手配済みだ、と不破は言った。


 事件はまた、闇へ葬られる。決して存在が公にならない、自分達のように。

 また一体、人々を傷つける化物が消えた。

 今回は悲しくもなんともない。怜理さんと同じように消えていったのに。

 彼女は蝶の鱗粉のような光の粒になった。それはとても悲しく、とても綺麗だった気がした。


かつて怜理が生きていた頃、翠は異誕が消えた証となる、最期の光の粒を蝶の鱗粉に例えたことがあった。

うまいこと言うねえ、と歯を見せて怜理は愉快そうだった。


『あたし達が鱗粉だってのなら羽ばたいているのはなんなんだろう?何が蝶なんだろう?空気とかかな?蝶はどこにいるんだろ?』


しばらくすると、怜理はその事について真剣に考えこみ始めた。

わからないです、と翠は困ったように返事をするしかなかった。


『蝶はこの星そのものなのかもね。私達はこの地球っていう星の気まぐれが生み出してるのさ。

 奴のきまぐれな羽ばたきが私達を生みだしているのさ。たぶん、私達やご先祖様、その他の異誕ってそんなバタフライエフェクトの結果の一つなんじゃないかな』


そうなのだろうか。本当に。

自分の小さな身体を抱きしめる。両腕で。

混血の、老化の遅くなった、成長途中の身体。


細い腕を通して、自らの緩やかな鼓動が伝わってきた。

今ここに自分の肉体がある。抱きしめられる。だから私は今日も生きている。白翅さんの事も、生かすことができる。

 翠は眼を閉じて、身体の力を抜いた。新しい相棒と共に生きて帰ってこれたという安堵感で、ゆっくりと眠気が押し寄せてくる。


 今日は、いい夢が見たい。翠は心の底からそう願った。



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